GPXについて妄想を語ろう 第3回
カワサキにおけるGPXの存在位置。
輸出仕様のGPX。
確か、輸出向けには『F4』まで作られてたはず。
1986年7月。いろんな反省を含めた内容で発売されたGPX750R。
発売直後には750ccクラスのトップセールスを記録したらしい(86年1月発売のGSX−R750マイナーチェンジ版がそれまで
トップだったのをGPXが止めたという記述がある)のですが、その後はあまりパッとしないセールスだったようです。
何なんでしょう?この人気の無さは?
当時発売されたバイク雑誌でGPXを扱った号をいろいろと眺めてたりいろいろとその不人気の原因を探っていたら、
それらしいモノが幾らか散見されたのであまり書く気はしないのですが羅列したいと思います。
GPX不人気の理由@・・・・カワサキらしくない?バイクである。
まあ、新しいバイクが発売される前って時には、大概バイク雑誌でそれなりのページ数を割いて特集記事や試乗記が
書かれたりするのはすごく当然ですが、GPXの記事には大抵こんな言葉が使われています。
曰く、「乗りやすい」「馴染みやすい」「快適」「ニュートラル」「誰でもとっつきやすい」「穏やか」「平和」「400ccのよう」・・・・・・・
およそ『荒々しい』とか『硬派』とかのイメージが強いカワサキのバイクとは思えない形容詞のオンパレード。
当時発売されてた他のバイクとか(カワサキばかりでなく、他社も含めて)の試乗記などの記述を探してみると・・・・・
「ビックバイクの醍醐味」「シャープでパワフル」「レースマシンのベースとしてもトップレベル」「乗りこなす楽しみの多いバイク」
(86年、FZR750)
「豪快なスタイリング」「サーキットを攻めるイメージ」「コーナリング専用車」「レーシングマシンそのまま」
(85年、GSX−R750)
「スパルタンな向きに振られた」「「時流に同調した走りの個性」「高い速度域でのパフォーマンスとスタビリティーを具現化」
(84年、GPZ750R)
等々、大体のバイクにはこういった「購買意欲をそそる」言葉がかなり出てきます
GPXの試乗記にはその言葉が出てこないわけではないのですが、それを雲散霧消させてしまうほど上記のカワサキらしからぬ
言葉が出てきます。
それに、掲載時期を違えた試乗記でさえ同じ形容詞が使われたりしてます。
いろんなバイクに試乗しバイクごとの乗り味の違いを感じ取り、それを記事にしている雑誌記者でさえそのような感じ方を
するのですから、一般のライダーが乗って感じたGPXの感想はどんなものであったのでしょうか?
多分、同様の感想を持つでしょう。
当時のバイク乗りはこういった評価のバイクに対してどう思ったか?
「そんな初心者向けみたいなバイクに乗る気はしない」と思ったのではないでしょうか?
多分、GPXが発表されるまでに何台もバイクを乗り継いだ人はより一層そういった考え方を持ってたりするでしょう。
特にカワサキのバイクは「カワサキ」のイメージが販売のための重要な要素の一つであると思われるので、
排気量・ジャンルを問わずそういったイメージがはっきりと主張してるバイクを作る必要があるとカワサキ自身も理解してたり?
そういったイメージ戦略的に言ったら、GPXのイメージはとっても「カワサキらしくない」バイクであると思わざるを得ない。
当時(86年)の雑誌にあったGPXの広告。
レーサーイメージとかカワサキらしいイメージとかからはかけ離れてるような・・・・
なんか非常に上品なイメージ戦略で攻めてるか?
GPX不人気の理由A・・・・ブーム外のバイクである。
80年代に入ってからのレーサーレプリカブーム。
80年のRZ250から始まって81年のRZ350、82年のGSX400FSインパルス、83年のRG250γ、84年のFZR400と
GSX−R。当時の中型免許クラスのバイクから少しづつですがレーサーっぽい・レーサーに近い・レーサーレプリカのバイクが
登場し始め、750クラスでも85年のGSX−R750、86年のFZR750とかがレーサーレプリカバイクとして注目されてた時代。
そういった時代のなかでのGPXのイメージって?
多分完璧にツーリングバイクのイメージしかなかったでしょう。カワサキ自身も仮想ライバルとしてVFR750Fあたりを見ているようで
車体装備的にもそういった用途でも使える装備が備わったバイク(歴代カワサキバイクってそういったのも充実してる)は
レーサーレプリカ的なバイクではなかった。
そんなブーム外のバイクってのはやっぱり人気車種系列になることはなかった。
GPXのコンセプトの中には「レース時の転用を考えた潜在能力」としてのパワーなり改造余地なんかはあったでしょうけれど、
当時の他社のバイクに対抗するにはあまりに用意が少なすぎた。
すでに他社では「レースも走れる市販バイク」ではなく「サーキットを走ってたヤツを市販しました」的なバイクが台頭してた時期。
一番販売台数の多かったであろう250ccや400ccクラスのバイクにおける「レーサーレプリカ」ブームの時の車体装備なんかは
はっきり言って市街地とかでは過剰装備だったと思います(個人的に)。
本当にレースやる人にはともかく、普通に乗るにはそんなの必要なの?
・・・・・まあ、そういったレーサーイメージやレース対応装備を備えたバイクが重宝された時代が広がり始めてた時期に
アンチレーサーレプリカ的なイメージのGPXはあまりに地味すぎた。
ちなみに、ある雑誌ではレーサーレプリカブームの中において『対極』にあるGSX−R750とGPXが比較試乗されてました。
その分け方は正解。
こっちは87年の雑誌の広告から。
前年のイメージ戦略から一転してレーサーイメージのGPXの広告ですが
当時の8耐で勝ったFZRの説得力にはほど遠い。
GPX不人気の理由B・・・・逆輸入車の流通量増加。
もしかしたら売れなかった一番の理由(にしたい)が、「逆輸入車が手に入りやすくなったから。」ではないでしょうか?
当時の事はよく知りませんが、80年代中盤あたりから輸出専用車が市内のバイク屋なんかでも流通し始めたのでは?
当時のバイク雑誌なんかの広告では、750ccよりも1000ccクラスのバイクの広告記事なんかが目立っているように思います。
やはり「限定解除したら大きいバイクに乗るぞ!」と思ったとき、750ccと1000ccのバイクがあったら大多数は1000ccを
選ぶでしょう。せっかく限定解除して「どんなバイクでもOK」になったのですから。
広告の金額の比較でも750ccの価格に対してプラス20〜30万で1000ccのバイクが買える価格なら
多少の無理は承知で1000ccのバイクを買って乗るのは自然なことと思います。
例えば、当時の各社のバイク・・・・GSX−R750と1100・FZR750と1000・GPX750RとGPZ1000RX・・・では
どちらの方が日本国内でよく売れたのか?
今、中古で買うならどちらの方が手に入れやすいか?多分、1000ccクラスの方でしょう。
そのくらい逆輸入車が流通して、その分750ccクラスの魅力が薄れたのでしょう。
これまた当時の広告から
(円高)ドル安も手伝って、扱うほとんどが逆輸入車。
これじゃ750ccクラスなんて見向きもされない。
と、まあこんな具合に見事にポシャッたGPX。発売開始そうそうに不人気車としての地位を確立してしまったわけなのですが、
別に性能的(馬力とかそういった面で)には他車には引けはとらないと思います。
売れなかったのは、あくまでも「時代のニーズ」に合わなかったから・・・・・・・・・・・・・だと思いたい!
またこんな記事もありました。
「メーカー内でどっちがより地味なバイクか?」対決・・・・ではない。
性能のことで個人的な考えを付け足すならば、GPXの一番の性能ってのは上にもある「乗りやすさ」なのではないでしょうか?
今でこそそういった性能を重視する傾向があります(それでもかなりレース的志向が強い感じがします)が、GPXは当時の
カワサキがレース活動の中で得た「乗りやすさ」を市販車にフィードバックさせた初(?)のバイクじゃないかな〜と思うのです。
今まで(900RとかRXとか)の装備とか新機構ではなくて、市街地での操作感を重視して作ったバイク。
80年代初頭のAMAを振り返ると・・・・。
ローソンの乗ってたZ1000J(S1)。当時ライバルのCB750F(本当は900FベースらしいけどワークスのRS1000の
エンジンパーツを利用するのに750エンジンの方が都合が良かったから「750F」にしました仕様)に対抗するのにやった方法が、
「ライダーに乗り易いバイクに仕上げる」って方法に思えます。
CBーFも使ってた有名な「ブルーマグナム」を使用せずに、それよりも扱いやすい(レース時だけでなくセッティング作業も含めて)
CRスペシャルのキャブレターを使ったり、ライダーが全開にした時に不用意に回しすぎないように付けたレーサー初(?)の
レブリミッターを付けたり、CB−Fに比べて「ライダーの負担を軽減した仕様」に思えるんです。
ある雑誌には、CBーFと比較して「ピークパワーでは4バルブのCBが有利だったがピーキーで、2バルブのS1は過渡特性に
優れていたため楽に乗れ、これが武器であった」という説明もあります。
で、ご存知のように81年・82年と連続してAMAスーパーバイクチャンピオンに。
Z1000J(S1)の後につづいたGPZ750も同様のレース車としての傾向が見られます。
GPZのライバルだったVF750Fは83年シーズン当初から120馬力以上あったのに対して、GPZは110馬力くらい。
シーズン中盤くらいまではパワーにものを言わせるVF勢に遅れをとるレース展開でした。
しかし、シーズン途中から馬力がほぼ対等になってくると、VF勢に比べてハンドリングが良いといわれたGPZの特性を生かして
最終的に83年シーズンも連覇。
そのGPZのキャブレターは当初CRスペシャルを使っていたのに、シーズン途中から市販車同様のCVKにして
パワーと扱いやすさ(アクセル操作の容易さ?)を両立したようです。
一部のカワサキレース関係者この間に、やっぱりレース界でも扱いやすいバイクが良い(速い)ということを学びとったのでは?
(つーか、「当時の技術理論で作ったアルミフレーム&16インチタイヤ&バーハンドル」のVFはハンドリングが良くないらしく、
よくコケて自滅的に負けた。)
※この辺りはAMAを扱った雑誌をよく参照してください。
こういった経験・・・・・「扱いにくい(KR500の)速さより、扱いやすい(S1とかGPZの)速さ」を重視する・・・・がGPXの操作感に
生かされてるんじゃないかな〜っ!?
経験を生かすまでにたっぷり3年くらいかかってますけど。
で、前にも書きましたが、GPXのフレームはその空冷GPZ系列のフレームではなく、フランス・カワサキで使ってた耐久レーサーのフレーム
(それも82年型の)に近い形になって作られてます。
これは想像するにGPZ系列よりも「フレーム性能が向上したフレーム」だったから?
GPXと82年型KRフレームの比較。
それまでのGPZ系列フレームとは違う立方体の四角四面に近い形状になってます
フランス・カワサキでは70年代中盤をZ1を改造した耐久レーサーで走っていましたが、
あのRCBが出てきた辺りから苦戦を強いるようになり、Z1のを改造することを止め特製フレームを用いた耐久レーサーを
レースに投入するようになります。これがだいたい70年代の終わりごろ。
で、81年にZ1000Jが発売されたと同時にエンジンもJ系のエンジンに変更され、1000ccルールが変更される
83年シーズンまで何度かの仕様変更を受けながら耐久レースを続けるわけです。
その耐久レーサーのフレームは、当初(70年代終わり〜81年)はフランス側で作られた鋼管製ダブルクレードルタイプのフレームで
左右のフレームの位置関係がちょっとずれてる形(右側からキャブレターが取り易いような形)でした。
82年シーズンは日本側が作ったダブルクレードルタイプのフレームで、左右対称の形に変更されていました。
さらに83年はその形をアルミ角パイプに置き換えたようなダブルクレードルタイプのフレームに。
このアルミフレームについてちょっと調べてみたら、鋼管からアルミに材質を変更したときに強度計算を間違えたらしく(?)
後からサブフレームが必要になったらしい。非常にカワサキらしいエピソードですね。
※この辺りは80年代の耐久特集を組んだ雑誌をよく参照してください。
そして、その83年シーズンが終わってからカワサキはレースで使ったアルミフレームを市販車でも使うわけですが
(84年4月にKR250。85年2月にGPZ400R)、その強度計算の間違いを引きずって作ってしまったかは別にして
そこそこの販売台数をこなしたわけです。
で、「何かおかしいと思った」か「もっと操縦しやすい特性が欲しい」か「計算間違いを修正する」かは知りませんが、
その後に登場するGPXでは82年シーズンの鋼管フレームタイプに近いフレームを踏襲する形状になるわけです。
GPXの開発計画が「再開」されたときに、フレーム設計陣ではS1とかKR1000とかのフレームを参考にしつつ
GPXのフレームを設計してたと思われますが、そのS1とKR1000を比べたときにS1よりもKR1000の方が強度とか
剛性とかフレーム重量とか生産性とかが優れてると判断してその形状を使ったんじゃないか?
そのKRフレーム(82年型)の名残が見られる部分。
KRフレームが採用してたダブルロッキングアーム・・・・上下2本のスイングアーム・・・・をつけてた穴。
結局使える代物ではなく要らないなった穴なのですが、GPXのフレームに何故か残してあります。
これは「記念」に残してあるのかな?
そういったカワサキ設計陣の考えやコンセプト・イメージが購買層に全く伝わらず、結果的にGPX750Rは
カワサキのバイクの中で「マイナー」とか「カワサキらしくないバイク」として決め付けられ、1世代限りのバイクとして
バブルがはじける90年代を迎えることなく消えていったわけです。
90年代そして2000年を越えてからGPXの存在を考えてみると、一般的なGPXの評価とは別にカワサキ内部での
GPXの評価って決して悪いものではなかったみたいです。
それぞれの時代の中で、カワサキラインナップのなかにGPXの名残というか遺産というか・・・・、結構使われてます。
一番に目立つのがエンジン。
GPXのエンジンがその後のZXR750のエンジンベースとして使われ、その後のZX−7RRまでカワサキとしては珍しく
各種の仕様変更が何度もつぎ込まれたエンジンになっています。
その後さらにZX−9R(B型)のエンジンにもなったり、最後はモトGP用エンジンにまで使われることに。
前にちょっと書きましたが、ZX−9R(B型)のエンジンはGPXベースの改良型エンジンです。GPXから始まって、ZXR750を経て
最後は900ccくらいまで排気量を増やしてZX−9Rに積んだってわけ。
それは両車のエンジンを見比べれば一目瞭然。特に左サイド。
ちなみにこの事はカワサキ公認なので(BS誌の94年5月号に書いてある)、ZX−9R(B型)のオーナー諸氏は胸を張って
「GPXがベースです」と公言しましょう!
左上からGPX、ZXR、ZX−7R、ZX−9R、2002年型モトGP用エンジンの「左サイド」の写真。
GPXはすぐに消滅してしまいましたが、20年近く経ってもGPXーDNAは健在です。
過去カワサキのエンジンはあまり仕様変更をしなかった(仕様変更しただろうけどあまり目立たないようにやってた)。
Z1からZ1000Jになったときには内部には多数の仕様変更・改良が加えられたのに、外観上は「角ばったデザイン」にした
くらいにしか見えず、パッと見た目はほぼ同じ。
空冷GPZ系エンジンも、ベースになったZ650から750ccクラスまで排気量を上げたころからはかなり完成されたエンジンに
なったのか、ほとんど変化が無いように見えます。実際はこれもそれぞれの時代にあわせて改良しつづけたのですが・・・・・。
GPZ900Rからの水冷エンジンも「以下同文」。改良してても、外観は大差なし。
その気になれば、エンジンの載せ換えなんか全然苦労しないで出来そう(素人の予想ですが)。
まあ、「載せ買え」なくても「エンジン内部の部品に、後年型の改良型部品を流用してます」程度は簡単でしょう。
ちょっと余談ですが、カワサキがZRX1200を作るときの話を。
前モデルのZRX1100のエンジンをベースに新しい1200ccエンジンを作ったのですが、
単純に1100ccエンジンのボアアップ&ストロークアップで作ったのではなくて、それまでのシリンダーピッチやミッション位置の
変更はせずに、ボアアップ・ストロークアップのためにスタッドボルトの位置を変更したりクランクケースを新規に作成したりして
水冷GPZ系エンジンのスタイルを変更しないで済むように作ったんだそうです。
そんな面倒クサイことするなら、いっそ新規に新エンジン作った方が良かったんじゃない?
カワサキはそのくらい同系エンジンを地道に改良することが好きな会社なんです。
しかし、GPX系ではそんな流用は難しそうです。
GPX・ZXR・ZX−7Rの間では仕様変更とか改良の幅を超えた「ほぼ新造しました」に近いものがあります。
吸気方向・カムチェーンの位置・バルブの作動用ロッカーアームの有無・etcetc・・・・・・・・。
カワサキ公認で同じ系列のエンジンですって言われても、それまでのエンジン系列から比べると変わりすぎ。
ここまでを振り返ってGPXのコンセプト「レースにも対応したバイク」ってのを考えると、「レース対応」って言うのは
「エンジン設計の変更を躊躇わない」ことだったのではと思いたくなります。
GPX登場以前。Z1系や空冷GPZ系などの市販車ベースでレースをやってた頃、市販車ベースゆえの限界みたいのが
あったのでしょう。
どれだけ特殊なパーツや組み立て方をしたところで、基礎となる市販車エンジンの形を崩すわけにはいかず、
結局市販車の延長線上のエンジンにしかならなかった?
他社(特にH社)のやり方なんか、「ワークス仕様の内部パーツを組み込んだ」Fとか「レースで先行開発した設計を反映した」VFとか
やりたい放題に見えたのでしょう。一応「スーパーバイク」のレースなのに。
で、カワサキはそれまでの「エンジンを地道に改良する」自社ルールを使わない「簡単に設計変更するエンジン」として
GPX系のエンジンを位置づけたのではないでしょうか?
レースでの使用を考えて、良いアイデアとか理論とかをすぐに反映させてレースに使えるエンジンとする設計思想。
平たく言えば「何でもアリ」なエンジン。
カワサキ以外でのレース用(レース使用を考慮したモデル)のエンジンを見てみると、やっぱりレースでの成績(効果)を反映させて
エンジン内部の改良を施すモノも多く見受けられます。
例えば、ボア・ストロークを何度か変更したりカムシャフトとロッカーアームを変更した油冷GSX−Rとかが一番分かりやすいでしょう。
同様のことはRC30⇔RC45でも行われたし(確かカムチェーンの位置が変わった)、両車とも、細かい変更を含めればキリが無い。
そういった中では、ヤマハのFZR系が一番変更が少なそう。
他社がそういったエンジンを持ってレース活動をしてるのを黙って見てるわけにはいかなかったんでしょう。
だから、カワサキも市販用とは別に「変更していくことが普通」のエンジンとしてGPX系のエンジンの設計をしたのではないか?
そういう風に思うと、ロッカーアームの設計あたりも納得出来る。だって、もし問題があれば変えちゃえばいいのだから。
そんな運命の下に作られたGPX系エンジン。
数々の変更を受けてカワサキ歴代のレース用モデルなどに使われていたのですが、意外なトコロに意外な影響を与えていました。
それはMVアグスタのエンジン。あのエンジンってGPX系(正確にはセンターカムチェーン時代のZXR系エンジン)に似てませんか?
そのMVアグスタのエンジン。
オルタネーター・クラッチスレーブシリンダー・冷却水ポンプの位置は言うに及ばず、
シリンダーブロックのデザインとかにGPX系の雰囲気があると思うのです。
エンジン右側も同様。
クランクエンド周りを左右入れ替えただけでZXRのエンジンになりそう。
その昔、MVアグスタが復活するって噂(その前はフェラーリの作った並列4気筒エンジンをカジバブランドのバイクに積むって噂)が
あったとき、ビモータから移ったタンブリーニ氏がいたせいかエンジンのことに話が及ぶと
『ビモータで使っていたヤマハのエンジンのように、深く前傾したエンジンデザイン』とかの憶測が言われてたのに、
実際市販されたらどう見たってヤマハのには見えない。
国産4社のエンジンの中から一番似てるエンジンを取り出すなら、一番カワサキのZXR系エンジンに近いデザインに見えます。
そりゃエンジン内部とかの設計は全然違うと思いますよ。ここで言ってるのはエンジンのデザインの話ですから。
でも、なんかZXR系の影響を受けすぎたデザインに見えてしまってしょうがない。
想像を膨らませると、これは「イタリアバイク界のカワサキに対する復讐?」と思えてしまいます。
歴史を遡ること30年くらい。あのZ1が作られたとき、そのエンジンはまるでMVアグスタのエンジンのようだった。
・・・・かは別にして、Z1登場以前には「空冷4気筒でDOHC機構」のバイクはMVアグスタくらいしかなかった。
そもそも、空冷4気筒エンジンってイタリア産(確か歴史上一番最初に作ったのはジレラで、当時一番成功してたのがMVアグスタ)の
エンジンなのに、それを後から出てきた日本製のに追い越された(市販してたMVアグスタよりも大量生産でしかも速い)
MVアグスタやそれを自慢していたであろうイタリア人の立場って?
そのMVアグスタを復活させた現・MVアグスタのゴットファーザーことカスティリオーニがタンブリーニにバイクのデザインを
指示する際に、「カワサキのエンジンに似せたデザインにしろ!」って言ったかもしれない。
MVアグスタの復活に多大な労力とこだわりをもって仕事をしてたであろうタンブリーニも、自分の設計したフレームに乗る寸法さえ
クリアすればたかが『エンジンデザイン』なんてカワサキだろうがヤマハだろうが何でもよかったんじゃない?
そういった会話があったであろう90年代初頭(MVアグスタのゴットファーザーことカスティリオーニがMVアグスタの名前を
買ったのが91年)のカワサキのエンジンで当時のレース用に使ってたのがZXR750。
MVアグスタのゴットファーザーことカスティリオーニはMVアグスタを復活させる際に考えたのが、「昔レースで活躍してた
バイクなのだから、レース規定(91年のころ)にも合う750ccエンジンにしよう」ってことみたいに思えるので、
その規定にあったカワサキのエンジンのデザインを拝借して作ったのがF4だったりして・・・・・。
そうでなきゃ今時750ccエンジンのバイクなんて作らない。
※91年にMVアグスタを買って、最初のバイクを市販したのが99年。すでに時代は1000ccバイクに移行してました。
イタリア人は仕事が遅い。
ちなみにこのMVアグスタのフレームはGPX同様の
メインフレームは「スチール製」で車体後半のサブフレームが「アルミ製」となっています。
最近のKTM製バイクもそうですが、メインはスチール製・サブがアルミ製って構成は
取り立てて珍しい構成では無さそう。
つまり、GPXは普通のフレーム構成な訳だ。
別な頃にイギリスのトライアンフが復活して並列の3・4気筒のエンジンを作ったときには、スクープされたバイク写真を出して
「サイドカムチェーンを取り入れたカワサキみたいなエンジン」なんて揶揄されたのに(まあ、バイク全体もなんかカワサキチックだった)
このMVアグスタでは「カワサキみたいなエンジン」なんて何処も取り上げなかった。
誰もカワサキZXR系エンジンのことを知らなかったのか、イタリアのゴットファーザーが怖かったのか?
トライアンフの「カワサキエンジン」以上にMVアグスタのエンジンはカワサキエンジンに似てると思います。
トライアンフ復活第一弾のトライデント。
エンジンはともかく、スチール製バックボーンフレームとかの構成が
『カワサキのGPZ900Rのネイキッド版』的なデザインのバイクになっちゃってます。
GPXの遺産はエンジンだけではありません。そのフレームも現在のカワサキに引き継がれています。
過去を振り返ると、Z1から始まった(言われがちですが、もとを正せばマッハVあたりから使われてた)ダブルクレードルタイプの
スチールフレーム。
カワサキ史の中ではGPXシリーズで使われたのを最後にいったん消えてしまってます。
で、後のゼファーシリーズで復活して、「カワサキ伝統のフレーム形式」なんて持ち上げられているわけですが・・・・・・
そのフレームもZ1&Z1000J系とも違う、言うならばGPX系ともいえるフレーム形式になってます。
スチール製パイプフレームの補強作業などでよく出て来るヘッドパイプ付近の形状。
カワサキ製のスチール製パイプフレームの形状を比べると、明らかにGPX以前と以後で形状が異なっています。
(フレーム下まわりとかスィングアーム・ピポット周辺は積むエンジンやサス形式によってモデルごとに形が違うのでここでは省略)
GPX以前ではこんな形。
左がZ1、右がZ1000J系。
あと空冷GPZ系もこんな感じ。
そして、GPXで新しい形状のフレームが採用されて、
カワサキの新時代を背負って作られたフレーム。
後のカワサキでこのように使われております。
左がゼファーで、右がZR−7.
GPXとゼファーとの比較写真。
ヘッドパイプ付近の作り方はそっくり。
よくゼファーなんかの記事で「Z1から続くカワサキ伝統のダブルクレードルフレーム」とかの文字を目にしますが、
実際は「GPXで採用された新形状フレームを使って作られたダブルクレードルフレーム」の方が適切な表現だと思います。
Zの伝統はXが支えている。
『カワサキ伝統のフレーム』って言うのであれば、今現在残ってるのはZ1000P・・・・いわゆるポリス使用のZ・・・・しかない。
これはシーラカンスみたいに「走る化石」と呼ぶにふさわしいと思う。
さらにいろいろと調べたら、
ZRX系フレームも同様の作り方。
ちょっと前に売ってたGPZ1100(水冷)も同様のフレームでした。
近年のカワサキの「ダブルクレードルフレーム」は、ほとんどがこのGPX系列と言えるほどの形状になってると思います。
中型でもGPX400R以前と以後でのダブルクレードルフレームは変わっていて、これも「中型GPX系列フレーム」と区分されるべき
ものになってると思います。
このことからも、GPX開発時にエンジン共々かなり先を見据えた(かのように見える)構成にしたフレームを作ったようです。
でなければ、こんなに後年まで影響を与えてるわけがない。
で、ここで思い出すのが、GPX登場直前ごろに登場したアルミフレームのこと。
あのアルミフレームが作られてからかなり時間が経つわけですが、あのアルミフレームを使ったカワサキ製バイクって?
強いて言えば、ZZ−R400で使われてるくらいじゃない?
また、GPZ900Rで使ったバックボーンフレームは?GPZ900Rのみで終わってるでしょう?ZX−12Rは消えたし。
(ZZR1400で残ってはいますが)
※だいたい、GPZ900Rって人気あったの日本だけだろう?。
ニンジャの呼称で呼ばれた北米仕様のヤツだって結局A3で販売中止してるし(やっぱり北米では人気無かったか?)、
欧州仕様でもA8あたりで終わってる。
それからはA10以降の日本仕様とか逆輸入専用のマレーシア仕様とかだけ。
何でそんなに人気があるのか。個人的にはそんなに魅力的なバイクではない。
ちょっと脱線。
GPX登場以前に出たヤツで残ってるのって実は大して残ってなかったり?
まあ、GPXのフロント16インチホイールも残ってませんけどね。・・・・・・タイヤ選択の辛さがGPXオーナーの悩みの一つ。
GPZ系のように人気は出なかったGPXですが、その内容は後世のカワサキラインナップにGPZ系以上の影響を与えてると思います。
GPZのように表舞台には出ないものの、確実に今のカワサキの中にGPXは残り続けています。
だから、世の中にもうちょっとで良いから「GPXの良さ」というか「実力」みたいなモノが認知されてもおかしくないと思うのですが・・・・。
ここまで読んだあなたはどう思いますか?