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○カメラの未来を切り拓いた男の物語

いまや、日本のカメラは世界市場を席巻している。その先駆けとなった一台のカメラが登場したのは、 いまから50年前のことだった。世界のカメラマンから愛された名機の物語は、すでに神話になっている。
その名は『ニコンF』。世界に誇る名機には、ある技術者の挫折と、常識にとらわれないアイデアが詰め 込まれていた。今夜はカメラの未来を切り拓いた男の物語。

光学メーカー、「日本光学」は戦時中、戦艦大和にも搭載された、敵の船との距離を知るための測距儀と 呼ばれる距離計を制作していた。その優れた性能とあわせて、なにより丈夫で信頼性がおけると高く評価 されたのだ。しかし、敗戦によって、会社は大きな転換を迫られる。軍も戦艦も、もう無い。築き上げた 技術を、いったいどこに活かしたらよいのか・・・。

打ち出した方針は、光学技術を転用できるカメラの開発だった。本日の主人公、M.Fuketaは、会社の未来 を背負って、手探りでカメラ作りのチームを始動させる。当時、世界をリードしていたのは、ローライや、 ライカ、コンタックス、といった、ドイツ製のカメラだった。Fuketaたちは、その精巧なメカニズムを徹底的に 研究し、ライカと同じタイプのカメラ、『ニコンSシリーズ』を発表する。

Sシリーズの評判は上々だったが、Fuketaはいまひとつ、納得がいかなかった。カメラ本体の前面にレンズが とりつけられ、その脇に小さな窓がついている。この小窓はファインダーと呼ばれ、これを覗いてピント 合わせや構図を決めるといったシステムだ。しかし、このシステムには弱点があった。ファインダーから 見える風景と、フィルムに焼き付けられる風景には、微妙なずれがあるのだ。「自分が納得できないものを、 ユーザーが納得してくれるはずがない。」ファインダーで見たままのモノを撮影することは出来ないのだろうか・・・。

そして目指したのが、別の構造を持つ「一眼レフ」の開発だった。ところが、Fuketaたちの元に、衝撃的な ニュースが飛び込んでくる。ライバルの光学メーカーが国産初の一眼レフを発表してしまったのだ。

だが、いつまでも落ち込んではいられない。「こうなったら、より独創性のある一眼レフで勝負しよう。」

そして先に開発された一眼レフカメラの欠点を突き詰めた。当時の一眼レフは壊れやすく耐久性に問題が あったのだ。「俺たちが目指すのは、プロを納得させる性能と頑丈さだ。少々値段が高くなっても妥協せず に良いものを創ろう。」かつて軍用品を作っていたFuketaは、とにかく丈夫なものを作ることにおいて確固たる 自信があったのだ。こうして、納得できる一眼レフカメラ誕生への試行錯誤は繰り返されるのだった。

( 『未来創造堂』(08/09/05)の解説から 全部転記→ただし、個人名は英字化した。 )