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永遠(自然周吾)

嫁さんの生きていた記憶は、誰が覚えているのか。私が生きている限りは忘れないだろう。その限りでは永遠である。
しかし、個の生きている期間はたかだか一世代、前後100年ほどである。
永遠の命などというが、実際には永遠などなにもない。太陽や星でさえ、寿命があるのだから。

亡くなった人の記憶は、時が経つと薄れてくるだろう。そうすることで、悲しみを忘れ、残された者が生きられるのでもある。
しかし、供養という点では、いつまでも覚えていることが、供養になるのではないか。
どうしたら、時の忘れ、に対抗して、忘れずに覚えていられるだろうか。

近所にお墓を設けて、しばしば通うというのも、一方法だろう。思い出の品を身につけ、写真をいつも持参するというのも、有効である。
これらは、実行している。
仏壇を備えるのは、最良だろう。私の場合は、仏壇の変わりに、分骨してそれを、自宅に置くことにする。
毎日、忘れないでいるには、毎日、目に触れることが、有効である。目に触れるものが、分骨であれば、それは、決して忘れないだろう。
お墓にもしばしば行くようにするが、こうして、私が生きている限りには、少なくとも、彼女のことを忘れないでいられるであろう。

(12/02/16)
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