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”基本的な行動基準”(自然周吾)

全ての固(体)はそれぞれが内部に独立した意思を持って生きている。
と、言えるだろう。

整然と動く人間の身体の細胞(個)の動きをいちいち指示・命令して、動かし続けていくことは出来ない。
なのに、個々が勝手に動いてそれが、全体の秩序を保っているのには不思議な思いがする。しかもリーダーなしで、指導者なしである。
それは個々の細胞が、なにかの方向・判断を持って(勝手に)動いていても、全体(人の身体)としての生き方と合っているからである。
個々の自由な意思ある動きが、全体としてのまとまった動きを作るのである。自主的に動いていての結果である。

ならば、なにかの方向・判断、つまり個の”基本的な行動基準”とは、いったい何か。

個の行動全てに、(誰かが)細かいマニュアルを与え指示管理することは不可能である。だから、生まれながらに”基本的な行動基準” を与えられているのであろうことは想像できる。地球上の全てのもの(個)が、同じ行動基準を与えられていると考えれば納得できる。

『”自分(個)だけが”よく生き続ける』というのが、個の究極に与えられた”基本的な行動基準”である。
いかに生きるかは、環境による制限もあり、微妙であるが、”楽をして、楽しく”が、当たっていると思う。
つまり、放っておけば、楽をして、楽しく生きられるように、行動するのである。
結果、個の集団全体も、同じ行動方向に動きが、まとまっていくのだろう。

だから、個(人)が『他の(個)のために・・・』とか『我慢・苦労して・・・』等という生き方をするのは、異常である。 本来は、生き続けられない方向基準になるからである。
異常を表明する個(人)の数が増えてくるという事は、環境が適用しなくなってきたということである。

”基本的な行動基準”は単純な『”自分(個)だけが”よく生き続ける』である。
それを貫く方便として、他の個の存立も認めなくてはならないのである。

私は、個(人)としての単純な”基本的な行動基準”『”自分(個)だけが”よく生き続ける』を現実に対処し、工夫することがそのまま、 全体としての幸せにも繋がると想定して生きようと思う。(利己的”個”を生きようと思う。)

(08/03/12)
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