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中止決定の早さ(自然周吾)

雨のためテニスを中止する、その決定の早さは、テニスをしたいかどうか、決断者の熱意の量による。

もし、私が決断者で、当日都合で、テニスに参加できないとすれば、天候の予報が雨方向に傾いていれば、早々に『中止』の決定を 下すだろう。早い決定もよしとするだろう。

なぜなら、もし、テニス参加のつもりでいたなら、例え天気予報が雨方向であっても、また、今自宅付近に雨が降っていようとも、 すぐに中止の決断はせず、テニス開始時間にコートに行って、そこで決断するだろうから・・・。
出来ればテニスをする、という決定をしたいからだ。つまり、たとえコート周辺に雨が降っていても、予約したコート上に雨が 降っていなければ、テニスは出来るのだからと。

第3者として、冷静に決断は出来ないのである。テニスをしたいが為の決定か、どちらでもよい決定かで、決定時期が 移動するのである。

現地主義(今ここでの決定)をとる人は、テニスしたい人である。一報、天気予報重視の人は明らかに、それほどにテニスしたい人 ではなく、早い時期での決定を望むだろう。他に予定を組めるから・・・。

テニスをしたい熱意の差は、天気予報も変えるのである。だから、その熱意がなくなれば、人は普通の人となり、”晴れ”男の神通力も 消えてくるのである。

少々の雨でもテニスをする人が、現にいるのである。雨予報を現場で”晴れ”にしてしまう、”晴れ”男と言われている人が・・・。

(07/07/02)
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