話をお聞きしたとき、懐かしい遠い昔のことを思い出しました。私は小学生の頃は大変な問題児でしてね。当時の小学校の担任先生というは、そのクラスの授業は全ての科目をその先生お一人が担っておられていて、病気なんぞで休まれた日にゃ、一日中自習、なんてことも多々ありましてな。そんな日などは、私の家(お寺)が近かったもんですから、級友の大半を連れて度々学校を抜け出していたもんで先生は、「うちのクラスの子供たちは教室におりますでしょうか」と、熱にうなされながらも学校に電話をされてきておったとのこと。そんなこんなから時折、担任先生の堪忍袋がぶち破れ、朝学校に行くと私の机が教室にはなく、校長室に置かれていたことが度々ありましてな。たまりかけたんでしょうね、つまり、校長先生(男性)と一対一の授業ですばい。おかげで校長先生とは、他の子供たちよりも親しい関係となり、小学6年の時、忘れもしない思い出をいただくこととなりました。その思い出とは、1974年10月のこと。「キンシャサの奇跡」として当時有名になった、ジョージ・ファアーマン対モハメッド・アリの世界ヘビー級タイトルマッチでございました。
「私達、親というは、人生経験を重ねるにつれて、未熟だった若い頃をすっかり忘れ、今の自分を基準にして、「お前はつまらん、父さんを見ろ」と知らず知らずに押し付け、追いこんでいることが多々あるように思えるんですが、如何ですかね。気性の勝っている子は、それなりに反発をしてくるから心配はありませんが、そうでない子は、親に対して不服も言えず、陰に籠った結果、取り返しのつかないことに。お寺の中でも時折、「私達の子は大人しくて、親に反抗するようなことはしないんですよね」と、さも自慢げにお話をされる親御さんがおられますが、「いやいや違うでしょ」と。子供は基本、親の言うことを聞かず、我がままで暴れ回るもの、個人差はありますがね。それが大人しくて良い子ということは、「親に気を使って生きている」とどうして考えないんですかな。反抗の出来ない家庭環境で育てられた子供は、後々色んな形で爆発をしておるみたいですよ。「親である自分の見解とは違う」と頭ごなしに子供を否定せずに、自分はその年ごろはどうであったかを思い返して、まずはわが子の主張を認めてあげることから入っていかんとですな。私の経験内での話ですが、頭ごなしに叱る親の元で育てられた子供は、案外に嘘をつく子が育っておるように思われますな。怒られたくないからね、子供たちは。どうしても嘘をつくようになるんですな。親が嘘をつく必要のない家庭環境を作ってやれば、子供は嘘をつきませんばい。考えてみたらですよ、私達親が正しいと思って子に押し付けている教訓ですが、山あり谷ありの世の中を力強く歩いて行くためのこれからの道しるべに、本当になっているんでしょうかね。今一度見つめなおす必要が、どうしても私達親にはあるように思われるのですが。以前、多くの高校生の集いの講演に呼ばれた時のこと、命を流してくれた方々への感謝認識不足を恥じた子供たちが講演後、「言い訳をさせて下さい」とこんなことを言ってきよりましたばい。「私たちの親ですが、先祖を弔ってくれているはずの菩提寺に足を運ぶ姿、一度も見たことがありません。お墓参りに行く姿、一度も見たことがありません。元来、家で手を合わせる姿など、全く見たことがないんです。私たちはその環境の中で育てられました。何で、命を流してくれた方々に感謝をするという心が育ちますか。今日、住職さんの法話を聞いて始めて、「もっともだ」と認識させられました。この話、今度は親どもにして下さい」と、こう言われたんですよね。このような子供たちの言葉を聞いて、皆さん方はどう思われますかい」と。