赤ちゃん誕生と生命の不思議

子供を持つ親であれば誰もが、内心不思議な驚きと感動をもって我が子の成長の様子を見つめた、そんな体験が何度かあるのではないでしょうか。そして最初に体験する驚きと感動は、生まれて間もなく未だ目も開かない赤ちゃんを胸に抱いたときです。 その小さな身体は無心に手足を動かし、いのちを委ねてきます。そのけなげさに母性本能は大いに刺激を受けるのです。
そして肉体的にはまだ骨格がやわらかい新生児であれば、身もこころもやさしくなってそっと抱きかかえます。新生児は母親に抱かれると、反射的に口を開き、顔を動かそうとします。その一生懸命なしぐさは、とてもほほ笑ましくかわいさがつのります。
そして小さな体は生きようとする力強さを秘めていることを知ります。人間の赤ちゃんといえども、生きるための本能は動物の赤ちゃんと変わらない..というと不謹慎としかられそうですが、母乳またはミルクを上手に、一息一息ごくりごくりと飲む様子は驚くほど生命力に満ちています。

誰に習ったわけでもないのに、なんと上手に生きるための本能を身に付けて生まれでるのだろう と、しみじみ感心したものです。親となり小さな発見をするひとときは、親子共にかけがえのない濃密な時間であったこと、そして命とは本来光り輝いている...そのことを教えてくれてありがとうという想いです。
でもその反面人の親となることは大きな責任が伴います。楽しいことうれしいことばかりではありません。子育ては年中無休、ストレスがたまると、ついつい怒りっぽくなります。本来子供は親まかせの弱い存在なのに気付かなくて叱ってばかり、とか。子育て以前に、自分育てもままならない自分に気づいて情けなくなったり...色々ありました。

子育ては大変ですが、良くも悪しくも、女性の人生模様を豊かにするプロセスであるようです。体内で生命を育て、それを誕生させる神秘を実体験する女性の身体のメカニズムは本当に凄いと想います。
胎児は母親の子宮内の羊水の中で、頭を下にした状態で育ちます。これ以上ないほど不思議なことが、日々母体内で進行していることになります。その間、母体の主(ぬし)である母親は、普段通り栄養を取って生活するだけで、肉体生命のメカニズムにお任せ状態にあります。

胎児は母体の子宮内で、胎盤からへその緒を通して必要な栄養をもらって成長します。子宮内で羊水に守られているので当然肺の機能は活動していません。
お母さんとは別の生命でありながら、胎児は母体内でお母さんの生命活動と一体化していることになります。
そしていよいよ誕生の日が来て、この世に生まれ出る赤ちゃんは懸命に頑張ります。(多分きっと)
母子ともに頑張って、母体から生まれた出た新生児の産声(うぶごえ)はまさに生命の誕生を告げるひびきです。
それまで働きを閉じていた、肺門がひらくと、気管、肺胞といった一連の組織が開き、肺の働きが始まります。(学問的なことに関しては私は無知なので間違っているかもしれません)

肺呼吸が始まるその瞬間こそ、まさに地上への誕生ということになります。胎児は一たび母体外に生まれでるとすぐにも、肺呼吸が始まるという驚くべきスイッチの切り替えが行われるのですが、あまり見事すぎて当然視してしまうほど、見事な生命のプログラミングが進行していることになります。
不思議というしかない不思議の連続によって初めて新しい生命の誕生となるわけなので、生命の働きを司る叡智の存在を信じないわけにはいきません。そして只々感嘆します。

旧約聖書の記述の中で、神様がその神ご自身に似せて土(?)で創った人間の原形の鼻から神様の息を吹き込んだ、という意味の表現があります。 赤ちゃんの誕生も、地上に生まれて、神様の命の一筋が注ぎ込まれて生命活動が始まるということでは、どこか聖書の表現と似てなくもありません。 
なぜなら、五体満足の体で生まれても、すぐに産声を上げられない赤ちゃんもいるからです。
生まれ出る前は元気な心臓音を響かせていたとしてもです。何かのアクシデントで肺門がひらかなければ、この世に誕生しても、仮死状態が続くことになります。

母体内にいた時は正常だった機能が止まれば、生命が危うくなります。なぜなら、脳にも心臓にも酸素が供給されないからです。たとえ助かったとしても機能障害がの頃こともあるそうです。

そんな大切なメカニズムの進行が赤ちゃんの産声発生のかげにはあるのです。
仮死状態の赤ちゃんへの対処法はもっぱら身体や背中をさすったり叩いたりという、外からの刺激だけです。医学的処置法はないのではないでしょうか。
そんなことを思い合わせると 赤ちゃんの肺呼吸の始動を可能にするシステムが吐息行為から始まるのではないかと考えたりします。だとすれば、呼吸のメカニズムはすごい叡智を秘めているように思えます。

そのように私たちの考えが及ばない素晴らしい叡智は、日常的に当たり前の事のように、私たちに奇跡を供給し続けてくれています。 人間の肉体ほど超精密極機能をもった生命組織はないと想います。 
その上、私たちは精神という、コンピューターでは決してプログラミング出来ないソフトシステムの所有者でもあります。
考えようによっては、私達はこの世に生まれ出たその時から、不思議体験が始まり、日々体内ではそれが続いているのかも知れません。

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