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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成27年4月

講演会参加者の心の声、あれこれ

 
   今月は少し趣向を変えて、これまで講演で呼ばれた先の参加者(中学生、高校生、モンスターペアレンツ、看護士、など)の生の声をご紹介してみたいと思います。あらゆる面で当時者となり得る私達に、何かしら考えさせられるものがあるんではないか、と。
「真実は小説よりも奇なり」、ですもんな。こんな私の法話よりも、教訓が詰まっとりまっせ。

 (中学2年生女子、類似意見あり)
 ご住職も親が離婚をされていたんですね。私も親が最近離婚しました。お話の中で、お母さんがいないのは寂しいことだけど、悪い事ばかりじゃない。おかげで裁縫、料理、掃除、主婦全般の仕事は自分でしなければならなかったから、小学生時代、家庭科は5段階評価で5だったもんな、と笑って話されたのを聞いて、「そうか、自分でやればいいんだ」と、これまで不貞腐れていた自分が恥ずかしく思えました。だけど、一言だけ言わせてください。親は、子供が物ごころついてから、勝手に離婚して、勝手に再婚するな。

(20歳の男子学生) 
 この話、3年前に聞きたかった。聞いていたら、警察にやっかいになることも、責任を自分以外のものに転嫁することもしていなかったかもしれない。話の中で、「子供がそうなった原因を作った大人の責任はどうなるんですか」の言葉で、今まで心に詰まっていたものが全て落ちた。落ちたと同時に、「俺はこの5年間、いったい何をしていたんだ」と恥じ入るばかりだった。高3の時俺は、東大を受けていたら恐らく落ちることはなかったと思う。だけど、受かったら親が喜ぶ。俺は親を喜ばせたくなかった。話の中で、「20歳からでも、30歳からでも、どこから出発をしても遅くはない。人間は死ぬまで生きておかないかん、・・さあ、どう生きる」と言われて心が決まった。来年、東大を受けなおそうと思う。

(高校1年生男子)
 僕は小学3年生の時、お母さんをガンで亡くしました。友達と話をしていると、自分のお母さんの悪口をいう人がいっぱいおる。生きてくれているだけでも有難いのに。それと環境の話は納得出来た。「おかれた環境は同情するところは確かにある。生まれた途端に、戦争のあっている国。片親や、親が働かんで貧乏の家庭など。しかし、今置かれている状況の半分は自分の行動の結果、その環境の中でどう生きていくかは自分が決めること」。僕もお母さんがいないことを受け止めて、お母さんに心配かけない生き方をしたいと思った。

(高校2年生女子)
 友達が先日、自殺で亡くなりました。今日の話でやっと悲しい心が少し癒えました。人間の世界では死んだ、というが、仏教の世界では、阿弥陀の世界に生まれ変わったという。生まれ変わったからには、名無しの権兵衛で逝かせるわけにはいかん。だから戒名をつける、ということ。家族葬は絶対にいかん。あれは、「私達はあなた方と付き合うつもりはありませんので」と、世間に向かって公表しているに同じ、ということ。友達は家族葬じゃなかったので、最期のお別れが出来てよかったと思いました。「寂しく死んで逝った人を、さらに寂しく送るつもりですか。10代で死のうと、80代で死のうと、一生は一生。亡くなって逝った10代の子も、この子はこの子なりに一生懸命生きてきたはず。亡くなり方がこうだったからといって、生きてきた時間の全てを否定するような送り方はしてはならん」、の言葉には本当にそう思いました。改めて人の命について、考えさせられました。

(高校3年生男子、類似意見あり)
 僕の家は父親が働かず、大学進学は諦めていました。でも、今日の話で希望が持てました。住職の大学時代の友人の女性が、アルバイトの掛け持ちと、奨学金だけで無事大学を卒業したとの話。さらにこの女性が、反対に親に毎月5万円の仕送りをしていたとの話。仕事しながらの学生生活のため1年留年したが、一流企業に就職出来たとの話。住職の息子さんも現在、授業料、生活全般費用を全て、親に迷惑をかけずに東京の大学に通っているとの話。特にこの息子さんに向けたアルバイトの選び方の住職の言葉は、非常に参考になりました。「人間の幅を広げたいと思うなら、自分の不得意とする分野の職種を選べ。新たな発見は、居心地の悪い場所、自分と反対の意見を持つ人の中から得られる」。有難うございました。

(幼児を持つ母親、類似意見あり)
「子供は授かりもの、親の所有物ではない。親の主観を押し付けて、子供の手足をもぎ取るような育て方は決してしてはいけない」と言われた時、思わず泣きそうになりました。確かに、子供は親の言う通りには動きません。親のする通りに動きます。親の責任の重さを改めて感じました。それと、ご住職のお父さんはすごいですね。ご住職が幼少のころから、「見てわからんもんは、言うてもわからん。人は教えられても身につかん。人は気付かにゃ身につかん」と言って育てられたとは。自主性を鍛え上げることの大切さを学びました。

(幼児を持つ母親)
 今日の話の中の奥様に対するご住職の姿、帰って主人に話したいと思います。「天から貰った最高のプレゼントはわが女房。私は女房を大事にせん主人は大っ嫌いです。家庭は夫婦が要、夫婦がお互いに尊敬し合い、助け合う姿を見て育った子供は、間違いない」、素晴らしいです。ご住職の子供さんから究極の選択だよと、「僕たち子供3人とお母さん、1人選ぶとしたら、父さんは誰を選ぶね」の問いに、「間違いなく母さんを選ぶ。お前たちじゃない」との住職のご返答、まいりました。家に帰って父と主人に同じ質問をしてみます。

(看護士女性、類似意見あり)
「看護士さんに文句を言うなとは言わん。だけど、病院にドクターがいなかったら、誰があなたの病気を診てくれるんですか。看護士さんがいなかったら、誰があなたの心身を癒してくれるんですか。まずはお世話になっているが先でしょう」と、方々で言われておられるという話を聞いて心が救われました。それと同時に、「学校の教師は文殊菩薩の、お坊さんは釈迦如来の、ドクターは薬師如来の、看護士は薬師如来の脇仏、日光、月光菩薩の手足となって働く役目を担った人たち。時には太陽のように暖かく、月のように優しく患者さんたちに接しておられますか。ドクターには到底出来ない仕事ですよ」と言われて、自分が担っている仕事がいったい何であるかを改めて考えさせられました。若い看護士さんたちが読んでくれるかはわかりませんが、ナースセンターに住職の法話本を置いておきます。家の中にも子供の目の届くところに置いておきます。直接的な指導教育は、敬遠をされますので。


有難いですね。聞き手のおかげでこんな坊主の話でも、お役に立てております。