死を恐れなくなる心構えについて
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  『死んだらどうなるQ&A』 著者五井昌久 白光出版刊

 Q 死を恐れなくなる心構えを教えてください (P24)
 A 
死を恐れなくなることは、人間等しく念願していることなのですが、人間の真実の姿をはっきり認識しない限りは、死を超えることはできません。
(中略)
私たちがこれが人間自身だと思っている肉体身は、実は人間の一つの現われに過ぎず、
人間生命は、肉体以外の他の体、つまり肉体身より微妙な波動を持つ、幽体とか霊体とか神体という、種々の体をもって活動しているのであります
違う言葉でいえば、エーテル体とか、アストラル体とか、メンタル体とかブデー体とかいうことになります。
そして肉体の死というのは、ただ単に自己が肉体波動から、より微妙な」生命波動に移って、活動することになったことに過ぎないのです。


こうした真理を知ることが大事なのですが、こう説明されただけでは、そうですか、それでは死ぬことは、なんでもありませんね、という具合に想いが切り変わるわけにはまいりません。自分は肉体身だけではないのだ、肉体身において、その環境に於いて、誠心誠意の生き方をしていれば、肉体身を脱け出た死後には、肉体身の生活とはくらべようもない程、雌雄で美しい環境で活躍できるのだ、ということを、常に自分に言い聞かせておいてその想いを潜在意識に入れておくことが大事なのです。

死を恐れるということは、自己がそこで消滅してしまうことの恐れや、死後の世界の不明な点からくるのですから、死という事が他界への転移であって、自己が一心に日常生活を生きていさえすれば、よりよい世界に転出することができるのだ、ということを知ることによって、自己の心が安まり死を恐れる気持ちが薄らいでくるものです。

それからそれよりももっと大事なことは、自己の生命は神よりきているものであり、神のみ心は慈愛なのだから、神が人間に対して悪いようにするわけがない、と信じて、神のみ心の中に、常に入りこんでいることです。いわゆる真実の信仰心なのです。
真実の信仰心ということは、神が罰を当てるとか、自分たちの行いが悪いからといって、恐れているような信仰態度ではありません。真実の宗教信仰者は、自己が神の分生命であることを認識し、親神様の大愛に、自己のすべてを託しゆだねて生活してゆける人でなければなりません。神が愛そのものであることを信じなければ宗教信仰というものは成り立ちません。
(中略)
自己の身近に守護の神霊がいらっしゃって、自分たちのねむっている間も守りつづけていて下さるのだ、ということは、どんなにか安心できることでしょう。この守護の神霊は、その守られている人々が、生れるときから、死後の世界までもついていってくれるのですから、守護霊、守護神に死後のことまでも、お願いしていれば、これほど安心な事はないのです。
守護神はあなたを、肉体身において置かれていた環境より 以上の世界に連れて行ってくれることは必定なのであります。
それは私が幾多の例で、よく知っているのです。私などは守護の神霊と全く一つに交流して働いていますので、神々のみ働きを熟知しているのです。
死の恐怖を超える方法としては、今申し上げた二つの方法を同時におやりになってくだされば、、必ず非常な効果がありますから、ぜひおやりください。
またそれに加えて世界平和の祈りをおやりになれば、あなたの生活はますます光輝あるものとなります。


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人間とは肉体生命だけを観て、その働きの全容を説き明かすことができない存在です。
そのことを上記の解説は明らかにしています。
でも私達の実感は、肉体だけが生命であることを100%疑いません。その実感は常識を固定化させ続けています。その常識は死んだ先のことはだれにも判らない、語れないという見解を崩しません。

その思考は一見、私たちが死後に対する不安や迷いに対する答のように見えます。そのためか、死生観は本当は生命観を左右する大きな問題であるはずですが、むしろ避けて通る課題であるかのようです。
避けたい問題だから避けるというだけでは、死に対する内心の不安や恐怖はぬぐえないことは、個々の意識が知っていることではないでしょうか。


上に記した文章の著者は、有限とい枠の中に生命認識を閉じこめることの誤りを指摘しています。
人間生命に対する認識が有限か無限かのどちらに向かうかによって、死後の事まで含めて、人間に内在する可能性の開発と運命に大きな差が生じることを著者は明らかにしています。

動物は神の被造物といわれます。一方で、人間は神ご自身のいのちの光を宿す分霊であり、創造の働きを内に持つ生命体であるといわれています。
でも私たちは、異次元と称される、幽界、霊界、神界の存在を確かめたり観察することは出来ません。確かめようがないのですから、意識の選択肢は2択しかなくて、信じるか信じないかという領域です。

そんな生命の働きの中で意識が肉体感覚から離れる時間帯があります。それは睡眠中です。
日々私たちは、肉体の疲労に加えて精神的疲労素が溜まります。そうした身心全般の疲労回復、健康改善の為、睡眠は欠かせません。
その睡眠中も肉体の諸機能は働いているという、当たり前のことは、実は当たり前ではないかも知れません。見えない働きの不思議を当たり前としない時、そこに生命の叡智という、私たちが知り得ない働きがあることを否定できません。

上記の教えから、私達が眠っている間も、生命そのものは常に休みなく働きつづけている、それは 神体、霊体、幽体という見えない働きと無関係ではないからと考えることができます。
それを肯定できれば、死を恐れない正しい死生観を得たことになるのだと想います。


参考図書 『死んだらどうなるQ&A』 著者五井昌久 

 『苦界の救われ』 著者 村田正雄著


「死んだらどうなるQ&A」 死後の生活を説明してください