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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成28年4月

やり直すなら、裸になるが一番の近道

 昨年4月ごろ、福岡では最大手のスーパーの社長からお手紙をいただきました。これで2度目のお手紙でございます。2度ともが法話本絡みのご縁でございました。お手紙の内容を見て、「誰しもローマは1日にして成らず」だな、と。その内容はこうでございました。
現社長さんが大学から帰って来られた時期、この会社は当時赤字経営で倒産寸前の状態。そこから全社員一丸となって立て直しを図り、元社長(父上)さんは最後の望みを掛けて全遊休地(先祖代々の土地まで含)を売り払い、その収入40億円で何とか持ち堪えることが出来たとのこと。バブルが弾ける寸前だったそうですばい。全てを片付けて残ったお金はなんと400万円。その内の200万円は、長年苦労を掛けた女房殿(現社長母上)に「好きに使え」と手渡し、残りの200万円は、当時16店舗あったお店のそれぞれが建っている土地の氏神さんに、10万円、20万円とお賽銭を打って回られたそうです。「親父、何てことを」と現社長が。「すまん。今回だけは神頼みをさせてくれ。今までの俺は口先だけで全然神仏に感謝をしてこなかった。俺は生まれ変わらんといかん。その為に御礼報謝としてお金を全部お賽銭に入れさせてもらった」と、父上様がそうおっしゃられたそうです。

このお話を聞いた時、氏神さんに目線を向けられたのはさすがだな、と思いましたね。その土地を縁として商売をさせてもらい、ご飯を食べさせていただいておるわけですからね。度々法話本などの中にも書いておりますが、檀家さんで子供が授からないご夫婦に、私は決まって必ずこう申しております。「人はその土地を縁として生まれてくるわけだから、本当に子供が欲しかったら毎日でも氏神(八幡)さんのところに足を運び、あなたの子供を私に育てさせて下さいませ、と必死に頼んでおいで」と。子供は、授かりものですもんな。

まあ、でも、この父上様(元社長)は、全財産を「0」にされたのは、御礼報謝の意味だけではなかったんじゃないでしょうかね。これはあくまでも私の憶測ですがね。35年前の大学時代ですが、京都にいた私はバイトの関係で、何故か任侠世界のおっちゃんとのご縁がありましてね。そのおっちゃんの凌ぎ(しのぎ)がサラ金でして、よくこんなことを言われておりましたな。「山本君、水は高い所から低い所に流れていくもんだが、金利だけは低い所から高い所に流れていくんだよ。まずは銀行、次にサラ金とね。こんなところにお金を借りに来る人間は、決まってお金にルーズなもんが借りにやって来る。借りても返す気のない人間は、根こそぎ取り上げて丸裸にしてやる。所詮人間は裸で生まれてきたんだ。立ち直らせるには、丸裸にしてやるのが一番の近道なんだよ」と。この父上様、恐らく自らが丸裸になって、頼りに出来るものを全部清算して、ご自分に試練を貸したんじゃないですかね。

まあ、でもですばい。年間60億円を貸し付けてもらい、売り上げがそれに満たなかったそうですもんね。以前、ある特別養護老人施設に講演に伺った折り、毎月1億円を貸し付けてもらい、それを毎月その都度入って来る収入から返済して、何とか経営を維持されているという社長さんのお話を聞いたことがありました。その社長さんは当時35歳、給料が安いと不満を抱える社員の心を何とか説得しながらの経営状態だったと。しかし年間60億円に、月1億円でっせ。すっごい度胸ですよね。まあ、その大半が人件費でしょうが。人を使うということは大変ですよな。その人だけじゃなく、その人の家族の生活にも拘るものですからね。不肖私もそうですが、トップはみんな孤独ですもんな。私の知る限り、私を含め、ほとんどのトップの方々は、日々のストレスからメヌエルで目を回しておられますもんね。

ちなみにこのお手紙をいただいた頃、縁と言うもんはこんなもんか、と考えさせられることがありました。ある場所に先祖供養に赴いた時、その場に来られていたお方のお身内の方が、父上様社長の時代に、この会社の相談役をされておられたそうで、もう亡くなられておられるそうですが。ほっんと龍樹菩薩(真言、天台、南都六宗の祖)がおっしゃられたとおり、「この世の中は縁で繋がっていないものは何一つない。偶然という言葉は人間が創ったもの」でんな。そう考えてみたらくさ、なんぼじたばたしたって、人間に逃げ道などはない、ということですかな。複雑に組み合った網の目の中にいるようなもんですからね。ならばくさ、やってくる縁は全て受け止めて、越えて行く手立てを講ずる以外には、ないですな。

この日本においては、有難い事に毎年誰しも平等に、春夏秋冬がやってきてくれてはります。種を蒔いておかなければ、収穫の時期が来ても実りを貰えるはずがない。「今年は種を蒔いたかい。また、蒔かんかったんかい」と、溜息をつきながらでも、春夏秋冬は毎年訪れてきてくれております。さあ、いつその恩恵が貰えますかいな。そりゃ、自分次第だね。

そういえば、この相談役さん以外にも、この会社の社員さんがお寺の檀家さんの中におらっしゃるんですよね。現社長さんの評判は、なかなかよかですもんな。社員一人一人の意見を取り入れてくれるそうで。例えばパートのおばちゃんが、商品の配列で、身長(目線の位置)のことを考えて、下の段には子供に必要な商品を、中の段には主婦に必要な商品を、上の段には男性が必要とする物をと上伸したら、即配置換えを実行してくれると。だから栄えていくんでしょうけどね。所謂、五分五分の法則ですな。人と人との掛け合いは、半々、つまり五分五分状態が一番力を発揮するということなんですな。片方に力が集中すればするほど総合力は小さくなっていきよります。わかりやすいように、数字を掛けてみましょうかね。五分五分(5×5)は25力、六分四分(6×4)は24力、七分三分(7×3)は21力、八分二分(8×2)は16力、九分一分(9×1)は9力、とね、でっしゃろ。ワンマン社長や亭主関白、カカア殿下などは、あかん。子育てにおいてもそうかな。親が手を出し過ぎて現在、社会に順応出来ん若者の由々しき問題が、方々でかなり勃発しておりますもんな。お寺におけるご祈願なんかもまさにそうかな。いやあ、・・んんっ、まあ、みんながみんなそうじゃないんだけど。出来ることなら楽して願いが叶ったら、と中には無茶を言う人がおるにはおりますもんね。んんっ、・・だけど、努力もなしに願いを叶えようなんてね。そんな都合のいいお寺さんがもしあるんだったら、教えてもらいたいな。一番に私が行くわ。

さて、今月8日はお釈迦さんの御生誕日、通常「花祭」といわれておりますが、わがお寺は8日に拘らず、4月に入った第一日曜日をその法要日に充てております。それは、縁起というものを何より大事にされた釈尊の教えに習い、会社勤めの方や、子供さん達が、その尊いご縁に出逢っていただくため。金剛寺初代住職は60年前先代(父)に、「世相の流れを見て法を説け」とおっしゃりましてね。「拘り(欲)を捨てよ」と説くお寺の住職が頑なに拘って、「8日ちゅうたら、8日にするんじゃ。ご縁に会いたかったら、会社や学校を休んででもやってこんかい」では、ですな。お生まれになったのは、2500年前のことでっせ。花が咲き誇る季節だったこと以外は、ね。縁を広げた方が、お釈迦さんも喜ばれよう。