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バランスある美しい部位強化は可能か(自然周吾)

常々人間の身体は、最高の機能組織と思っている。だから、今、近眼のメガネで近くのものが見にくくなったのも、機能全体からして 意味のある出来事だと推測し、受け入れ認めようと思っている。

全体機能のバランスからして、1部だけがその部位機能の最高位を保持するのは、おかしいからである。 バランスとは、全体が一体として正常を維持することだろう。

肉体のサイクルは、どう考えても寿命100年程である。従って肉体の部位は、寿命に沿ってなだらかに、その機能を合わせて行って しかるべきだろうから。(▲写真は、花島公園の朝顔。06/11/13撮影:hata)

最近、視力の精度が減退してきた。これは、ぼやけた部分を作ることで、曖昧な事象(物事をはっきり見させない。観なくてもよい。)を感知させる。 総ての音を拾っていた耳も、聞きにくくなったのは、敏感に音を拾わなくなったということだろう。 そして、思い出せなくなった多くの出来事、記憶回路の鈍感になった意味は、身体の主要部位の手・ゆび・足らの緩やかな行動に きっちりと歩調を合わせてきていることの証拠である。

身体全体調和の維持強化を図っての、部位強化でなくてはならない。全体バランスを失った部位強化は、美しくない。 年齢を考えることは、身体の調和調整の道しるべとして最適であろう。

観戦テニスとは区分し、実践テニスは、年齢を考慮し、年齢に迎合した、穏やかな実践のテニス技法修得が当然であろう。 全体身体バランスを欠いた、無理な部位強化は、不健全で、美しくはないだろう。

(06/11/29)
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