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カナリヤ(自然周吾)

昼にゆで卵を作り、卵の黄身を見て、思い出した。

小学生の頃に、父がカナリヤを飼っていて、時たま、カナリヤの餌に、当時貴重であったが、ゆで卵の黄身を食べさせていた。
カナリヤの羽が美しい黄色になるからだと言っていた・・・。

最近カナリヤをあまり観ない。今でもペットとして飼われているのだろうか?? 以前は十姉妹も飼われていてよく観た。
自分でも伝書鳩を飼った事がある。
ふるさとの千葉の田舎(千倉)では、今は飼うのを禁じられているが、目白が多く飼われていた。
昔?は、鳥のペットが、今より多く飼われていたような気がする・・・。なぜか今は、猫や犬のペットが主流である。

そういえば、前にも人に話したが、最近、花のダリヤを観なくなった。(子供の頃の)一軒家の時には、垣根があり、玄関脇には、 八ツ手が、南天とともに植えられていた。庭には、ダリヤとかホウセンカとか、いろいろな草花が植えられていた。

木では、無花果の木も大きく育っていた。噛み切り虫が、たくさん寄生していて、木屑が周りにこぼれていた。
無花果は実を多く成らしていて、熟れすぎた実は、鳥の餌になっていた。

現在より、生活そのものは貧しかっただろうが、日々の雰囲気は大層、明るかった気がする。太陽の光がまぶしかった。

昭和30年代は府中市東町に住んでいた、あの二軒長屋が懐かしい。6畳+4.5畳+3畳の部屋と3畳ほどの食事所、 小さな台所と、井戸がついた風呂場であった。家族、6〜7人で住んでいた。

借家であったが、家主が売却したいと言った時、当時でいくらの売値であったか知らないが、お金の算段が出来なかったのだろう、 結局買わずに、(京王線東府中)駅近くの、清水ガ丘に移ってしまった。父はココで、昭和45年に亡くなった。

記憶が確かではないが、(東町に住む前)府中市立第一中学校(府中一中)近くの借家に一時住んだ記憶がある。
府中一中から国分寺方向への杉林の向こうにあった”花火工場”が爆発し、死傷者がでた事故を断片ながら記憶している。 まだ、小学校に通ってない時分のことだっただろうか・・・。

カナリアの記憶から、人生の航跡を思い出してしまった・・・。立ち止まって振り返るだけならいいが、前方不注意でいては、当該”舟”は、 どこに行き、どうなるのか。 まだまだ、しっかりと前を向いて、行く先を遠望していなければならない。
(12/12/30)

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