If 〜捕獲〜

もどる/後編へ


「やっと見付けた!」
「な…何っ?」
学校からの帰り道…突然、半助の腕を掴み上げたのは、見たこともない男だった。
半助より頭半分ほど大きいその男は、鍛えられた身体と、その佇まいから徒者では気配を放っていた。
人を食ったように口元はニヤリと笑っているが、その双眸は鋭く、半助を黙らせるだけのものを持っていた。
そして、その男は…半助がかつて何度もされた行為をする。
半助の耳元に顔寄せ、くん…と臭いを嗅ぐ動作。
これが、ただ体臭を嗅ぐ為のものでは無いことを、半助は知っていた。
同時に、血の下がる様な恐怖を感じる。
見たこともない…恐らく、月氏(がっし)の男。
あの人は、言っていた。
万が一、別の月氏の者に出会ったら、主人を呼ぶと言って脅して、逃げろ…と。
「良〜い感じになってるねぇ」
男の目が嫌な感じに光った様に見えたのは…半助の、気のせいか?
気のせいだと…思いたい。
月氏にとって、自分はデザートのようなもの。
人格を認める事は無く、ただ『ご馳走精製マシン』のようなものだと…言っていた。
しかし、月氏は自主独立の意識が強い。
人様のモノに手出しして、要らぬトラブルを抱え込む程…愚かでもない。
万が一の場合は、主人の名を出せば、何とかなる筈。
「や…止めて下さい。主人を呼びますヨ」
虚勢は張っていても、声が震えるのは隠せなかった。
ただし…
人の関わる事を好まない月氏に、同じ人が遭遇することなど、そうそう有り得ない事。
だから、要らぬ心配だろう…とも言っていた。
有り得ない事が前提だったのだ。
それが……出逢ってしまった。
「主人って、誰?」
震える半助を追いつめる様に、男は笑う。
半助の言葉に、怯んだ様子は、全くと言ってなかった。
それどころか、むしろ呼べとでも言わんばかりの態度。
そして、信じられない言葉を告げる。

「捨てられたんだろう?山田伝蔵に…」

「な…っ?」
男の口から出された名前に、半助は凍りついた。
その名前を聞くだけで、心が引き裂かれそうだった。
そして…捨てられた事実さえも知っている。
そう、半助は捨てられたのだ。
人としての幸せを求めろと、伝蔵は自分を、あの人の果実(デセール)にはしてくれなかった。
出来る限り人として…半助が生きられる様に、最大限の努力をして、半助の前から姿を消した。
しかし、半助の身体の隅々にまで溶け込んだ、伝蔵の血の全てを抜き取る事は出来なかった。
その中途半端な身体と、半助の気持ちを置き去りにする事が、どれ程残酷な事かも知らずに…。
「あの人も勿体ない事するよなぁ〜。果実なんて、そうそうゲット出来ないんだから」
男は、再びにやりと笑う。
半助は、ゾッとする。
男が月氏で有ることは、間違いない。
しかも…伝蔵の残した唯一の防護壁は、役に立たない事も分かった。
そんな捨てられた果実が、月氏にどんな扱いをされるのか?
…家畜。
あの伝蔵からさえ、何気なく出た言葉だ。
普通の月氏なら…それ以下として扱われるかもしれない。
それは…嫌だ。
あの人の為だったら、自分の血肉、命の全てだって捧げても良かった。
でも、こんな見ず知らずの男には…嫌だ。
死んでも…嫌だ。
「や…やだ…っ!」
半助は、掴まれた腕を振り払おうと、必死に暴れる。
「アンタは、捨てられたモンだ。どうしようと俺の勝手だよなぁ〜」
次の瞬間、目の眩むような衝撃が、頬に当たった。
男が半助を平手打ちにしたのだ。
凄い力だった。
半助は、その一撃で膝から力が抜け、地面に崩れ落ちそうになった。
「うぐ…ぅ、…っ」
それを男が掴み上げる。
それは半助を助ける為のものでは無く、次の制裁を加える為だった。
何の容赦も無く、反対の頬も張られる。
そのまま何度か、首が左右にぶれる程の威力で、繰り返される打擲。
口の中には、血の味が広がる。
男は、半助がぐったりしたのに気が付くと、半助の顔を自分の方へ向けさせる。
ガクガクと震える半開きの口元に、血が滴っているのを目に留めると、指をねじ込み口を開けさせ、覗き込む。
叩かれた衝撃で歯に当たった内頬が、幾つも傷口を開けていた。
「あぁ〜ザックリ」
自分がやっておいて、酷い言い草だ。
しかし半助にとっては、全ての発言・行動が恐怖の対象になった。
半助の口角を伝う血を、男は美味そうに舐め取った。
「オマエは、これから俺の果実だ。良かったな、飼い主が見付かって」
男は決めてしまった。
半助の意志など関係ないのだ。
ずっと…これからも。
半助の心を絶望の闇が包んだ。

                     ◇   ◇   ◇

男は、大木雅之助という名前を持つ月氏だった。
そして、伝蔵や利吉と顔見知りだと言う。
雅之助の家に連れ込まれた半助は、有無を言わさず【血の契約】を交わさせられた。
元々、伝蔵の血を受け入れた事のある身体は、半助の希望に反して、雅之助の血も難なく受け入れてしまった。
そして、伝蔵と自分の間に、完全な【血の契約】が交わされていたのでは無い事を、思い知らされた。
半助は、伝蔵の血――精気を受け入れた。
しかし、本来の【血の契約】は…
その上で半助の中で精製された精気を、伝蔵が口にし、改めて伝蔵の精気を与える事で、初めて成立するものなのだ。


雅之助は、半助をベットに放り出すと、半助にのし掛かった。
「一応、見た目を綺麗にしてからか…」
などと呟きつつ、雅之助は、紫色に腫れ上がりつつあった半助の頬に、ちょいと舌を這わした。
それが月氏流の人の治療だ。
半助の外傷は、跡形もなく消えた。
しかし、見た目の傷がなくなったからと言って、半助に刻みつけられた恐怖が消える事はなかった。
「今から、俺とオマエの【血の契約】をする」
「【血の契約】?…それは、もぅ」
雅之助は、半助の返事など意に介さず、半助の顎を押さえ付け、口を無理矢理開けさせる。
半助に宣言するだけ、まだマシな行動だったかもしれない。
自分の指を噛み切ると、開かせた半助の口元に目をやる。
血を舐めさせられる事を理解した半助は、藻掻いたが、雅之助の身体はびくともしなかった。
指先に玉になった雅之助の…血液。
それを半助の口の中に…。
「……ぁっ!」
ぽたぽたと、それは滴った。
…嫌だっ!
半助の口の中に、先程まで充満していた自分のものとは異なる血の味と、舌の上に、じわりと熱が広がる。
雅之助は、自分の血を口にした半助に満足したのか、半助から身を離す。
半助は、口元を押さえる様に横向きに丸くなった。
必死に吐き出そうとしても、どうしても出来なかった。
半助のすぐ横に腰を下ろすと、面白そうに半助を観察する。
半助は思った。
身体が受け入れなければ良い。
自分の身体が、伝蔵の血しか受け入れられなければ、このまま死ねる。
「あぁぁーっ!んっんっ…あぁ…っ!」
なのに…身体が、暴走を始めた。
全身に火が着いたように火照って、心臓がドキドキする。
まるで、久しぶりに伝蔵に逢った時の様に…。
「違うっ!」
半助は、自分の身体を、ひしと抱いた。
「違う!」
あの人の時と、違うのだ。
同じな訳がない!
「違う!」
静まれ!静まれ!必死に祈った。
しかし…
半助は、裏切られるのだ。
…自分の身体にまで。

半助の祈りは、いつも誰にも届かない。






もどる/後編へ