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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成27年5月

夢と希望と、現実の世界とは

 
  思えば早いもんで、父(金剛寺先代)からこのお寺を受け継いで、もうすでに10年以上の月日が流れました。今年の7月で早や13回忌ですばい。わがお寺は、代々の住職の布教方針から、昔ながらとでも言いましょうかな、檀家さん、信者さんを問わず、オギャーと生まれた赤子の名付けに始まり、多種多様のご相談受けを経て、最期は戒名つけて(檀家のみ)弥陀の世界に送り出したその先までも、その子孫とのご縁が途切れることのないお寺となっております。納骨堂があることもまた、そうなる理由の一つ。本当に有難い限りです。

 そのつき合い先も、檀家さん絡みではありますが、政界、財界、任侠界、医学界、教育界などなど・・。幅だけはいっちょまえに広うございますが、所詮は巷の一寺院。そのご縁の数はそう多いものではございません。しかしながら、それなりのご縁をいただいておりますんで、ある程度の世の中の仕組みは理解しているつもりでしたが、・・・それがですたい。縁あって法話本を出版させていただき、そのおかげであらゆる方面から講演依頼の声が掛かり、出向かせてもらう機会をいただく度に、「嫌っ」と言うほど思い知らされました。「この出家(信仰)の世界は、ほんっとに世間知らずの、井の中の蛙じゃわい」とですな。まあ、私個人に限ったことだけかもしれませんが、よか勉強をさせてもらっておるに間違いなし。

 金剛寺開山(初代住職)は私の父(当山二代)に、事あるごとに次のように言われていたそうです。「神社に行ったら神社のしきたりに従え、キリスト教に行ったらキリスト教のしきたりに従え、他宗のお寺に行ったらそこのしきたりに従え。知識があるからと自分勝手にお参りをしたり、自身のお寺(宗)のしきたりをこれ見よがしに貫いてはならん」と。

 こんなことを言えば怒られるかもしれませんが、信仰団体は、なんかこう、・・どうもですな。自分のところが一番と自負されておられるのか、まあ、そう思わんと教えは説かれませんけどね。他宗団体との交わりを深く持とうとせず、閉鎖的、排他的になっているところがなんとなくですが、多いように思えるんですよな。仏教に限っては、「宗論は、どちらが勝っても釈迦の恥」なんですけどね。「井の中の蛙、大海を知らず」という言葉がありますが、まあ、その中でも、井戸から顔を出して、大海を見ようとしている人は、まだ、ましかな。何故か知らんが、徹底して見ようとせん方もおられますからね。宗教界に限らず、どの世界においてもこんなことはあるんでしょうが。お寺の山門にお立ちになっている仁王像をごらんになったことがありまっしゃろ。あれはですな、人は「おぎゃー」と口をあけて生れて、「んー」と口を閉じて死ぬまで、あっという間のことなんだよ、と私達に教えてくれておるんですばい。勿体ないと思うんだけどな、見識を狭める生き方をするなんて、ね。

 見識が狭いといえば、浄土真宗の親鸞さんが破壊僧と罵られながらも、妻帯し、俗世間に身を投じていかっしゃったわけが、なんとなくわかるような気がします。人は人の中に身を置かんと、その心の内を悟ることなど到底出来ませんわな。山の中にこもり、俗世間から遠い所で自身を高めることばかりに時間を費やし、自己満足だけに浸っていて、何で人の営みの苦労がわかろうもんですかいな。これは昔々の話ですがね。小乗仏教の中に、「灰身滅智(けしんめっち)」という言葉があるんですが、難行の果てに悟りを得たお坊さんが、この悟りを得た心のままで涅槃(死を迎えたい)に至りたいと、自ら自身の体に火をつけて絶命していたということなんですな。この世にいたら色々な誘惑から、折角悟らせてもらったこの心を汚してしまう恐れがあるからとのことらしいのですが、・・まあ、ですな。その人はその人なりの考え方でしょうから、その見解にとやかく言うつもりはありませんがね、しかしですばい。折角くさ、そんなよか悟りを得たんなら、他人にその境地を教えてあげればいいのにね、・・・なんかですな。これは最近の世相によく見受けられる、「自分さえ良ければ、それでよい」という超個人主義の考え方に、何となく似ておるような気がしますばい。

 そういえば今思いだしたんですが、私の大学時代のことです。その同期に甲子園では常連の、ある有名高校で4番を打っていた友人がいたんですがね。高3の時、プロ野球界から声がかかり、体験入団で巨人軍の練習に参加したそうなんですが、その時代の中心だった原選手や篠塚選手の練習状況を見て、「こりゃあかん。持ってるもんが違いすぎる」と、自信を失って帰ってきたそうです。私たちがせいぜい理解しておるのは、テレビの向こうで今現在ゲームをしているのプレー内容だけ。「なにやっとんや、そこで打たんでどないすんねん」など、言いたか放題。その野球選手の基礎にどれ程の力が備わっているかなど、到底知る由もないのにですな。その道その道で成功してはる人と実際に触れ合ってみて始めて、その実力がほんの少しだけ理解出来てまいります。まさに、「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」、ですな。考えてみたら、その環境に携わってみんとわからんことって結構ありますばい。「へっ、知らんでもよか。面倒くさ」と敬遠してたら、いつまでたっても見識を深めることなど出来ませんわな。その立場の苦労の理解がないから、言いたか放題にもなるしね。

 昨年でしたかね、あるテレビ番組でミッツ・マングローブさんが、好きなことをやってきたことが運よく今では仕事になっているが、だからと言って今楽しいかと言われれば、微妙かなと、答えられておりました。野球やサッカーなど、現在プロスポーツ界でご飯を食べている人たちは、ほぼ全員、子供時代からの叶えがたき夢、所謂、あこがれを現実にしてこの職業を選んで入ってこられた方々ばかりでしょうが、しかしですばい。実際、それが飯を食うための仕事となってくると、そう簡単なものではなくなります。その道のプロといわれる方々が事あるごとに、そのことを将来ある若者たちに説いてくれておられますもんね。

 そういえばですたい。来月6月18日といえば、1908年(明治41年)、109年前の話ですが、日本から初めて移住者を載せて「笠戸丸」という船が、ブラジルのサントスに渡航した月といわれておりますよね。「そこに楽園があるんだ」と、夢と希望を抱いてですな。浄土経典、阿弥陀経の中にある「倶会一処(くえしっしょ)」という教えもまた、それと類似しております。極楽浄土へ行けば、先に逝った祖父母、父母、わが子がいて、また楽しく一緒に暮らせる世界がありますばい、と。しかし、そこに行くからには、それなりの功徳を積んで行かんと、何の土産も持たずに手ぶらで行くわけにはいかんですよ、と。「夢と希望を抱いてそれを実現するためには、何の努力もなしに、失敗を恐れて動かずでは、到達することなどは、到底出来まっせんばい」は、この世のことであろうと、あの世のことであろうと、変わらん理(ことわり)じゃないのかな。ちなみに、大阪の伊丹は日本の清酒発祥の地といわれておりますが、それが出来たきっかけというが実に面白い。酒屋を解雇された従業員が、腹いせに夜中忍び込み、灰を桶に投げ込んだことで次の朝、濁りが取れて透明になったとのこと。何がきっかけとなるかわからんですな。まあ、取り敢えず動け、かな。