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真面目に生き続けよう(自然周吾)

節目の場面では、真面目な選択を都度継続していくことが、人としてよい結果を得ることになるのである。
今まで、大道を選んでやって来たことで、よき結果を手に入れられたのだろうと考えている。
嫁さんの死去に関してのその後の処理についても、まあ、よい方向に進んできているのではと、評価している。

●嫁さん(カトリック信徒)の墓を敢えてカトリックに任せないで、近所の民間墓地に求め埋葬したこと。
(何らかの抵抗に遭わなければ、カトリックの両親の墓にすんなり入ってしまっただろう。抵抗を察知し、早々に近所に墓を購入したことで、 かえって、頻繁に墓守に行けることになった。両親の墓に収まっていたら、とてもとても・・・。どうなっていたか・・・。)
●分骨を位牌の代わりにして自宅に確保したこと。
(分骨が在ることで、家にも居るという感覚で、墓守に行けない場合も、気が楽である。これも、分骨を両親の墓に納めていたら、 どうなっていたか・・・。)

次の処理も、やがて、良い結果を生じるものと信じている。良心的にも間違っていない判断で現状になってしまっているのだから・・・。
●遺産処理:嫁さんの方が長生きをするだろうとの予測の元に、彼女の得た過去の遺産はなるべく崩さず触らずにして、 現状の生活費には私の資金を先に使う方向でやってきていた。もちろんやがて足りなくなるだろうから、その都度、 嫁さんの資金を崩そうとしていた。
だから、嫁さんの早い死去で、結果として、嫁さん名義の資産が多く残ってしまったのである。当然私名義の資産は、枯渇寸前であった。
意に反して、他の法定相続人に多くの遺産を割り当てることになってしまった。

今回の我々の体験からアドバイスするなら、夫婦は互いに生存中に、頻繁に、早めに、名義は常に半々になるように書き換えて置く ことである。
互いの死去に関しては、何が起こるか判らないのだから・・・。
ただ、ズルをせずに、真面目に生きていくことが、良い結果を生むだろう、ということは、間違いのない”セオリー”だと思う。
(12/05/25)

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