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WBC野球で日本優勝!!(自然周吾)

よく優勝したものと喜んでいる。

ただ今日の韓国との決勝戦で、12時頃までTVで観ていたが、1対0の先行が、5回裏韓国のホームランで同点になった。
観ていられなくなり、観戦を止め、TVを消した。

5回表の日本の攻撃で、ノーアウトからの出塁が、ワンアウト1塁3塁で、結果、三振ダブルプレーで消えて無得点に終わった時、 今までの押せ押せムードの日本の”勝の流れ”が、明確に韓国に移ってしまったと判断した。
再三再度の得点チャンスを逃した後の、いやな雰囲気を感じた直後のホームラン一発で、観ていられなくなったのである。

13時過ぎに大学のテニスに出かけたが、まだ試合をしていた。この時点では、2対2の同点とのこと・・・( その後1点づつ入ったのだ )。
( ⇒実際には、1対1の後は、2対1か、3対1でまだ勝ち越しをしていた。9回裏の3対3まで、2対2という状況はなかった。 スコアーを後で知って判ったことである。 )
さらに、次の情報では、3対2で勝ち越しているとのこと。ダルビッシュが連投していると・・・、よしよしと思った。

それが、9回裏に、3対3の同点にされ、延長戦になったとの情報がまた入ってきた・・・。

TVを観に行ったら負けそうな気がして、テニスに専念した。

結果、どういう展開でそうなったかはわからなかった( 観に行ったメンバーが言うには、TVでは、パレードになってしまい、どうやって勝ち越し したかわからない )が、日本が、10回5対3で勝ち越し優勝したと聞いた。ともかく良かったと思った。
( 以下《参考》参照 ⇒ 10回表2アウト、ランナー3塁2塁で、イチローがセンター前にヒットを打った結果なのだ。それまでイチローが不振であった ことで、韓国が敢えて敬遠でなく、勝負してきたのが勝因であったのだ・・・。)

(09/03/24)
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《参考》(以下 アサヒ・コムから)

日本5-3韓国 球場:ドジャー・スタジアム
      1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  計  H
    ----------------------------------
日本   0 0 1 0 0 0 1 1 0 2    5  15
韓国   0 0 0 0 1 0 0 1 1 0    3   5

【投手】
日本:岩隈→杉内→ダルビッシュ
韓国:ボン チュングン→チョン ヒョンウク→リュ ヒョンジン→イム チャンヨン
【本塁打】
日本:
韓国:チュ シンス

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忍んだ、信じた―原采配、頂点に 「生涯忘れられぬ」
2009年3月25日3時4分(アサヒ・コム)

 【ロサンゼルス=福角元伸】原辰徳監督(50)の体が3度、宙に舞った。野球の祖国、 アメリカでも古い歴史を持つドジャースタジアムのマウンド付近。「火中の栗」とまで表 現された日本代表監督をあえて引き受け、重圧をはねのけて達成したWBCの2連覇。 ホッとしたような笑顔で、選手たちを握手でねぎらった。

 監督就任までに曲折があった。メダルを逃した昨夏の北京五輪で監督を務めた星野仙一氏が辞退。 その後は日本代表監督のなり手が見つからなかった。そんな中で昨年10月、白羽の矢を立てられた。

 周囲は反対した。父の貢氏からも「受けちゃいかん。先輩の監督方がいるのだから」と言われた。 原監督の胸中は違った。「このままでは球界がどうにかなってしまう」。誇り、あこがれであるべき 日本代表の要が決まらない。「私でいいのですか。それならば」。第1回監督の王貞治氏らからの要請を受けた。

 巨人監督と日本代表監督の二つを背負いこむことになった原監督は、自分の中で決め事を作った。 「一つだけ巨人と区別しよう。『我慢』。これだけは、必ず守ろう」。一流選手が集まる代表チーム は個性派軍団だ。所属球団など関係者も多く、様々な思惑もからむ。思い通りにいかないこともある だろうが、自分がどんと構えていれば、チームは前進すると考えた。

 選手の代表辞退が続いた時期もあったが、「チームを前へ進めなければいけませんから」と平然と答えた。 大会が始まると、チームリーダーのイチローが不振を極めた。決勝前まで打率2割1分1厘。それでも「1番」 で起用し続けた。「彼はチームの中心ですから」。信の一念でグラウンドへと送り出し続けたイチローが、 最後は決勝打を放った。

 「あのセンター前というのは、私にとっても生涯忘れられない映像になりました」

 長嶋茂雄、王、星野と、球界の大物が務めてきた日本代表監督。そのカリスマ性でなく、原監督は強い精神力、 指導力で日本を頂点に導いた。かつての「若大将」が、ON後の球界リーダーとしての立場を確立した。