雛飾り(初節句雛)の豆知識

6.親王の左、右について
結婚式もそうですが、雛人形も向かって右は女雛、左に男雛ですが、古来日本式の上座下座の考え方から本来は右、左は逆でした。
※現在でも京都の雛飾りは、右が男雛、左が女雛です。
右・左を決めた説としては、諸説ありますが・・・・。
1.明治時代、ヨーロッパの習慣にならって皇室が採用し、
天皇陛下が左側、右側に皇后陛下が御並びになったことから、
関東の雛人形の左右を決めたとされる説。
(外国のメディアに流すとき、古来の日本式に並ぶとヨーロッパ諸国に”女帝”と見られてしまうおそれがあるために
西洋式をとったとされます。)
2.関東では上記以前に、江戸時代、徳川家康の孫(興子内親王)が明正天皇(在位1629〜43)に即位してから、
女帝を尊重する意味で左・右を並び替えたという説。
(※雛人形を3月3日の節句に飾るようになったのは、江戸時代、徳川政権下になってからです。
江戸中期には女の子の誕生を祝って初節句に雛人形を飾り、庶民の間でも盛んに行われるように
なリました。
このころになると雛人形や雛道具の種類も多くなり豪華で贅沢な物が作られるようになりました。
幕府の方針で贅沢を戒める贅沢禁止令が再三出され雛人形もその対象になったのですが、
これをかわすために徳川家をたたえて左右が入れ替わったともいわれています。)

※1867年慶応(けいおう)3年、15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)は、
大政奉還(たいせいほうかん)して、政権を朝廷(ちょうてい)にかえしました。
明治時代になり、明治六年節句廃止となって一時衰微致しましたが、識者の方々が
”3月のひな祭り””五月の端午節句””七夕”を世界に類の無い年中行事として賛美せられ
隆盛を見るようになりました。
7.雪洞(ぼんぼり)の語源
一般的に、「ぼんぼり」は、ぼんやりした状態を言う副詞の「ぼんぼり」の転用で、この副詞の「ぼんぼり」は”ほのかに”という意味の「ほんのり」の転化という説があります。(広辞苑より)
雪洞の燭台の炎が、火袋(木や竹の枠に白紙張ったもの)を通してぼんやりとしてはっきりしないさま、物がうすく透いてぼんやり見えるさまなどの意味から、江戸時代には、主にこのような意味で使われていたそうです。
※雪洞を「せっとう」「せつどう」と読むと、茶道具の風炉(ふろ:釜をかけて湯をわかす鉄製の炉)を覆う木や竹の枠に白紙を張り、一部に小さな窓をあけた蓋のような道具のことで、「ぼんぼり」とも呼ばれます。
これを日本では照明道具に転用したとのではないかと言われています。
8.雛道具について
七段飾りに、一般的に用いられる代表的な九品の雛道具の紋(文)様に”牡丹唐草紋様(ぼたんからくさもん)”があります。

唐草紋(文)”は、西アジアから中国へ伝わったもので、植物の茎や蔓(つる)を紋(文)様としたものの総称です。また、唐草紋(文)だけで使う場合ばかりでなく、いろいろな花のモチーフとあわせて使う場合があります。(※牡丹唐草・菊唐草など)
蔓はどんどん伸びて成長することから長寿・延命の象徴とされています。 
また、唐草紋様の終わりのない連続紋様より、永遠の繁栄をあらわしているともいわれています。

”牡丹”
は、約2000年前から栽培されていた歴史ある花です。
中国の唐代に「百花の王」として、その容姿の美しさからも信仰の意義からも絶大な人気を博し、
”富貴花(ふうきか)※富貴(幸福、お金持ちになれる)”又は、”洛陽花(らくようか)(※古都洛陽が牡丹の栽培で有名であったため。)”とも呼ばれましたが、則天武后の頃に”牡丹”と呼ばれる様になりました。
その容姿より幸福、富貴などの象徴とされています。
日本には奈良時代頃に薬用として伝わりました。
江戸中期以降になって栽培が進みようやく人々の身近なものになったそうです。
9.三宝(さんぽう)について
雛道具では「おさんぼう」と呼ばれています。
一般的には、三宝に瓶子(へいし)が載っていて、その瓶子に水引で飾られた熨斗(のし)が差してあります。
熨斗には紅白梅の花がついています。
※現在の雛道具の三宝は、そのほとんどが紅白の梅(※木瓜(ぼけ)ではありません。)になっていますが、昭和中期ぐらいまではピンクの桃の花が多くつかわれました。
               (※左近のと同じ色目になるため、職方が変更しそうです。)
親王(御内裏様と御姫様の間)の中央に位置していて目立つ存在ですが、私の知る限り古くは、
江戸時代末期の長門(ながと)藩主:大村家の雛道具(文化学園服飾博物館所蔵)にあります。
ただ、この三宝と瓶子の取り合わせは、一つの三宝に一つの瓶子で2つです。
私が思うに、親王の間ではなく他の道具と並べて飾られたのでしょうか?
 (※どのように飾られたか、ご存知の方教えてください。)
現在のスタイルになったのは、比較的新しい時代(明治〜大正)になってからと思います。
江戸時代の浮世絵などには、三宝は描かれていますが瓶子との取り合わせはありません。
(※延享5年(1747年)西川祐信筆ひな祭絵本十寸鏡など)
三宝、瓶子、熨斗、水引については、神饌の考え方からきているそうです。
10.菱餅(ひしもち)について
正月用の丸餅の上に菱餅が乗っていて、そのお餅を”菱花びら”とよび、上に乗った菱餅には薬草が炊(た)き込められたものが、変形して現在の菱餅の原型と成ったという説があります。。
(※菱餅の形は、字の如く菱形をしていますが、もともとは三角形だったのではないかという説もあります。)                                            (和菓子の話より)
丸餅の上に菱餅を置いたのは、一説には”陰と陽”に基づいて”丸と菱の形”が用いられたことに由来するともいわれています。
またインド仏典の説話にならい、白い菱の実の力を信じ菱餅を飾るようになったという説もあります。                                       ※起源は諸説いろいろ有ります。

色の順番
については、
1.”春つげの歌”があり、その歌の順番とされる説。
2.正月用の丸餅の下に裏白(うらじろ)の白い方が上になるようにしいて 、この餅の上に橙(だいだい)をのせた飾り方から転化したとの説。(※正月の鏡餅の飾り方です。)
 ※裏白:常緑のシダで左右の葉が対となっているところから夫婦円満を意味し、葉が落ちずに新しい葉を生ずることから家族の繁栄を表している。白を上にして飾るのは「裏を返しても心は白い」(心が白く二心が無い)と清浄潔白を表わす。 
※私の考えでは、
菱餅が雛壇に飾るようになったのは江戸後期以降といわれ、
雛節句以前は正月のものであった歴史からすると、
これらの色の順番説は後世のこじ付けのように感じます。

(1.の”春つげの歌”の内容と解釈)
三段重ねの菱餅の場合、下から緑、白、ピンクの場合と、下から白、緑、ピンクの場合の二通りがあります。
@ 緑、白、ピンクの場合、”雪の下には、若芽吹き、雪の上では、花開く”とよみ、白い雪をそっと退けると草々の若芽が息づき始め、見上げると、桃や梅の木に花が咲いているさまと解釈されています。                                                 ※木々の歌
A 白、緑、ピンクの場合、”雪の中から、若葉萌え、若葉の上に、花開く”とよみ、白い雪の合間合間に若葉が萌えて、そこから草々の花が咲き開くさまと解釈されています。     ※草々の歌
 ※ユキワリ草が咲いている風景でしょうか?
              (※上記の歌と解釈は、当店に伝わる(祖母から聞いた)口上の1つです。)
(歌は分かりませんが、七五調でしょうか?)
緑は、ヨモギで染められ厄を払い。ピンクは、赤いクチナシで染められていて解毒作用。
 ※どちらも汚れを払う意味の薬草です

近年、五色の物がよく見られますが、一般的に下から白、緑、ピンク、黄色、赤の順番の配色です。
職方に聞いたところ、黄色が月赤色が太陽を表しているそうです。

11.仕舞うときの注意点は。
季節がら季候が不安定な日が多いので、くれぐれも晴天の日に(できれば晴天の日が2日ほど続いた後に)窓を開け風通しをした後に、決められた分量の防虫剤を入れて仕舞って下さい。
 ※防虫剤は、くれぐれも入れ過ぎないよう注意してください。
  (人形の顔を汚したり、布地を傷めたり、部品を溶かす場合があります。)
 ※ナフタリン系の防虫剤がお勧めです。
ナフタリン系としょうのう系を、同時併用しないで下さい。
雛道具や雛壇(木製)、屏風については、仕舞う場所(蔵・物置など湿気の多い場所の場合)によりシリカゲル等の乾燥剤を入れてください。
シリカゲル等の乾燥剤は、カメラ専門店などで購入できます。
 ※乾燥している場所に仕舞う場合には必要ありません。(木地をいためる場合があります。)
 ※雛道具などを、ビニール袋に入れて仕舞わないで下さい。
  (蒸れを起こしカビがでる原因になります。)
※分からないことがあったら、雛飾りを購入した店に問い合わせてください。