四国ツーリング
最小限の時間で最大限に四国を楽しむ




何となく思いついた今年の四国ツーリング。それを真剣に考え始めたのが、2012年の4月初頭ごろ
自分の予想(思い込み)では、「今年のGW前半は仕事になっても、後半の5月3日〜6日の4連休くらいは休めるだろう」と
『4日間でだいたい四国1周ツーリング』を考えていたんですが、4月上旬には仕事の予定&家庭の事情で今年のGW期間中の
4月29日から5月3日までの間は自宅軟禁のスケジュールが確定。
4日間で考えてた四国ツーリングの内容が儚く崩れ去り、『3日間で四国ツーリング』に仕立て直すのに
行きたい場所を減らしてみたところで、やっぱりちょっと回るのがキビしそうなスケジュールになってしまいました。
やっぱり4日間くらいのツーリング日程は欲しいですよねぇ。行き先がドコでも。

しかし、休みが3日間だとしても、今年はどうしても四国に行きたかった。
過去のツーリングを思い出しても、四国方面が若干おざなり気味にしていたせいか、大したところに行っていない・・・・気がする。
特に高知のあるところには、絶対に行かなければ後悔すること間違い無しの場所があることを思い出し、
今年はそこを最大の目的地にして、途中もいろいろと寄り道して走り回るだけではないツーリングにしたかった・・・・・・・んですが、
やっぱり走り回るのがメインのツーリングになる予感がします。




5月4日
さて、今回のツーリングも出発はいつものように朝4時に・・・・・・・・・・・出発したかったけど、願いかなわず。
5月3日から振り出した雨が4日未明まで降り続いたせいか、路面がかなりウェットな状態になっていて、行く気を削ぎます。
さらに、その雨自体もTVやネットで調べると関東の所々で降っているようなのも確認できたんで、ギリギリまで雨模様を
見極めてから出発したかったんです。
で、結局1時間遅れの朝5時出発。とりあえずはスタートからレインスーツは着ないで済みそう。

これまた、いつものように成田から『東関道→首都高→東名→以下略』を使うルートで四国を目指します。
しかし、出発早々、途中の首都高あたりで雨がパラパラと降ってきやがった。
それもだんだんと勢いを増していったんで、仕方なく東名・東京料金所でレインスーツ(上のみ)を着込んでみる。
そしたらば、海老名SAあたりで止んじゃった。本当に気まぐれな雨だ。
朝1時間出発が遅れ、これ以上の時間のロスはしたくなかったんですが、レインスーツを脱ぐのに中野PAで緊急イン。
もうこの時点で首都高→東名の休日渋滞に嵌り、予定していた移動スピード(想定走行距離)に達していないことを気にしながら
レインスーツをしまい込んで、頭の中では『今日の予定』を完遂するための最善策を練り直してました。

もうそのころには雲の隙間から青空も見えるくらいに天気も回復していたんですけれど、イマイチ信用出来ない。
前日からの天気予報などで「大気が不安定な状態」とか連呼していたくらいですから、またドコで雨に降られるか。
が、今の所は天気の急変も無さそうだったんで、気を取り直して再スタート。
ここからはいつものペースで東名→伊勢湾岸→新名阪→京慈バイパス→山陽道と四国方面にひたすら前進。

その間、中途半端に渋滞気味の高速の流れ方に行く手を阻まれたり、天気の急変に見舞われたり
(京慈バイパス→名神あたりでは、5〜6回ほど降ったり止んだりを繰り返してました)しましたが、これ以上のペース遅延は
面白くないので、そういったのはあまり気にしないように走っていました。
しようが無い事象としての『朝の1時間遅れ』は、今日一日のスケジュールに多大な影響を及ぼしました。
やっぱり早起きは三文の徳です。

で、午後3時。やっと瀬戸中央自動車道の与島PAに到着。この時点で推定到着時間から2時間くらい遅れてました。



与島PAにて。
今まで通行したことがなかったんで、通ってみたかった。
それだけの理由で行ってみました。


天気が良くて、いつものように早く出発して、途中の渋滞も上手くやり過ごせたら、もうちょっと早く四国入りして、
金刀比羅宮に行って→高松市一泊
する予定が、与島PAの時点で困難になりました。さて、どうしたものか。
ま、ここから焦ったところでそんなに距離が稼げるわけでもないし、夕方6時ごろには高松市内のホテルへ到着もしたい。
今までハイペースで来た体を休める意味も込めて、ゆっくり作戦を立て直してみる。
・・・・・それならば、フレキシブルに予定を変更。このまま高速を走って高松自動車道の志度ICまで行って、明日行く予定の場所へ。
これなら鳴門海峡を渡った方が近かった。



志度ICにて。
この時点で午後4時20分くらい。


このICからドコへ行くかと言えば、さぬき市内にある平賀源内記念館。
ツーリングマップル中国四国2011年4版1刷の60ページC−1に小さくあった(ただ、表記は平賀源内遺品館)のですが、
見落とすことなく拾ってみました。
で、志度ICから走ること約10分。



その平賀源内記念館に到着ぅ。
閉館30分前に到着しました。


平賀源内って、さぬき市内の志度が誕生地らしくて、それでここに記念館が建ってるわけです。
その記念館があるっていうんですから、そこに寄らないわけにはいかないでしょう。
江戸時代にいろいろな才能で各方面に影響を及ぼした・・・文士であり博物学者であり芸術家であり発明家でもあった・・・
人物がどんなことをやったのか?
はっきり言ってよく知らないんで、この際だからちょっとはよく知っておこう。

ここに寄る前での知識といえば
平賀源内=江戸時代のDr中松程度です。

で、感想。
あの人って51で死去したっていうのに、相当いろいろなことをやってましたねぇ。
発明(日本初のスタンガンであるエレキテル)とかコピーライター(土用の丑の日にうなぎ)とかのごく一部しか
知りませんでしたが、陶芸家・洋画家なんかでも功績を残していたり、杉田玄白の『解体新書』にも協力していたり、
江戸時代終盤の文化形成に多大な影響を及ぼしていたっていうのが良くわかりました。
江戸時代において、あれだけいろんなコトをやってのけてるのは驚きですが、周囲からはよっぽど
浮いて見えていたんじゃないでしょうかねぇ。日本人って、そういったのをあまり受け入れない国民性があると思う。

ま。その偉業を全てここに羅列するってのは不可能に近いので、平賀源内のことをもっと良く知りたい方は
是非この記念館へ。



その記念館で買った絵はがきと貰ったチラシ。
平賀源内って意外と芸達者な人物でした。


この記念館の見学でとりあえず今日一日の予定行動は終了。
記念館から国道11号線で高松市内に予約してるホテルまで流して走る。後は、どっか高松駅前でお土産とか物色して終わりだね。
で、ホテルでゆっくりと明日のルート設定を考えよう。
四国を楽しむのは明日一日しか無いので、なるべく無駄の無いように観光地を回るようにしよう。
ちなみに、明日の宿泊は徳島市です。


     
ホテルにチェックイン後、高松市内で有名なラーメン店『木蘭(むうらん)』に行ってみた。
しかし、残念なことに休み。また次回にします。



上のラーメン店まで彷徨ってるときに見つけました。
ナゾが謎を呼ぶ。




四国ツーリング2日目。
昨日の体力消費をリカバーするように熟睡した結果、スッキリ目覚めて・・・・・・・朝6時に出発。
で、今日一発目の観光地は、琴平町の金刀比羅宮へ。
高松市内からさほど離れていないから、朝からそんなに急ぐ必要もなく、この時間からスタート。
そうすれば、到着してお宮参りをし終わった後に、開店しているであろうお土産屋で買い物も出来るだろう。
そんなプランを考えつつ、今日一日全体のプランを消化していこうとガンパって走ります。



高松駅前にて、恒例の一枚。


高松駅前から11号線→32号線→319号線をひた走る。
その途中までは広い片側2車線の道路で、交通量の少ない早朝だったことも合わせて快適な速度で四国の道を
楽しむことが出来ました。やっぱり早朝は良い。

で、そうやって四国の朝を満喫している間に金刀比羅宮の近くまで到着。


     
金刀比羅宮の間近で撮影。正面の山が琴平山らしい。
写真右の赤い矢印のとこに宮の屋根が見えるのですが、あれが御本宮の屋根か?


琴平市街地をウロウロ走りながら、表参道の近く・・・・橋のとこにあった公園?のような場所・・・・・にバイクを停め、
今回のツーリングで一番体力を使うであろう金刀比羅宮までの石段のぼりに挑戦。
朝7時からこんなコトやるなんて、学生時代の部活の朝練じゃないんだから・・・・・・・・。ゆっくり上ります。



このくらいはまだ序の口。



これが一ノ坂鳥居?
この辺から本格的に階段ばかりになります。



ここが大門?。
上りは緩やかになりましたが、ゴールはまだ先。



やっと旭社へ。
ここを見たときは「ここがゴールか」と間違えました。
多分、下から見えてた屋根はここのだな。



ようやく御本宮に到着。そこへの石段を上りきる・・・・直前の一枚。
登りきるとこの御本宮が写真に納まらない。
この建物がある付近は写真撮影が気軽に出来るほど広くは無かった。



御本宮の脇で一枚。
朝靄の先に見えるのが讃岐富士。


ゆっくり来たつもりが、息が上がり心拍数も上がり、相応の汗もかきながらの到着に。
久しくこれだけの階段を上がったこともなかったし、朝一番の運動としてはかなりハードは部類に入るかもしれない。
前に行った京都の伏見稲荷の階段もこんなにキツかったかなぁ。
昨日の最後のイベントとして来れなかったけど、散々高速をトバした後にここを上ったとしたら、ちょっと大変だったかもしれない。
ま、結果オーライ。


     
で、この御本宮でしか売っていない黄色いお守りを購入。
ついでに、おみくじも引いてみた。


     
うーん、これからのツーリングを暗示してるようなしてないような・・・・・。


おみくじの内容は不安を煽るけども、幸せの黄色いお守りがあるから大丈夫でしょ。
件のおみくじを縛り付けて、さて帰ろう。


     
朝の琴平市街地を見下ろす眺めは良いけど、気をつけないと石段で転びそう。
上るときに急な石段は、下るときも急です。


     
その帰り道で発見。
こういったプロペラ(船舶用?)も奉納するんですね。



こっちは「象の像」、・・・・・シャレか?


無事にあの石段を下りきり、参道付近のお土産物屋で金刀比羅での『お土産を買って→宅急便で送る』をした後、
ここから319号線→32号線で高知方面へ。

金刀比羅宮でおよそ1時間ちょっと過ごしている間に、32号線はそれなりに交通量が増えていったようで、
あまり快適ではない走り方を必要としていました。
とても「快適」とは呼べない速度・・・・・・・・言い換えれば「退屈」、そのくらいの速度で32号線を走るのは非常に「モッタイナイ」。
仕方なく気持ちを切り替えて四国の空気を味わおうと思いながら走ってました。

32号線が吉野川沿いに走るようになってから、タンクバックの地図を再確認。
途中の県道32号線からより山深い方へ進路変更して、K100RSでは止めた方がいいルートを使って祖谷渓へGO。
で、そこで見たかったのが、



有名な小便小僧の像。
(そのままでは卑猥なので、一部画像修正済み)


この像が置いてある場所が、トンでもなく険しい渓谷の危なっかしい場所の上で、想像以上にデンジャラスな光景でした。
その昔、子供たちの度胸試し的な逸話からこの像が置かれたみたいだけど、それを題材にこの像を置いてしまったことも
よっぽど度胸がいる作業だったと思います。



実際にあそこから小便したって、下に行く間に蒸発しそうだ。


情報誌で見た限りでは、もっとユーモラスな雰囲気があると思ってたけど、そういったのは微塵も無いね。
ここばかりは実際に見に行って驚いた方がいい。


     
で、ここに来てもっと驚いたのがこのバス停の存在。
山深い狭小路を普通のバスが走ってます。(実際にすれ違った)
恐るべし四国。


記念撮影もそこそこに、ここから移動開始。
県道32号線をそのまま進んで、ずっと前に見ただけで終わってしまったかずら橋を今度は渡ってみよう。

小便小僧のところから15分くらいでしょうか。かずら橋に到着したんですが、ちょっと興ざめしてしまいました。
昔に来たときは、本当に秘境のような場所の古代遺跡のようなお土産物屋の近くにバイクを停めてかずら橋まで見に行ったのに、
今回来てみたら道が整備され道の駅のような立派な建物&駐車場が出来がっていて、随分雰囲気が変わっていました。
あまりのショックにネタ用の写真も忘れるほど。

かずら橋までアクセスが良くなったのは歓迎するけれども、ちょっと情緒ってのが無くなってしまった気がする。
次に来る頃にはまた変化してるんだろうな。

それでもせっかく来たのだから、今度は渡ってみよう。500円払って。



かずら橋を渡るために別の橋を渡ります。
すでにかずら橋渋滞中。



そのかずら橋の料金所。
ここでも料金所渋滞が発生中。


だいたい10分くらい料金所渋滞の中で過ごしながら、ちょっとした疑問が。・・・・・あの橋って許容荷重どのくらいなのだろう?
橋の入り口にスタッフが立っていて、料金チケットの検札をしていたんですが、それ以外の仕事はしていない様子。
多分、今橋の上に何人渡っているのかまでは把握していないな。
人間の重さを無視出来るほどあの橋って丈夫なんだろか?

そんなことを考えてるうちに渡る順番が来たので、



レッツ、チャレンジ。


やはり「壊れても自然にやさしい素材100%」で出来ているせいか、思いのほかユラユラする。
例えるなら固めのスポンジのような踏み応え。オマケに渡り板の隙間が結構大きめなんで、必要以上に足元を注視しがち。
橋から見える周囲の風景を楽しむ余裕は無かった。


     
周囲の人が歩くたびにユラユラ揺れるのが思ったより怖い。
体を支える左手が橋の欄干を離せなかった。


渡りきるのに1分もかからなかったと思います。それでもう終わり。
「あれだけの橋を渡るのに500円」かと思う一方、「再び踏み応えのある大地に立てて良かった」と思ってもみたり。
良くも悪くも、あの橋を渡るのはもういいです。




かずら橋を渡りきった後、新しく出来てた建物で暫し休憩。
四国の山中に降り注ぐ太陽光線はそれなりに強烈で、若干夏の様相を呈してくれてます。・・・・・まあ、暑いわけです。
それでも気合を入れなおして、かずら橋から移動開始。また32号線に戻って、また高知方面へ。
これから行く場所は今ツーリングでの一番のお楽しみなんです。

かずら橋に来るときよりも増えた交通量に閉口しながら、ただひたすらに淡々と32号線の山道を南下。
途中でケータハム・スーパー7に追いつかれ→先行させながらも淡々と走る。
「そんなに急いだって、遅い車に追いついてしまうんだから・・・・」と思いつつも、その遅い車に毒づいたりしながら
ガマンの走りを強いられてました。
交通量が少ない時は楽しそうな道だったんだけどねぇ。

32号線の山道を下りきって、車線が広くなったところで32号線→249号線→45号線→364号線と繋いでいって、
ちょうどお昼ごろ


     
香南市の四国自動車博物館に到着。


ここの存在はかなり以前からは知っていたのですが、ついぞ立ち寄ることが無く(立ち寄る計画を立てることも無かった)、
ずいぶんと忘れていました。
しかし、今回久しぶりの四国ツーリングを計画して、そのメインイベントとしてかなり期待しながら今回立ち寄りました。

何てったって中に展示してある車が、まさに自分好みの車ばかり。
他の自動車博物館でもなかなかお目にかからない車がここに揃っているんですから、否応なしに気分も高まります。
で、その中の気になる車を早速羅列。


     
まずはコブラ。
テールランプの形状だと「サイドオイラー」か?


     
さらにアルファロメオの155。


     
フィアットのアバルト131ラリー。
この博物館の展示車両で一番見たかったヤツ。


     
ランチャラリー037。
これもカッコいいよねぇ。


     
ランチャデルタS4。
確か、御殿場のアバルト美術館にもあったような気がする。


     
あと、珍しいフォードのRS200。
ロータス・ヨーロッパはこの中では「普通」に見える。


一番上のコブラは別格にしても、途中の4台・・・・155と131と037と038・・・・は特に思い入れが強い車ですね。
そのキーワードは『アバルト』。他の人はどう思うか知りませんが、アバルトの名前を名乗れない(名乗りにくい)
アバルトの車に強い魅力を感じます。

作者注) アルファ155を作ったアルファコルセも中身はアバルトの集団のようなので、こういった括りにしました。

その中でもあまり注目されないアバルト131ラリーの実車が今回見られて、いい体験が出来ました。
お世辞にもカッコいいと思える車ではないので、これを展示して見られるなんて思っていませんでしたから。
基本的にアバルトの車って、一見したところ速そうに見えない市販車を速い車に仕立てる・・・・時には強引な方法で・・・ところに
自称・車好きの私はやられてしまったんです。

その方法論は、広く解釈すれば037&038後のランチャ・デルタもそうだし、そしてスバルや三菱も参戦してたWRCカーも
かなり魅力的な車種だと思ってます。同様に、DTMに参戦してた155もBMW・M3もベンツ・190E2,5とかもカッコいい。
あのコブラも「エンジン載せ換え」方式の車ですから、アバルトのOT2000「モストラ」同様の強引さの結果生まれた車とも
勝手にイメージしてます。
ま、途中の論法はともかく、今回見てこられた車は速くてカッコいい車ばかりでした。

※ 今回ここに紹介しなかったその他の車は私の好みの車ではなかったので、一切触れませんでした。



記念で買った「気になる車」の絵はがき。
なぜコブラのが無いのだ!


さて、見るべきものは見れたので、ぼちぼち移動しましょうか。
博物館の近くのコンビニで簡単に昼食を済ませたら、博物館から大円時方面に向かって、四国の田舎道へ突入!
237号線(神母木野市線)→町田橋→195号線→31号線→32号線と繋いでいって、元来た道を高松方面へ戻る。

博物館の影響を受けすぎてしまったせいか、四国の道がそれこそモンテカルロやコルシカの山道の風景とオーバーラップして
右手に力が入りそうになるのをなるべく堪えながら、安全に走っていきます。
こういった道をああいった車で走ったら・・・・・・、完璧に似合ってるな。想像するだけでも楽しすぎる。

そういった想像をしながら32号線を北上して、その道なりのまま192号線に合流。徳島市街地を目指してゆる〜く流す。
その192号線にいた頃が、ちょうど3時くらい。徳島市までの残り距離とか残り時間とかを考えると、そのまま直行したら
ちょっと時間が余りそうだったし、まだ四国を楽しむ時間を作っても良かろうと、ネタのためにちょっと寄り道。


192号線沿いにある道の駅「貞光ゆうゆう館」
今回のツーリングで是非とも立ち寄ってみたかった場所のひとつです。その目当ては、「ワニの肉」が食べられること。
この192号線と平行して流れている吉野川にワニが生息しているようで、この道の駅でワニ肉が提供されてるんです。
これは食べていかないと話にならないでしょう。

道の駅にバイクを停めて、早速建物内のレストランへ。3時過ぎでも、結構席が埋まっていました。
空いている席に案内されると、早速メニューの中から目当てのモノを探し出しました。


     
「クロコダイルシリーズ」と銘打ったワニ料理。
クロコのベルトとかクロコの財布とかなら、まだ聞きなれた感はありますが
クロコの唐揚げとかクロコの一口カツとかは間違ったジャンル分けをしてると思ってしまいます。


そんなに空腹じゃなかったので、今回はクロコの唐揚げをチョイス。
待ってる間、それとなく周囲を見回してみても、他にクロコダイルシリーズを頼んでいる人はいないようでした。

待つこと暫し、ついにご対面。



ワニの唐揚げ(全景)


・・・・・・・思ったよりも、量が少ないね。ワニの肉をガッツリ食べようと思ったのは間違いなのか?
その味は、昔『川口弘探検隊』で聞いたことのあった『鶏肉みたい』という例えそのもの。馴染みの肉で例えるなら、鶏だね。

いままでの人生の中でいろんな肉・・・・・牛・豚・鶏・羊・猪・馬・鹿・熊・鰻・鯰・蛙・鯨などなど・・・・を食べてきましたが、
そういった中でなぜ牛と豚と鶏がメジャーな肉として流通してきたのかが良く分かります。
味と量と肉を手に入れるためのコストとかを考えていくと、この3つはちょうどいいバランスなんでしょう。

このワニ肉を手に入れるのに、そのワニにどれだけの鶏肉を食わせるのか?同じ肉質なら、そのまま鶏でいいんじゃないか?
その道の駅のレストランでメニューにあった「鶏の唐揚げ」はこの唐揚げの半額以下の値段だったし。
また、肉を手に入れるために必要以上のリスク(=食べようと思ってたら、逆に食べられる危険性)は要らないでしょう?
四国の道の駅でそんなことを思いながら、ワニ肉を食べてました。


さて、道の駅で四国の味を楽しんだら、さっさと移動。残り時間も少ないし、もっと四国を楽しもう。
192号線をまた東に進路を取って、15分くらい走ると道の駅「藍ランド・うだつ」に到着。


     
「うだつが上がらない」の語源になった「うだつ」を見学。
要は昔の防火壁。



間違いのない「日本の原風景」です。


・・・・・と極簡単に見学を済ませて、四国ツーリングはほぼ終了。後は寄り道せずに徳島駅前目指します。

夕方ちかくになるにつれて混んできた192号線の車列の中に溶け込むように走りながら、徳島市街地へ。
やっぱり連休だろうと平日だろうと、どの街でも夕暮れ時の主要街道は混むものですが、初めて行く街の混雑時ほど
余所者が怖い時間帯は無いと思います。
全国一律の道路交通法の他に存在する地方の「ローカルルール」を知らないで地元の人と同じような運転をすると、
足元をすくわれそうになります。

阿波市や吉野川市に差し掛かった辺りではかろうじて動いているような渋滞の中を走って行ったんですが、
皆ギリギリの駆け引きを繰り広げながら走っているように思えてなりませんでした。
メイン街道の192号線沿いにいろいろな商業施設が集まっているせいか、192号線に出たり入ったりする車が多数いて
どれもこれもギリギリまでウィンカーを出さず、ギリギリの車間の中に入り込んだり、ギリギリの隙間を縫っての駐車場に
入ろうとしたり。・・・・・・・それまでの四国内の様子とは若干違った一面を見た気がしました。
多分、千葉(田舎の方)ではそこまで殺気立っての運転はしないだろうなぁ。
ま、こっちは要らぬ事故を貰ってもつまらないので、大人しく走るのみ。
そういった部分も含めて、その土地土地の特徴を発見するのもツーリングの楽しみの一面と思ってます。

で、午後6時に予約してた徳島駅前のホテルに到着。
これにて今年の四国ツーリングは終了ぅ。明日一日かけて千葉に帰るのみとなりました。
さて、いつものごとく「お土産を買い→宅急便で送る」をして、明日に備えてたっぷり寝よう。言わずもがな、明日も早いぞ。




5月6日



朝5時の徳島駅前にて。


四国八十八札所を巡るお遍路さんばりに早朝の出発。
前日から天気予報で「全国的に大気の状態が不安定」なんて言ってるくらいですから、あまりゆっくりと移動は出来ない。
往路のように雨に降られるのも面白くないし、何より金刀比羅宮で引いたおみくじの文面が当たりそうで怖い。
なので、K100RSの走行能力をなるべく引き出すような走り方で高速道をひたすら東へ。

その結果、当日午後2時ごろに無事帰宅。
道中は風は強かったけども、雨雲を見かけることも雨に降られることもなく、青空の下を走って帰ってこれました。
後から天気を調べたら、西から追いかけるように集中豪雨の雨雲が東へ流れてきて、栃木・茨城でトンでもない竜巻の被害が
出るほどの大荒れの天気になったのに、その前に帰ってこれて良かった。

これは『おみくじの内容が外れた』と言うよりかは、『おみくじの内容を振り切って帰ってこれた』と言うことなんだろう。