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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成27年12月

贈る(送る)側、贈られる(送られる)側

先般、知り合いの看護士(女性)さんから、「へぇー、そりゃー」という体験話をお聞きしましてね。これまでの働き場所を変えようと他の病院を受けに行ったところ、面接をされたそこの院長先生が、「あなたは、仕事が好きですか」と、ただそれだけを問うてこられたと言うんですな。これまでの経歴や、経験などを一切問わずに、ですな。これには参りましたな。確かに、仕事好きの勤勉者なら、どんな分野であろうと将来的には必ず率先力になるわね。「こんな面接をされるお方がおられるんだ」と感心させられたと同時に、「このような目の向け方の出来る人生経験豊富なお方が、世の中あまたにおらっしゃったらどんなにか・・・」と思いましたな。本当の意味での人材発掘が出来きてくるんじゃないのかな、と。

 話をお聞きしたとき、懐かしい遠い昔のことを思い出しました。私は小学生の頃は大変な問題児でしてね。当時の小学校の担任先生というは、そのクラスの授業は全ての科目をその先生お一人が担っておられていて、病気なんぞで休まれた日にゃ、一日中自習、なんてことも多々ありましてな。そんな日などは、私の家(お寺)が近かったもんですから、級友の大半を連れて度々学校を抜け出していたもんで先生は、「うちのクラスの子供たちは教室におりますでしょうか」と、熱にうなされながらも学校に電話をされてきておったとのこと。そんなこんなから時折、担任先生の堪忍袋がぶち破れ、朝学校に行くと私の机が教室にはなく、校長室に置かれていたことが度々ありましてな。たまりかけたんでしょうね、つまり、校長先生(男性)と一対一の授業ですばい。おかげで校長先生とは、他の子供たちよりも親しい関係となり、小学6年の時、忘れもしない思い出をいただくこととなりました。その思い出とは、1974年10月のこと。「キンシャサの奇跡」として当時有名になった、ジョージ・ファアーマン対モハメッド・アリの世界ヘビー級タイトルマッチでございました。

 その日は朝からその試合をどうしても見たかった私は、思案を重ねた結果、授業中に腹が痛いと偽って、保健室に行くふりをして校長室のドアを叩く計画を。当時、学校には校長室にしかテレビが置いてなかったもんでね、これしか方法がなかったんですよ。入口ドアから顔をのぞかせた私に、「タイトルマッチか」と校長、「はい」と私、快く受け入れてくれて二人で観戦ですばい。大方の予想に反して8ラウンド、アリのワン・ツウがファアマンの顎にクリーンヒット、そのままテン・カウントを聞いて、アリがベルトを奪取。校長先生と抱き合って歓喜を上げた勢いで、不覚にも教室のみんなのもとへ報告に。わなわなと怒り狂った担任(女性)に引き連れられて逆戻りですばい。校長室で校長先生と二人して正座させられて、しこたま怒られることとなりました。担任先生が去った後、森閑とした中で校長先生が一言ですばい。「山本君は、学校は好きかい」と。「んっ、・・・好きですよ」と答えると、「それならよろしい」と。この出来事からですかな、真面目な良い子(?)になっていったのは、ですな。何気ない一言でしたが、何とも言えない温かみを感じた言葉でしたね。

 何年か前のこと、18歳に2カ月ほど足りない男の子が、自ら命を絶ったことがありました。数日間家を空けた後、家の近くで亡きがらが見つかりました。最期に我が家を見たかったんでしょうかね。友達との携帯メールのやり取りの履歴内容から、自殺はなんと小学生の頃から考えていたみたいですな。そこに及んだ原因はいくつかあったみたいですが、中でも大きかったのは、親の押し付け教育だったようです。その葬式法話時にて、同じくらいの子供さんがおられる親御さん方が多く参列されておられましたことと、次のご縁の薄い頼まれ葬式(檀家さんでない家)だったことから、敢えて厳しく話を投げさせてもらいました。

「私達、親というは、人生経験を重ねるにつれて、未熟だった若い頃をすっかり忘れ、今の自分を基準にして、「お前はつまらん、父さんを見ろ」と知らず知らずに押し付け、追いこんでいることが多々あるように思えるんですが、如何ですかね。気性の勝っている子は、それなりに反発をしてくるから心配はありませんが、そうでない子は、親に対して不服も言えず、陰に籠った結果、取り返しのつかないことに。お寺の中でも時折、「私達の子は大人しくて、親に反抗するようなことはしないんですよね」と、さも自慢げにお話をされる親御さんがおられますが、「いやいや違うでしょ」と。子供は基本、親の言うことを聞かず、我がままで暴れ回るもの、個人差はありますがね。それが大人しくて良い子ということは、「親に気を使って生きている」とどうして考えないんですかな。反抗の出来ない家庭環境で育てられた子供は、後々色んな形で爆発をしておるみたいですよ。「親である自分の見解とは違う」と頭ごなしに子供を否定せずに、自分はその年ごろはどうであったかを思い返して、まずはわが子の主張を認めてあげることから入っていかんとですな。私の経験内での話ですが、頭ごなしに叱る親の元で育てられた子供は、案外に嘘をつく子が育っておるように思われますな。怒られたくないからね、子供たちは。どうしても嘘をつくようになるんですな。親が嘘をつく必要のない家庭環境を作ってやれば、子供は嘘をつきませんばい。考えてみたらですよ、私達親が正しいと思って子に押し付けている教訓ですが、山あり谷ありの世の中を力強く歩いて行くためのこれからの道しるべに、本当になっているんでしょうかね。今一度見つめなおす必要が、どうしても私達親にはあるように思われるのですが。以前、多くの高校生の集いの講演に呼ばれた時のこと、命を流してくれた方々への感謝認識不足を恥じた子供たちが講演後、「言い訳をさせて下さい」とこんなことを言ってきよりましたばい。「私たちの親ですが、先祖を弔ってくれているはずの菩提寺に足を運ぶ姿、一度も見たことがありません。お墓参りに行く姿、一度も見たことがありません。元来、家で手を合わせる姿など、全く見たことがないんです。私たちはその環境の中で育てられました。何で、命を流してくれた方々に感謝をするという心が育ちますか。今日、住職さんの法話を聞いて始めて、「もっともだ」と認識させられました。この話、今度は親どもにして下さい」と、こう言われたんですよね。このような子供たちの言葉を聞いて、皆さん方はどう思われますかい」と。

 このお葬式おいては、遺族側は家族葬にてとご希望されましたが、私は敢えて却下しました。無論そのお気持ちは痛いほどわかりますが、「一人寂しく死んで逝った子を、また寂しく送られるつもりですか。18歳の青年が亡くなったんです。弔問者もそれなりに理解した上で足を運んで来られます。いらんことを言う人間などはおりませんよ。それに、この子もこの子なりに一生懸命生きてきたんじゃないですか。命の最期がこんな形だったからといって、この子の一生の全てを否定するような扱いだけは、決してしてくださいますな」と。足を運ばれた弔問者は、なんと400人でしたばい。この数字はいったい何を意味してるんでしょうかね。さあ、師走は命をつないできた1年の締めの月。まずはわが身を振り返り、「人として生まれてきた意味、今ある命の不思議」に感謝をして、1年を終えましょうね。