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新聞紙配信を止める日(自然周吾)

この9月末を持って、生涯続いていた、朝日新聞の配信を停止する。
かって新聞配達のアルバイトも、結婚してからも、新聞は”朝日”一筋であった。
つい一年前までは、”読売”が、何度も何度も、”朝日”からの、購読変更を依頼に来ていた。
しつこく景品をちらつかせて、変更を強要してきていた。当時は対応する嫁さんも、大層そのしつこさには辟易していたようだ。
なぜか、最近は、そんな”読売”も来ない・・・。

10月中旬から、暫く外国旅行で留守をするので、その期間は配達を停止することになっていたが、近々、新聞を読むこともなくなった。 以前からも、読むのは、嫁さん一人であったが・・・。

期間配達中止を機会に、配信そのものを止めることを決意した。先日、その旨、メモをして配達員に渡した。
停止は寂しい気もするが、片付けと言う立場からも、有効な決断であろう。
我が家でさえ、配信停止を決意するのだから、今後、新聞紙の配達と言う業務は、早々に減退し、ゆくゆくはなくなってしまうだろう。

余命予定(今から20年で計算している)を越えて、生き長らえてしまうと、経済的に、もしかして、近所での新聞配達のアルバイトを しなければと心していた”思惑は”、消滅してしまうだろう。その頃には、アルバイトの口は、存在していないだろうから・・・。

もちろん体力もなく、寝たきりになっていることだって、あり得る。60歳を越えたら、身体には、どんな支障さえ発生しても、 当たり前であろう。生命保険を担保(受取人)として、養老病院に入院することになってしまうかもしれない。

同じ時代に生きた、亡くなってしまった嫁さんとも、それ程の年齢の差もなく、私も同じ墓に入れてもらえることになるだろう。
誰が入れてくれるかは、まだ、決めていないが、葬式代プラス少々を現金で残しておけば、適当に関係者が処理してくれるだろう。
まぁ、処理してくれなくても、死んでしまった後のことは、私には、どうなっても、わかり様がない・・・。

死ぬまで生き続けるということで、私の人生はいいのではないか。
(12/09/28)


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