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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成26年11月

高野山親子詣で、二幕の巻

 
 さてと、先月に引き続きまして高野山の話といきましょうかね。一の橋から奥ノ院の約2キロの参道に、およそ30万基あるといわれるお墓を左右にいただきながら納経所まで足を運びますと、そのちょっと手前に2坪ほどの社殿型のお墓が目に止まります。このお墓は、「応其上人(おうごしょうにん)」といわれる高僧のお墓なんですが、通称「木食応其(もくじきおうご)」と呼ばれていてですな、秀吉公の高野山焼き討ちを阻止した第一の功労者とされているお方なんですよね。残念ながら、一般にはあまり馴染みはないようですが。

信長公亡きあと、秀吉公もその遺志を継いで高野山焼き討ちのために、門前町である橋本まで兵を進めて来たんですが、この時応其上人自らが山を下りられて、秀吉公と直談判されたということですばい。「方々の寺社、仏閣を焼き討ちにした挙句に、あなたのご主人である信長公は、仏閣である京都本能寺において、同じ焼き討ちに遭い、命を落とすことになったでしょう。同じ轍を踏まれるおつもりですか」と。不思議に人の世というは、自分が仕出かしたことが同じようなの形で、山彦のように却って来る、ということがよくあると思いませんか。それが自分自身に却ってくる分においてはまだ、「自分がやったことだ。・・仕方がない」と納得も出来ようもんですが、それが我が子や孫の人生に却ってきた日にゃ、悔やんでも悔やみきれんものがありますよね。所謂、「親の因果が子に報う」ってやつですばい。

結果として秀吉公は兵を引かれたんですが、その条件は、山から僧兵を排除し、僧侶が本来の責務に従事するということを、高野山側が飲むとういう約束でですな。私にとってはこの応其上人さんもまた、先月分の法話で話した光秀公の場合と同様、御礼報謝のために必ず参拝した折には手を合わせに伺います。「んっ、また、御礼報謝でっか、自分たちの伺い知れぬ400年前のことでっせ、そこまでせにゃ、あきまへんか」と言われそうですがね。確かに、「高野山が焼き討ちされていたら、現在に真言は残っていなかったんかい」と言われれば、そうではないですよね。現に、焼き討ちされた比叡山延暦寺も、根来寺も、この平成の世に残っておりますもんな。言うなれば、我が家の先祖に向ける思いと同じということですたい。そんな時代の先祖って、当然私たちは知るはずないよね。ただ一つ言えることはですたい。その時代から、いや、数千年、数万年前から、一つの命をバトンタッチのように繋いでくれたからこそ、私たちは生まれることが出来た、ということは紛れもない事実ですよな。御礼報謝に対する他人(ひと)の考え方はどうであれ、私自身は、この命の流れの中にある過去の縁ある人の働きに、感謝せずにはおられないだけ、ということですかいな。

納経所を通り過ぎますと、これより奥ノ院浄域とご廟橋(無明橋)が出迎えてくれてはります。橋を渡って100メートル程行くと、明らかに他とは違う様相のお墓が左手に現れてきます。歴代天皇の安息地です。お墓といっても埋葬されているのは、天皇陛下の爪や歯や髪の毛の類だそうですが、管理は高野山(真言宗)ではなく、宮内庁が直々にされているということです。御影堂まで来ると、その先はお大師さんが座していると言われている浄域。西暦835年、3月21日、お大師さんは寅年生まれということから、寅の刻(今の夜中1時ごろ)に生きながらご入定なされたそうです。今でも生きておられるということから、日に二度食事(生身供)が供され、年に一度差し替えのための布も供されてはるとか。

 ご廟前でお参りをしておると、参拝者の中からそれこそ、いろんな声が聞こえてまいります。信心深い声やら、物見遊山の声やら、ですな。その声の中でよく耳に入って来るのが、物見遊山側の声、「この奥にお大師さんがおらっしゃるって、本当かいな」ですかな。ただし、それ以上の声は聞こえてはきません。「嘘やろ、ほんまか」とか、「誰か見たことあんのかい」とか、そんな言葉は失礼に値すると、どこか心の片隅にあるんでしょうな。しかしまあ、なんですたい。高野山側が、おらっしゃると言われるんだから、おらっしゃるんですよ。ここまで登って来て、疑う必要はないですわな。私たちは、ただただ信じて手を合わせりゃいいんじゃないのかな。別にお金を強要されてるわけでもなし、信仰観を無理やり押し付けられてるわけでもなし、自身の心情の問題だべよ。酸素を提供してくれる空気や、太陽の光、親心など、目に見えないものに感謝をするのと同様ですばい。大事なものは結構、目に見えないものが多い、その目に見えないものに感謝してみたらどうだい、って話ですな。

 まあとにかく、この度のご縁での私たち親子にとって一番の収穫といえばくさ、奥ノ院浄域でそれこそ偶然に出会った、高僧の放った一言のお言葉ですかね。「英照さん、宗派を問わず、僧侶の資質改善が急務になっとる、急がんといかん」、特にこの言葉は二男にとって、いろんな思いを巡らすことになったようですばい。親のしている仕事、特に自営(お寺も)はその話し方によっては、わが子に強制や負担を与えることとなりますからな。第三者からの投げかけは、親にとっては非常に有難い時があります。「父さん、うちのお寺の僧侶さんや、役員、総代さんは、いったいどんな基準で選んでるの」と。「そうだね、・・まずは奉仕の心があるかどうか、だね。みんなが法要の準備や、掃除をしているのに、積極的に加勢をしようとしないような人は、その役に付けることは出来んわな。そんな人に、人は誰も付いていかんからね。それと頭が低いこと、表裏がないこと、偏った考えをせずに、誰にでも平等の心を向けられる人かな、特に僧侶は、な。わが宗のお上人さんは、1000人の股を潜るとも、1人の肩をも越しちゃならん、と教えられておられたということばい」と。

「奉仕」というは、人によってはですな、何か自分一人だけが辛い思いをして、損をしているように思えて、「あほくさ」と見向きもせん人がおられるようですがね。しかしですばい。損得の利潤に関係なく、汗水流して人のために動いてはる親のそんな姿を、子や孫が見ておるとしたらいかがですかな。「子は、親の言う通りには動かん、親のする通りに動く」という言葉がありますばい。その親の後ろ姿で教訓を得た子供は、必ず将来、損得ぬきで世の中のために働ける人間に育っていくでしょうね。自分にとって都合がいいか、悪いかを是非の判断としてはる親の姿を、反面教師として見ることが出来る子供はそうざらにはいない。「自分さえ良けりゃ、それでいい」という親の影響を、少なからず子供は受けよりますばい。

 さて、昔々のことですが、「ぐうたら息子が先祖代々の田畑を売って、即金を欲しがりよります。何とか説き伏せてくだっせ」と、老母が住職に嘆願。早速息子を呼び出して住職が、「お前さん、あの土地には金銀財宝が埋まっていることを知らんのか」と。驚いた息子は、「よっしゃ」と鍬を持って、2町(6000坪)の田畑を死に物狂いで耕し続けた。しかし、どれ程耕しても何も出てこない。騙されたと気付いた息子は怒りをぶつけに住職の元へ。そこで住職が、息子に向かって一言「喝(かつ)」を。「何をやっとるか、早く種を蒔いてこんか」と。・・・汗水流して働けば、その先には必ず、何らかのものが待っておりますばい。