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宗教は何かと聞かれれば、仏教的な”自分教”だと豪語していた・・・。
亡くなった妻は、幼児洗礼を受けてのカトリック信徒であるが、私にはどうしても馴染めない。結婚するに当たっては、3日間 程のカトリックの教育を受けたが、最近になって熱心な信徒の対応例を身近に観て感じて、カトリック信徒にはなれないと決意した。
思うに、仏教は山川草木全ての物に(生命がない物にも)仏が宿ると教えている多神教である。
比して、カトリックは、イエス・キリストのみを神とする一神教である。家族兄弟よりもキリストを唯一信ずるのである。
家族兄弟を犠牲にしてもキリストとの誓いを優先するのである。
家族兄弟さえ大事に出来ない者が、他人の多数を大事にすることは出来ない、と考える私には、カトリックの一神教の考えには 馴染めないのである。
これからは、全世界の、地球全体の、宇宙の事も、そして環境を大切にすることを考えなくてはならず、一神教より多神教の方が、
合っているのでは思う。自分だけがよければいい、という時代ではなくなってきているのである。
今の世界の宗教間での争いには、一神教の方が多く、関与しているのではと思われる。
人間くささの多い多神教をどちらかといえば、私は信じたい。
妻の墓は、宗派に関係のない近くの墓地にした。誰でも受け入れる墓地の方が墓守もしやすい。私も気楽にそこに入るだろう・・・。
私にも、かっては、一神教をよしとする時代もあった。絶対神を信ずることで、自分は常に第2位になっていた。
絶対神に比して、常に自分は不完全である。他人と比して生きる自分が嫌であった。劣等感を持っていたのである。
そういう競争の心を一神教は鎮めてくれたのである。しかし、今は、競争心がなくなってきて、他人は他人であると思え、
共存共立の気持ちになってきているのだろう・・・。
(12/05/30)