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荘子が師である・・・(自然周吾)

『あるがままに、今こここでの生命を生きる』というのをモットーにしているが、この原点が荘子にあるらしいと 最近気付いた。

放送大学の面接授業でテキストとなった本を、授業終了後に図書館から借りて読んでいて、書かれていた荘子に興味を持ったのである。
本中に紹介のあった荘子の本を読んだ。そして、荘子の思想が、かなり私に当てはまることに気付かされた。

老荘思想のうち、荘子の生き方を自分に重ねることが、年代も環境も超えて、一番ぴったりしているのである。

荘子と言う名はあまり意識していなかったのに、荘子の考え方を生き方の中心にしてきたかは、すぐには分からないだろうが、 今までに、知らぬ間にどこかで、荘子の言葉に遇っているのだろう。
そして、その考え方に共鳴し、『あるがままに、今こここでの生命を生きる』をモットーにしたのだろうと思う。

確かに、私の生き方に変化を与えたのは、就職直後に出会ったカウンセリングの考え方だと思う。
カウンセリングの基本原則には、荘子の思想が取り入れられていたのだろうか・・・。

ともかく、私には、拠るべき思想の方向が見えてきた直感がする。つまりは老荘思想がルーツにあると言えそうだ。

以下参考に羅列する荘子の言葉群は、すんなりと理解出来、納得し、惹かれるのである。
仏教に代わる私の信奉する”教”として、荘子思想が、登場してきたことを予感する。

(07/07/21)
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《参考》
☆「空と月と暦」 (米山忠興著 丸善) ⇒面接授業でのテキスト。荘子の考え方が紹介されていて、荘子に興味を持った。

☆「荘子」 (福永光司著 中公新書)より。(上記「空と月と暦」の紹介本の1つ)
万物斉同=無為自然。
●あらゆるものを無差別に包含する無限の境地の別名=万物斉同の境地
荘子:
1.それぞれの自己がそれぞれの自己としてそれぞれの自己の直面する極限状況の中で、なおかつ生きてゆくことであった。(p7)
2.人間はただ理由づけることの出来ない必然によってこの世に投げ出された自己の存在に対してだけ責任をもてばよい。(p9)
3.荘子にとって、人間存在は初めから孤独であった。しかし、人間はそれにもかかわらず、その孤独と不安に耐えて生きてゆかなければならない。生きてゆくことが荘子の決意の総てであった。(p11)
4.人間の合理を人間においてのみ考えるのではなくして、人間を包む天地万物の総てにおいて追求する。総ての存在するものは存在するだけの必然的な理由を持って存在しているというのが彼の思考である。(p16)
5.荘子は人生を1つの混沌として把握する。その思考は分析的であるよりも全一的であり、抽象的であるよりも具体的、論理的法則的であるよりも直感的体験的である。(p20)
6.彼の自由は生きている混沌を生きている混沌として愛することであった。(p22)

☆「荘子物語」 (諸橋轍次著 大修館書店)より。(図書館検索から抽出の1冊)
●老子:『道(無)は一を生ず、一(有・神・仏・太極)はニを生ず、ニ(男女・陰陽・両儀)は三を生ず、 三(男女の交わる力・陰陽の交わる力)は万物を生ず』(「老子の無」p62)
●茶碗の必要なところは、空間である。そこに物が入る。(p65)
●『予(われ)いづくんぞ、かの死者も、そのはじめ、生をもとめたるを悔いざるを知らんや』(「死の世界」p136)
●『不将不逆』(将(送)らず、逆(迎)えず)。(p141)
●大小一概・可不可一貫・死生一条(無差別の世界)の説