スキップ

中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成25年9月

根性婆様の生きざまから

 

今月のこの法話は、平成24年11月16日に書いておるんですが、・・そうです、衆議院が解散をした日です。この9月はそれから10カ月後となっておるんですが、「国民にとって、意義ある解散であった」となっていたらいいんですがね。

 しかしですばい。考えてみたら、親子、兄弟、夫婦など血縁内の少数人数の問題でさえもまとめるのは難しいのに、1億人が相手ですからな。

わが女房の姉妹なんか、外食先をただ決めるだけで、「ああじゃ、こうじゃ」と1時間近くも迷っとりますばい。カレーが食べたかったら、迷わずカレーだべよ。カレーかパスタか迷ってるっちゅうことは、どっちでもいいから迷ってんだべ。ようやく食べる物が決まってもくさ、どの店に行くかで、さらに時間をかけなさる。そんな時に誰か一人、「ここに行くぞ」と決断出来る人がおればですな。

その昔ある老僧が、観音経と華厳経を勉強したいと思ったんだそうですが、どう考えても両方手がける時間(寿命)がなさそうだ。迷った挙句にお経の本を後ろにほたり投げて、遠くに飛んだ方を選んだということを聞きました。まあ、これも一つの手ですな。

まあしかし、何につけても、選択出来るものが多数あるということは、却って迷う要因にはなりますわね。バスや電車など、空席がそこしか空いてなかったら迷わんでしょ。特に体が疲れてたり、病んでたり、身体の不自由な人を座らせてあげようと思えば、隣の席にどんな人が座っていようと、そこに腰を下ろしまっしゃろ。嫌だなっと思ってもね。いっぱい空いている時の方が、却って迷いますもんな。どこに座ろうかなってね。今の日本は不景気というわりには物があり余っちょるから、人にとってはあまり良い環境とは言えませんな。「我慢」「工夫」「倹約」「勤勉」というような心が育ち難い環境になっちょりますばい。

外交がまさにこれですな。特にアジア外交は・・ですな。好き嫌いで片付けられる問題ではないもんね。日本海側に国民を集めて、みんなで舟みたいに漕いで、太平洋のど真ん中に国土を移動するわけにはいかないんだから。しかし、人の動向って面白いですな。遠くの家の人とは仲がいいのに、何故か隣の家の人とは意外に仲が悪うおまっしゃろ。

もう20年程前になりますかな。ある田舎で、土地の境界を越えて物を置いたからといって、鍬を振り上げて威嚇してきたじい様を目の当たりに見たことがあります。ほんの20センチ入り込んだだけですよ。積年の恨みかなんかあったんでしょうかな。人がそうするからには、そうするだけの理由がありますからね。まあ、隣は利害関係が毎日目の届くところだもんね。人間関係は一度こじれると修正するのは難しい。風邪なんかの病気と同じだわ。

まあ、何にせよですばい。武田信玄公遺訓の「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」ですな。全ては人が基盤ですから。「大山崩れるも蟻の一穴」ですばい。

2500年前に儒教の孔子が大学で、「修身、斉家、治国、平天下」と天下を平定するための教訓を示しはったでしょ。自分自身の心でさえもコントロール出来んもんが、どうして家族をまとめることが出来ますかいな、と。家族もようまとめきらもんが、どうして国をまとめ、天下を平定なんて出来ますかいな、とね。・・その通りですな。わが寺内においても特に僧侶さん方には、亡き父(金剛寺先代)がよく注意をしとりましたばい。

「自分の家庭も安穏に出来んもん(僧侶)が、どの面下げて檀家さんに一家の安穏を説くんだい。自分は酒に飲まれて醜態をさらしてるもん(僧侶)が、どの面下げて禁酒祈願を受けるんだい。異性関係にだらしないもん(僧侶)が、どの面下げて色情因縁を諌めるんだい。人に言う前に、まずはお前さんが手本を示せよ、と人に言われるだい」とね。これは、あらゆる方面の指導者と言われる人が、身を正しておかなきゃならん課題ですな。

 手本を示すといえばくさ、わが婆様はすごかったですね。いきなり婆様の話を持ち出してすいませんが、今月17日は祥月命日(立ち日)でして、その生きざまが脳裏をよぎりましたもんでね。私は婆様に育ててもらったので、今年で20回忌になりますが、未だに心の中からその存在が消えません。感謝してるからですな、事あるごとに思い出すんですわ。

 大正2年3月22日、海沿いの村で一番大きな庄屋の娘として生まれた婆様ですが、4歳の時に両親が揃って他界したことで、隣村の大地主の家に里子に出されました。その後、その大地主の家の「どら息子」であった長男、つまりわが爺様と結婚するはめになるんですが、「はめ」って、失敗婚のように言っとりますが、おかげで私は命を流して貰えたんで爺様には感謝しとりますがね。この二人の夫婦話は、法話本「重いけど生きられる」に何話か書いておりますのでご参考に。笑いが欲しい人は、必見でっせ。変わってまっせ、この夫婦。

ちなみにこの爺様、満州から帰国後、何万坪とあった土地をわずかなお金で手放しております。その理由を本人は、「男気」なんてわけのわからんことを言っておりましたが、今そこは数百軒の家が立ち並ぶ大きな団地になっております。その時手放しておらなんだら、その価値は数十億円ですばい。婆様はかなり晩年までそのことで爺様を責めておりましたがね。しかし、父と私は「よくぞ売ってくれた」と爺様を褒めておりました。もし、そんなお金があってんない、間違いなく遊んで暮らしてますよ。働かんでも飯が食えるんだから。坊主にもなってないだろうし、恐らく充実感のない、「長者三代続かず」を絵に描いたような人生になっておったでしょうな。徳のない人間が大金を掴んだら、先は見えちょりますから。

さてこの婆様、結婚後19歳で父(金剛寺先代)を出産、昭和12年に満州へ。土木建築の親方をしておった爺様を、鉄砲の弾の下をかい潜りながら副業の闇酒売りで支え、5人の子供を育て上げました。終戦を迎え帰国したのちは、爺様が立ち上げた会社や、突然お寺の住職になった父を陰で支え続けてきました。その過労がたたったのか60歳の時、脳血栓で左半身麻痺、1年1カ月の入院後、回復の兆しもなく退院。しかしそこからがすごかった。絶対動かんといわれた体で、お寺の本堂を這ってお百度参り。1年後には握力0だった手を5まで戻し、足を引きづりながらでも立って歩けるまで回復させました。まさに根性でんな。そんな婆様だから性格も当然きつい。私の家内もかなり鍛え上げられましたばい。わが婆様に限らず昔の姑さん方は、何もかんも自分が出来たうえで指導してきますからね。

 「人生は自分で切り開いていくもの、他に頼ってはいかん」がモットーでしたな。だからといって信仰心が薄かったわけではないですよ。敬虔な仏教の篤信者です。ただ、自分の人生がうまくいかんことを「大殺界や大厄」などのせいにするのをひどく嫌っていました。「厄祓いをしてもらっても、暴飲暴食すれば病気になるのは当たり前じゃ。口養生も出来んで神仏のせいにすな。自分で自分の人生を止めるような行いをしおってからに。努力をしようという心のない人間に限って、責任を自分以外のものに持っていく」、とね。きつい口調でっしゃろ。物が不足していた時代を生き抜いてきた人は、やっぱり根性が座っておりまんな。