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中山身語正宗 天徳山 金剛寺です

過去の法話

平成27年6月

夢と現実の受け入れは、わが心如何、かな

 
  6月といえばくさ、私たちが若い頃、「ジューン・ブライド」(6月の花嫁)なる言葉がよく耳に聞こえてきておりましたが、一節によると、6月の月名である「ジューン」は、ローマ神話で結婚を司る神、「ジュノ」に由来しておるということから、この月の花嫁は必ず幸せになるだろう、という言い伝えからきた言葉だということなんだそうですな。また、もうひとつは、こっちの方が有力説だということなんですがね。ヨーロッパでは3月、4月、5月は農期ということで、つまり、農作業の妨げになるから、「お前さんら、時季を考えろ、どアホ」と。つまり6月に入った方がみんなから祝福され、幸せになりますばい、ということから、この月に結婚式が多く催されていたとのこと。そのようだということですばい。

 ところがですたい。日本ではこの言葉の使用理由はちょっと違っていたそうで、その目的は、梅雨の時季に結婚式を望むものが極端に少なかったためだったとか。・・そりゃ、そうですわな。なにが悲しゅうして、雨にドレスを濡らしながら、ね。祝ってあげる方も、うっとおしいですわな。つまり、そんなこんなで業績(売上)が悪化するため、「こりゃ、使える」と、このヨーロッパの習わしに目をつけたホテル業界が便乗したとのこと。「バレンタインディ」や「ホワイトディ」と同じ流れだわね。さすが、日本商売界、眼のつけどころが、ですな。だけど皮肉にも、その6月に結婚をされたカップルが、12カ月の中で、ある時期一番離婚率が高かった、という風評を何かの情報で耳に挟んだ記憶があるんですが、その真偽(6月結婚開催者離婚率最高値)については定かではないんですがね。まあ、しかし、考えたらその風評ですが、まんざら近からず遠からず、という気がせんこともないですな。つまり、絶対数は圧倒的に少なかろうばってんが、所謂、「夢見る夢子ちゃん」で、「ジューン・ブライド」の言葉に引かれて結婚に踏み切った女性の方々がですな、実際、夢と現実とのギャップがあまりにもありすぎて、「こんなはずじゃなかったのに」と、夢(結婚観)破れて離婚という形になっていったんじゃないかと。しかし、しかしですばい。大方の女性ちゅうんは、そうではないですけどね。男性と違って結構現実的だからね。特に子供を産んだあとなんてもんは、まったく別物になりますもんな。結婚式までは、少女のように夢を抱いて突き進んでいきよりますが(見た目は)、いざ実生活に突入したら、歳を取っても夢ばかりを追い掛け続ける男性とは、根本的に精神状態が違ってきますよね。わが女房殿も、私より歳は4つも下なんですが、22歳で長男を産んだ途端、あっという間に精神年齢が逆転されましたもんな。言葉の上でも、亭主は「関白」止まり、カカアは「天下」様ですもんね。

以前、さんまさんの「ほんまでっか」を見ておりますと、こんな情報を示してくれはりました。その人自体の本当の性格は、16歳から20歳までに出来あがってくると。この見解については経験上、なんとなく納得出来るものがあるんですよな。「三つ子の魂、百まで」という言葉がありますが、確かに、「人は生まれを問うな、育ちを問え」とお釈迦さんが言われたように、小さい頃の育て方が、その人の「人となり」に大きく影響していくことは否定することは出来ませんが、15歳までは、なんちゃかんちゃ言ったってくさ、親の腕の中での成長ですもんな(社会においても義務教育期間)。それ以後でしょ、自らの翼で羽ばたこうとしていくのは、ね。その15年間が基礎となって、本来の自我が芽生えていくと考えたらくさ、16歳から20歳という見解は、まんざらではないですよね。50年程昔を眺めた時、女性は大方20歳前、早い人なんて、16歳で結婚されていたとのこと。つまり、この「ほんまでっか」情報を当てはめてみるとしたらくさ、今と比べて離婚が少なかった理由は、まだ本人が未完成の内に嫁いでいたから、相手の家に順応出来た、と考えるのがごくごく自然ですかな。当然、人それぞれに適応出来うる年齢の違いはあるでしょうがね。人も30歳前後になってくると、考え方が自然と固定化されてしまい、善悪、是非の基準は、全て自分が中心。「私と接したいのなら、私の範疇に、あんたはんが入ってこい」と。
・・それでは、ですな。個人に限らず、国政(会社組織)においても、固定されてしまった考え方を切り崩していくのは大変難しい。時には世相の流れも巻き込まんことには、ですな。以前にも紹介しましたが、臨済宗の仙がい禅師という高僧が、「割り切れんものを無理やり割り切って、わが心と折り合いをつけることを生きるというんだ」と諭された言葉、これはどんな場面にも当てはまるかと。この教え、応用してみる価値はあると思いますがね。「未完成だからやらない」ではなく、「未完成だからこそチャンス」とね。極端な固定観念はあかんわ。

心の持ち方次第と言えばくさ、1582年の6月2日は、信長公が光秀公の謀反によって命を絶たれた日でしたな。本能寺は当時、京都西洞院にあったそうですが、今ではそこから600メートルほど東の寺町に建っております。行きかう人の流れを見ても、町に漂う情緒を見ても、そんなことが本当に当時あったのだろうか、と思われるほどですばい。以前の法話で、「この土地ですが、変な死に方をした人はおりませんか」などと、家を建てたいと希望している人がたまに尋ねてくる、という話をしましたが。ちなみにですが京都なんて、誰もが知っている歴史における激動の舞台ですばい。不運な亡くなり方をした人など、数えきれんほどおらっしゃりますばい。京都一の繁華街、四条河原町の交差点の一角は、あの幕末の志士、坂本龍馬はんと中岡慎太郎はんが無惨にも切り殺された場所(石碑あり)、今そこにはコンビニがあり、界隈を含め、えろう栄えておまんがな。恐らく京都の人たちは、そんなことを忌み嫌わんと、かつて日本の国造りのために尽力を尽くし、命を落として逝かれたあまたの方々に、心の底から敬意を払って、感謝しながら生活をされているから今日の繁栄があるんじゃないかと。現在、義理の妹がロンドンに結婚をして住んでいるのですが、以前テレビの情報番組で言っておりましたが、イギリスは何と、ゴースト(幽霊)付きの家のほうが値段が高いそうですな。「守ってくれる」という感覚らしい。日本とはえらい考え方が違うみたいだね。幽霊さんだってくさ、いたらの話ですよ。そんな忌み嫌われるより、頼られ、感謝されたほうが、「よしよし、任せい」と、胸を叩きまんがな。この世の中の人間関係もまさにこれに同じ。与える感情によって左右されるのは、至極当然のことですばい。

 昨年のことですが、四国巡拝中に参加された女性に、「こんなご縁を授けていただいて有難うございます。一週間も不自由をさせて申し訳ありません。明日、戻ります」と、ご主人にメールしなさい、と強要しました。まず、ご主人にメールなど打ったことがないというので、初めは嫌がっておりましたが、打ったところ、次の日に返信が。帰宅すると、30年以上続いてきたご主人の態度が一変。さてさて、これまでの冷えていた夫婦関係は、いったい何が原因だったんでしょうかな。日本では、「つうことだ、そうかあ」からきたといわれる「つうかあの仲」と言う言葉がありますが、それでもやっぱり対話は大事、大事ですばい。