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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成28年5月

四国遍路開創1200年(一昨年)のご縁(前篇)

 毎年4月か5月には、必ずこの時期は四国巡拝に行かせてもらっておるんですが、もうかれこれ30年近く続いておりますかな。特に一昨年は、四国開創1200年を迎えた記念の年でございまして、お世話になっている個人タクシーの方々も、当初40歳そこそこだったのが、今ではもう67歳になられて。仕事ではお客さんを乗せて100回近く巡拝されておる方々ですが、昨年は一念発起をされて、歩き遍路(全行程1400キロ)をなされたそうでしてね。まあリップサービスでしょうが、その話の中心は珍道中のことばかりにて。
足摺岬に入り、海沿いの道を38番札所金剛福寺へ向かう途中、まだ暗い早暁4時頃だったそうですが、松林の覆い被さる幅5メートル程の一本道、そこに仕事場へ向かわれているホテルの従業員さん達の車が。その車に向けていたずら心で、顔に下から懐中電灯の光を当てた白装束の姿をさらしたら、明らかにスピードを上げて走り去って行ったと。「カッ、カッ、カッ」と笑いながら、「幽霊が出たとでも思ったんかいな」と四国弁口調丸出しで。
ほんっと男性って、何歳になっても子供ですもんな。勝ち誇ったように談笑される運転手さんに、「幽霊が出た、なんて思うもんですかいな。この手の人間には係わらんほうが無難だ、と避けられただけですばい。父(先代)がよく言っておりましたばい。死霊(幽霊)よりも生霊(人間)のほうが圧倒的に怖い。この世の中、人間ほど怖いもんはなか。恨みなども含めて自分の欲を満たすためには、何を仕出かすかわからんからな、人間は」とですな。

今でこそあまりこの手の話を聞くことはなくなりましたが、実際には見たこともありませんので、本当に行われておったのかも疑問ですがね。人目につきにくい海沿いの松林や、森林の奥まった中で、夜中丑三つ(午前2時頃)の時刻に白装束を身にまとい、首から数珠をぶら下げ、頭に2本ロウソクを立て、恨みをもつ人の名を書いた藁(わら)人形に五寸釘を「カン、カン」と打ち付けている人の姿を、ですな。・・・想像しただけでも怖いわね。やっぱ、人間というは怖いわ。幽霊は包丁持って襲っては来んもんね。人には恨まれんようにしなきゃ、ね。スピードを上げて走り去って行った人も、この潜在意識が脳裏をよぎったんかも。「いやあ、今思えば、事故らんでよかったな。四国巡拝中にこんなことしたらあきまへん。お大師さんから怒らるる」と運転手さん。自分でやっといて反省しとりました。

ついでですからもう少しだけ、この運転手さんの話にお付き合いのほどを。この法話に載せてもらうのが大変嬉しいみたいで、「この話は爺ちゃんのことなんだよ」と、お孫さんに自慢が出来るとかで。さて、この度の巡拝には、両足の悪い奥さんと半分介護として同行されたご主人が参拝をされておりましてな。所謂、典型的な「のみの夫婦(女性が男性よりも大きい)」でございましてな。実はこのお二人ともわが寺の僧侶さんでございまして、なかなかに面白いキャラクターの持ち主たちで、この度の巡拝で法話のネタを提供してくれるだろうと期待をしておったら、期待通りでして、何度「ありがとう」と礼を言ったことか。まあ大体、ご主人の発する言葉に奥さんが注文をつける、というのが基本形でしてね。その掛け合いを聞いておりましたら、「のみ」に関するこんな話を思い出しましたばい。ある日「のみ」のご主人が、息も絶え絶えに家に戻って来て、「のみ」の奥さんに、「くそう、あの人間め、覚えてやがれよ。今度生まれ変わって人間になったら、見つけ出して反対に踏みつけてやるからな」と。その言葉を聞いた奥さんがしらけた顔で、「じゃ、この度は、あんた。仕返しをされただけじゃないの」とあっさり。人は自分が仕出かしたことは、必ず何らかの形で清算させられますからな。この話を持ち出すと運転手さんが、「ご住職、生まれ変わることって、本当にあるんですやろか」と。「そりゃ、死んだことがないからね、わからんばってんが。まあ、昔の話によるとですな、屋久島の樹齢7200年のあの縄文杉だけど、一節の逸話によると、あれは閻魔大王の前であくまでも自分の非を認めず、悪態をついた婆さまの成りの果ての姿だということになっとりまっせ。それが本当だとしたらくさ、7200年もの間、樹木のまんまで次に生まれ変われんって、いやあ、考えたら辛いよね。・・・ところでくさ、どうしても次に生まれ変わらなあかん、という約束事がもしあるとしたらくさ、当然人間がいいんだろうけど、その前に人間世界でやってきた罪を償う為に、何か別の命を一つ挟まないかんとしたなら、何に生まれ変わりたいですな」と。「んんっ・・、わしゃ、ミミズか、蚊かな。蜻蛉(かげろう)でもいいな。とにかく寿命の短い方がええわ」と運転手さん。「ふうん、・・そう望むんならくさ、懐中電灯を顔に当てんようにせにゃ」と。

23番札所薬王寺を打って、高知県に近い徳島県の境までやって来ると、24番札所の前に番外鯖大師本坊がございまして、ここで巡拝中のあるお婆ちゃんとのご縁がありました。このお方、50年以上もの間、自閉症等の子供を預かられるホームの理事長さんをなされておられるそうで、少し目の方が不自由になっておられるようでしたな。その夜は鯖大師護摩堂で護摩祈願法要を受け、このお寺の縁起の説明をご住職からいただきました。四国開創を手掛けられていたお大師さんがこの地に訪れた折、鯖の行商をしていた馬方さんに鯖1匹所望を願ったところ、「この生臭坊主が」と一喝。無視して背を向けたその後、馬が腹痛を起こして倒れることに。あのお坊さんへの態度が罰になったかと思い、追いかけ謝罪してご祈祷を願ったところ不思議と馬が回復へ。そのお礼として鯖1匹差し上げると、お大師さんはその鯖を抱いて海へ行きそっと水の中へ、すると鯖が息を吹き返し大海原へ。この一連のご縁から馬方さんが学んだことは、「そうか、わしは鯖の命を奪ってこれまで生活をさせてもらっておったんだ。それに相手がどんな立場の人間であろうと、施す側にとっては何の関係もない事。施したその後、先方が何に使うかまで気になるということは、施したものがいつまでたっても自分のものじゃ、と執着をしている証拠。これでは本当の施しとはなってはおらん」と反省。確かに、人はしてやったと思うから、先方のその後の態度如何によって頭にくるんであって、させてもらったと思えば、そこには喜びしか残らんもんね。ご住職のお話の後、この理事長のお婆ちゃんが、「山本さん」と。「人に助けを求めたい時、いい加減な態度では人は動いてはくれませんよね。こちら側が真剣に誠意を見せ、訴えかけていかなければ、人は決して真剣には動いてはくれません。神仏も同じではないでしょうかね」と。

信仰も永くなればなるほど、知らず知らずに真剣さが欠けてくるんですよな。最初の頃は真剣に願いもし、自らも体を動かし努力をしておったのが、いつからか願うことばかりに重点を置くようになり、努力の方が手薄となっていく。努力をしないから当然事が成就するはずもなく、とうとう最後は成就しないことを「神仏の力不足じゃ」と責任を転嫁し、願うことすらも止め、勝手に諦めて意欲までもが遠のいていく。この流れは信仰の世界だけに限ったことじゃないよね。・・あかんよね、あかん。ということで、この続きはまた、来月。