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21日・22日 さらばパリ〜

 いよいよパリ最後の日になってしまった。
6日間お世話になったホテル・プランツ・フォーラムともお別れである。といっても、帰りの飛行機が21時10分のフライトなので荷物を夕方まで預かってもらう。

 最後になってしまったけれど、ここのホテルと周辺について少し説明。
今回のホテルはカード会社のサービスの中に紹介されていたホテルで、料金と場所を考えて選びました。なにより惹かれたのが日本人スタッフ在中との紹介。英語も仏語もできない私達にとっては大きなポイントでありました。それとホテルの場所が理想的であったこと。実際にこのホテルには日本人のスタッフが2名いました。ポットや金庫の鍵を借りたり、タクシーを頼んだりと色々お世話になりました。(そのくらいの英語、勉強しろと言われると返す言葉もないっス…)
 ホテルのある場所はメトロやRERが交わっているLes Halles駅から徒歩2分。ただ、Les Halles駅、特にRERホームは治安がよろしく無いとの情報で、私達は駅構内には足を踏み入れませんでした。もっぱら徒歩5分程のChatelet駅を利用してました(ここの駅もけして綺麗な駅ではないです)。この2駅のある界隈は、東京の街で例えると六本木だそう(ガイドブックによる)。確かに街で見かけるのも若者中心で人種も様々。高級ブランドのショップはないけれど、デパートやスーパーマーケットはあるし、なんと言ってもガルニエとバスチーユの両オペラ座の中間地点で、尚且つシャトレ座へ徒歩で通える、といった私達にとってはとても便利な場所でありました。一本だけ風俗系のお店が連なるデンジャラスな通りがホテルの近くにあったりしたけれど、そこは早足で通りぬければ大丈夫。
なんにしても高級住宅街でもなく、ごちゃごちゃなんでもありの街はとても便利で気兼ねなく過ごすことができましたね。

 さて昨日の書店全滅が悔しい私はどうしても本屋を覗きたかった。ので、サンジェルマンデプレ界隈の書店に行くことにする。でもその前に観光もということで、シテ島ににあるサントシャペルとコンシェルジュリの見学へ行く。
 パリ発祥の地シテ島にある裁判所の一角にこの二つはあって、チケットも同じ場所で販売している。
 サントシャペル(Sante-Chapelle)は1248年にルイ9世よって建てられた、かなり古風な教会でした。外から見た感じはこじんまりした小さい建物だけれど、礼拝堂が二層になっていて、1階の礼拝堂は王家の使用人用、2階の礼拝堂は王族が使用したという造り。もちろん現在は2階の王族用の礼拝堂の中も入れます。1階の使用人用空間は普通の教会(それでも壁から天井に続く梁の曲線が美しくみほれる程)なのだが、螺旋階段を上って2階へ上がった瞬間、思わず感嘆の声が漏れた。一面のステンドグラスに黄金色の装飾。三方の壁がすべてステンドグラスで、この世とはかけ離れた空気を作り出している。できるものなら一日ここにこもって、歴史の本なぞ読みつつ、当時に思いをはせてみたいところだ。が、悲しいかな時間の無いツーリストなので次の見学地コンシェルジュリへ出かける。
 フランス革命時の牢獄だったコンシェルジュリ(Conciergerie)。4000人を超える囚人が収容されていたこともあるとか。フランス革命当時の資料なども展示されているのだけれど、なにせ文章がフランス語なのでささっと流して見学。面白かったのは階級によって牢獄の造りも全然違っていたこと。庶民の牢屋は藁が引いてあるだけ。身分のある人用は机とかベットがある。金次第ってこと? そしてマリー・アントワネットがギロチン台に上がる前、最後に過ごしたという部屋もあった。当時を再現していて衣装を着たマネキンも置かれている。これが結構リアルだったりする。さらに実際に王妃がここで使用していたリネンなども展示されていた。ここコンシェルジュリに収容されていた人の7割以上が断頭台に上がったということを考えると、ちょっと背筋が寒くなる場所である。
サントシャペルとコンシェルジュリの入場券
サントシャペルと
コンシェルジュリの入場券
サントシャペル






サントシャペル正面
(何がなんだか良く判らない写真ですみません)

 さて昼食も終わって余った時間をどうしようか。ガイドブックを見ると、サマリテーヌには360度見渡せる無料の展望階がある、との事。調度良いからそこへ行こうと思い階段を昇る昇る。(今回の旅行はよくよく階段を昇っているなぁ)展望への入り口らしきものを見つけたのだけれど、お姉さんが立っている。よく見てみると、どうやら展望へ行くには2ユーロ(3ユーロだったかも…記憶が曖昧)かかるらしい。ガイドブックには無料とあったけれど有料になったのね。よほど観光客が大挙したのか…。お金を払ってまで見るほどもないかと再び階段を降りる。
 ここで暫らく1人づつに別れることにして、私は左岸へ渡って本屋へ行く。月曜日なのに結構な人出。さすがに大学が多い地域らしく書店もたくさんある。パリの路は複雑で、地図を片手に歩いていたにもかかわらず、なにやら路に迷ったかかんじ…。目的の本屋が無い、というかここはどこ? まったく京都のように碁盤の目なら判り易いのに、とふてくされつつ目にした大きな書店に入ってみる。一番上の階(3階)まで上がると、ありました、漫画コーナー。フランスのバンドデシネに混じって、日本の漫画の翻訳本も並んでいる。少年漫画が中心だけど、「ベルサイユのばら」も置かれている。フランス人はオスカル様を見てどう思うのだろ? そしてフロアの端っこに日本の同人誌も置かれているのを発見。しかも仏語に翻訳されていた。ビニール入りだったので内容は不明だけど、表紙から想像するに18禁なものであるのは間違いない。日本のおたく文化(?)が浸透しているとは聞いていたけれど、こんな普通の書店に日本の同人誌が置かれているとは、その浸透度は想像以上だった。(日本の書店でも、普通の書店には同人誌はおいてないってば) せっかく来たので、友人への土産にバンドデシネを購入し、待ち合わせのサマリテーヌまで戻る事にする。
 *バンドデシネとはフランス・ベルギーあたりで盛んに出されている。漫画本。ただ日本のそれとは全然異なり、サイズがB4位の大判、ハードカバー、全頁フルカラーという豪勢なもの。内容も大人向けが多い。「ティコ・ムーン」の作者ベルギーのエンキ・ビラルが有名。

 *カオル追記 わたしは、サマリテーヌのランチがちょっと多めで、でも、貧乏性なので全部食べてしまって苦しくて、その後の階段登りで参ったらしく、気分が悪くなったのでした。バカね。パリの本屋の日本の同人誌(特に腐女子ものとか、笑)私も見たかったよ〜。とても左岸まで歩く気力がなかったのと座りたかったのもあって、とりあえずポン・ヌフ橋を渡りシテ島のベンチに座りました。(こういう時のベンチって助かる〜。サマリテーヌの中には、日本のデパートみたいに簡単に座れるベンチはなかったような気がします)そして一人ぼーっとセーヌ川を見ていました。そうしたらパリの警察が警察犬とともにセーヌ川を捜索しておりました。多分潜っていたと思う。なんの事件だったのだろう?
サマリテーヌ





とてもお世話になったサマリテーヌ
アール・デコ様式のデザインが美しい建物です

 サマリテーヌでカオルさんと合流し、いよいよ帰途につく。ホテルへ荷物を取りにもどり、ついでにタクシーを呼んでもらう。来た時のタクシーみたいだったら怖いな、という不安を隠しつつ乗り込む。帰りの運ちゃんは、行きほどではないにしても結構飛ばしてくれる。でも道路が混んでいるのですぐ詰まる。…おかげで車酔いした。
 タクシーのお兄さんは私達に「英語話せる?」と話しかけてきた。「ほとんど話せない」と言う私達にちょっと淋しそうな顔をして、空港まで運転してくれた。空港では「日本語話せなくてごめんね」とまで言うお兄さんに、「私達こそ英語すら話せなくてすみません」と言いたかったけれど、言えませんでした(苦笑)。行きの運ちゃんもそうだけど、パリのタクシーの運ちゃんは話し好きなのか? パリ人の「はじめに言葉あり」という気質のせいなのか、二人共車中で「しゃべりたくてうずうずしている」感じが体中から滲んでいたのが印象的でありました。

 無事に搭乗券も貰い、あとは飛行機にお任せするだけ。待ち時間で絵葉書を出し(帰る日に日本に葉書を出したらしい…。この時の切手が四年前のサッカーワールドカップの記念切手! まだ売っているのか!?)、飛行機に搭乗。帰りの飛行機はほぼ満席。何事もなくソウル経由で22日夕方名古屋に到着。
 楽しい8日間は終わった…。明日からは仕事だ〜。 

 ここまで読んで下さってどうもありがとうございました。つたない、まとまりの無い文章で申し訳無かったです。仏語も英語も話せなくてもなんとかなるもんです。パリ旅行についてはちょっとばかし自信がつきました(こんなんで自信をつけるなって)。言葉が出きるのに越した事はないですが…。
 さあ、今度こそロシア・サンクトペテルブルグへ行ってキーロフバレエを観るしかない!?
… 2002/12/22 ……しずか

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