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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成28年1月

結果を導き出した原因は、必ずわが身にあり

 明けましておめでとうございます。毎年のことながら、また、命あるままに新年を迎えさせてもらいましたことに、感謝、感謝。まさに、「今ここに命があるに、何不足」ですな。

さてさて、正月の三が日は皆さまご存じの通り、お盆の三が日と同じ意味合いでして、正月様、所謂、歳徳神(各家ご先祖の集合霊)をお迎えする大事な月でございまして。ならばじゃと、準備万端整えて、「さあ、みんな、集まれぇ」と親族一党にお声掛けをされましたでしょうか。1月を別の言い方で「睦月(むつき)」というは、所謂、「睦びし月(むつびしつき)」つまり、みんな集まって新年の宴を開けや、ご先祖さん方に仲の良い姿を見せてあげなはれや、それこそが本当の供養となるんでっせ、ということなんですな、これが。

 さて、一昨年の今時期でしたかな。何と、100歳のおばあちゃんの葬式をさせていただきましてね。「冥土の旅の一里塚でっせ、門松は、・・」と、一休さんが無常の理を、ユーモアをもって説いて聞かせてくれておらっしゃいますが、確かに、「人に万歳の歳」なんてもんはないばってんが、しかし、しかしですばい、100歳でっせ。ご遺族も本当の意味での「寿命(ことぶき)」を慶んでおられますからと御会葬者の方々に、「笑って送ってあげまっしょうや」と葬儀法話を。私もこれまでに600人ほど送らせていただいてきましたが、白木のお位牌に「行年 百何歳」と墨書きさせていただいたのは、この方で確か4人目かな。90歳代でのお見送りは、これまでにも結構の数がおられましたが、さすがに100歳越えは、ですな。やっぱり、何度書いても身ぶるいしまっせ。まあ、何にせよですたい。人間は絶対に一度は死ななあかん。その最期を迎えた時、みんなが笑って送ってあげられる人(亡き人)は、年齢にしても、生き方にしても、充実した人生だった、ってことでしょうな。

 葬儀閉式後、振り返って法話をしようとした時、この100歳ばあちゃんの玄孫(やしゃご)で小学4年の男の子が、「おいちゃん、怖い幽霊のお話をしてよ」と。「んっ、何やと。ばあちゃん、まだそこに寝とられるばい。いきなり幽霊の話、ってか。そりゃ、勘弁や。だけど、それにちなんだ話ならしてあげよう」と。この対話で場内が一瞬のうちに微笑ましい空間に変わりましたな。出棺の準備も整い、斎場の外で霊柩車の出発を待っておると、先程の玄孫が側に寄って来て私の手を握り、「おいちゃん、ぼく、今日から絶対、道路にゴミを捨てたり、唾を吐いたりしないからね。嘘をついたり、友達の悪口も言わんようにする」と。「ほう、この子。法話の時には、聞いとんのか、聞いとらんのか、口を開けてホヤーとした顔をしておったのに、ちゃんと聞いとったんだな」と。その法話の内容とはこうでした。

 人というは、今日一日を振り返っただけでもくさ、愚痴を言うは、嘘はつくは、人の悪口は言うは、人を傷つけるはと、どれ程の罪を重ねてきとるかわからん。それを1年365日、生きてきた年数分だけやり続けてきちょる。人はやらかしてきたことは、必ずいつかは清算せにゃならんでっしゃろ。人が死んでからの七日七日は、「その清算の歩み」といわれとるんですな。所謂、極楽浄土へ行くための懺悔の旅路、ですわ。まず、初七日で不動明王に怒られ、二七日の釈迦如来に怒られる前には、三途の川で、奪衣婆(だつえばあ)に怒られた上に、経帷子(きょうかたびら、白装束)を剥ぎ取られ、三七日では文殊菩薩に怒られ、四七日では普賢菩薩に怒られ、五七日(35日)では地蔵菩薩に。この地蔵菩薩の化身がくさ、あの閻魔大王さんなんですわ。地蔵は「地」に「蔵」と書くでしょ。大地の中には人に限らず、命あるものが生きるために必要な宝(水、油、食物など)がわんさかありまっしゃろ。大事な宝は昔、「蔵」というものに入れてはったでしょ。そんなことからくさ、「地」に「蔵」と書いて「地蔵」という信仰が起こったんだそうですな。その大地(地蔵)に、ゴミや唾をあんたさんは吐き捨てはるんですかい、って話ですたい。それに大地が全てお地蔵さんなら、私達は全てを見られておる、ということになりますわな。そういう意味合いから、「閻魔大王はんには、絶対に隠し事は出来ん」という話になっておるんですな。さあ、亡くなったお方が七日、七日を怒られながら旅して歩けば当然腹が減る。腹が減ったら当然ご飯が欲しい。そのご飯がくさ、子孫がお供えする「お香」、ということになるんですな。そのような意味合いからくさ、「49日の間くらいは、子孫は家を離れず、遊びにも行かず、故人のご飯である「お香」を絶やさんように備えてあげなはれや」ということになっておるんですな。

 このお婆ちゃんの初七日の取り上げの法話の中で、この子とのこうした会話のやりとりを親族の方々にお話をさせていただきました。「子供たちをお寺の法要に連れて来て、お坊さんの法話をどうか聞かせてやって下さいな、とお願いのは、こういう意味からなんですよ」と。本来ならば、亡くなったお方が子孫に向けて最期の説教をしたいところでしょうが、何せ口がきけないもんでね。そこでくさ、坊主が故人の代理で説法ですばい。だからお坊さんは、お通夜、お葬式では、絶対に法話をせにゃあかんのです。恐らくですよ、この子と私の会話を聞いてこのお婆ちゃん、安心して阿弥陀の世界へ向かわれたんじゃないのかな、と。

 子育てと言えば、昨年の1月は大変な事件がありましたな。あの18歳の青年らですが、こうした青少年の事件がある度に思うんですがね。この青年も30年経ったら50歳、40年経ったら60歳となっていきます。18歳の未熟な頃とは明らかに考え方が変わり、かつて自分がやらかしたことを必ず後悔する日がくるでしょう、人に時間差はあるでしょうが。しかしながら、後悔するにしても、取り返しがきくものと、きかんものがありますわな。いつの頃から狂ってきたんでしょうね、この少年は。一つの事件を考える時、そうなっていったことの責任の所在(家庭、社会の環境など)を明確にしないと、事件を起こした当時者だけの問題にしてしまっては、この手の事件は根本的な解決には至らないような気が、ね。他人事とは考えずに、今一度ご自分の家庭を見つめなおす必要があるように思いますがね。

 本来、私達坊主が勤めております法話といわれるものは、その大部分が御礼報謝(恩)が軸となって構成されておりましてな。現在、過去、未来においても人というは、何かしらの支えなくして生きていくことは出来ないもの。受けた恩を忘れていない間は、「何で借金をしたのか、何で病気をしたのか、何で孤立してしまったのか」と常に自分に言い聞かせ、思い出せる状態にあるから、それが歯止めとなって大きく失敗することはないでしょうが、恩を忘れた途端に元の木阿弥ですたい。お金の有難さを忘れ、好き放題使って、再び借金地獄。喉もと過ぎて熱さを忘れた挙句の果てに、再び暴飲暴食で体調不良。人が折角許してくれたのに、また、わがまま勝手が頭を持ち上げ、とうとう人から愛想を付かされ、完全孤立。他人を巻き込まず、自分一人で責任が負えるんなら、好き放題すりゃいいけど、ね。だけど少なくとも今日まで、支えてきてくれた人たちを裏切ることにはなりますばい。さあ、恩は着せるものじゃない、恩は着るものでっせ。一度着たら、死ぬまで脱いじゃあかんですよ。