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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です。

四国遍路開創1200年(一昨年)のご縁(後篇)

 さて、先月のお話の続きといきましょう。四国番外の鯖大師本坊でお会いした自閉症等の児童を預かるホームの理事長のお婆ちゃん(85才)とのご縁は、私にとって大変有意義なものでございましたな。人に向けてであろうと、神仏に向けてであろうと、第三者に向けて「助けて下さい」と「願い」を掛けるということは、その人にとってはそれが重要事項であるからこそ、だよね。なればくさ、このお婆ちゃんが言われる通り、人から手を差し伸べてもらいたいと思うなら、まずは頼む側が真剣にならんとですな。ちなみに西郷隆盛さんですが、その「人となり」を示すもので、勝海舟さんが龍馬さんに放った言葉といわれるものがありますよね。「西郷さんというお人は太鼓と同じにて。小さく叩けば小さく響く。大きく叩けば大きく響く。ここはひとつ、試しに大きく叩いてみられては如何ですかな」と。

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 さて、鯖大師本坊ですが、実はこの札所には「鯖絶ち」という「願掛け」方法がございましてね。私を育ててくれた祖母も今は亡き父(先代)も3年の間、それに習って「鯖」を食することを絶っておった時期がありまして、もうかれこれ40年以上前の話でございますがね。そこで如何なる願いを掛けはったかといえば、お二人とも体に病いを抱えておりましたんで、「身体健全、当病平癒」であったように記憶しております。「何かを絶って願いを掛ける。・・・んっ、別に何かを絶たなくてもいいんじゃないのか」と信仰者としては言ってはいけない言葉ですが、まあ、そこは私も屁理屈盛りの子供でしたんでご勘弁を。しかしながら当時、父や祖母が「願掛けをしてまで、神仏に約束をしたんだからな」と何年もの間その約束を貫いている姿を見ておりますと、当然そこから学べるものはたくさんありましたよね。意欲を奮い立たせる手段の一つが信仰(願掛け)であるということも、その時子供ながらに悟らせてもらったという記憶が。考えたら人の人生なんてもんはくさ、一生が我慢の連続でっしゃろ。人というは根本的に弱い生き物だからね、ここ一番の時には必ず何かの支えが必要となってきますわな。食卓や鮮魚売り場等で鯖を見かけるたんびに、「お前さん、神仏に約束したろ。月日が経ったら忘れたかい。罰は当てられんからとて、嘘はついたらあかんやろ」と、そうわが心に問いかけるだけでも何の願いがあって今我慢しているのか、を再確認することが出来るとそう思うんですよな。別に「鯖」じゃなくてもいいんですよ。ご縁に出逢った場所が「鯖大師本坊」であったので「鯖」にしただけで、ね。それがお茶でも、酒でも、煙草でも、それこそ何でも。ただ、自分の心以外のものに約束をしないと人間は誰しもわが身には甘くなりまっしゃろ。「今日だけは勘弁したる。明日からは、また頑張れ」と自分に楽な自問自答を勝手にやりよりますもんな。「明日からは絶対」と、この言葉は結構曲者でしてな。今日我慢が出来ん人間に、明日我慢が出来まっかいな。繰り返しでっせ。

 そんなこんなを鯖大師宿坊の寝床の中で思い返しておりました時、「そうやな、ここに泊まらせてもらったのも何かのご縁、願い事がないわけでもなし、自分も親父や祖母に習って鯖絶ちをさせてもらおうかいな」と次の日の朝、大師堂の前に立って「願掛け」をさせてもらったんですわ。「世の中において、この身でお役に立つことがあれば、お大師さん、後押しをしてくれまっせんか」と。したっけ次の日ですたい。金剛寺の事務員さんから連絡が入り、九州北部では最大手のスーパー「ハローデイ」の社長、加治敬通様の働き掛けで、西日本シティ銀行本部次長様が窓口となり、「北九州内の若手経営者の方々に講演を」との話が飛び込んでまいりました。四国巡拝帰省後、「加治社長にご迷惑が掛からぬよう、しっかりと勤めさせていただきます」とお礼のお手紙を差し上げましたところ、すぐにご返信があり、その中のお言葉に、「私は、神仏や先祖、親を大事にしない人で、人生を成功させた人を今だかつて一人も見たことがありません。わが親や先祖を大事にしない人が、お店に来られるお客様を大事にするとは到底思えません。社員にはそのように指導し、厳しくお伝えをしております」と書かれておりました。その次の日には、今度は宮崎中央新聞、魂の編集長として広くその名が知られております水谷もりひと様からお手紙をいただき、過去20年間の社説の中から40遍を選び出し、「いま伝えたい、子どもの心を揺るがす、すごい人たち」(ごま書房新社)に私の記事を載せておりますとのご連絡が。また、さらにその次の日には、熊日女性文化の会様からの講演の依頼が。その講演要旨を次の日の熊本日日新聞朝刊に掲載させてもらうとのこと。この一連の流れには流石に少々驚きましたが、だからといって「ほうら、皆さん。願かけをすると、こんなにすぐおかげがあるんですぞ。さあ、どないでっか。到底動くはずのないご縁が、不思議と動いてくれるんでっせ。さあ、来んしゃい、願いんしゃい」などという、本来の信仰姿勢を本末転倒させてしまうような危険な言葉で信仰を無理強いするようなことは絶対に言いませんがね。ただ、ただですばい、この理事長のお婆ちゃんが言われた言葉「人も神仏も願う側が真剣に誠意を示さなければ、決して心を動かしてはくれないと思いますよ」は、真理だと思います。基本的に人の世界は「自分がしたこと、やったことだけが結果」ですからね。ちなみにこの一連のご縁ですが、わざわざ実名を使わせていただいたのは、私なりのご恩返しでして。もうすでに、その名声は世間に轟かれてはおられますが、少しなりとも広報のお手伝いが出来ますれば、との思いだけでございます。

 鯖大師本坊を後にして、高知県(土佐)を過ぎ愛媛県(伊予)に入って来ると、四国巡拝で最大の難所といわれる45番岩屋寺が待っております。先月の法話で「のみの夫婦」として登場されたわが寺の僧侶さんたちですが、奥さんの方は足の大手術をされておりましてな、登れるかな、と心配しておりましたが、足の丈夫な人で行き帰り1時間(お参り時間は除く)は掛かる行程を、ゆっくりと約2時間を費やしたことで登って下りて来れました。足の悪い人は登るよりも下る方が足の負担は大きいそうですな。下りは後ろ向きで下って行ったら非常に楽だったそうです。たまにですがね、やりもせんうちから「私には出来ません」と弱音を吐く人がおらっしゃりますが、特別な技術を必要としない限り、人が出来ていることは必ず自分も出来ますもんな。そこにはただ、上手下手があるだけで。その上手下手も時間が解決をしてくれます。所謂、諦める前に工夫せよ、ですばい。ちなみに岩屋寺の山頂ですが、山伏が修行をされたといわれる岩山があり、そこに上がるには長い木のはしごが見た目垂直に掛かっており、一応は登ることが出来るんですが、先日落ちられた方がおられたそうで、レスキュー隊が来て大変だったそうです。その話しを聞いて思い出したのですが、熊本の南部には人吉盆地を貫流する球磨川といわれる川があり、まだ高速道路が宮崎まで結ばれてなかった頃、よくその道を使って布教に。その道の看板には面白い標語が書いてありましたな。「この先、美人おらず。脇見の必要全くなし。加えて、ここから救急病院まで1時間半。事故るな。助からん」と。「百里の道も九十九里を半ばと思え」の心掛けが大事だね。


過去の法話

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