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10月16日(水)観劇記
各々の演目のキャストはキャスト表を参考にしてください。

SOIREE NIJINSKY-FOKINE

Petrouchka
『ペトルーシュカ』
ストラヴィンスキー作曲 フォーキン振付


配役表をよくよく見ると、振付復元セルゲイ・ヴィハレフと名前があるので、ヴィハレフによる復元版なのかもしれない。しかし『眠り』や『バヤデルカ』のように従来のものを知っているわけではないので、比べることはできない。
『ペトルーシュカ』の生舞台を観るのは95年にロンドンでロイヤル・バレエのストラヴィンスキー・プログラムを観て以来(ペトルーシュカは熊川)。振付的にはそれほど見応えのある演目ではないとはわかっているが、音楽は大好きだし、キーロフ・バレエ、ゲルギエフ指揮で期待は高まる。
幕開け、謝肉祭で賑うロシアの街。ストラヴィンスキーの音楽は街のざわめきをそのまま旋律にしたかのよう。登場人物は色とりどりの衣装をまとっているけれども、全体を眺めると一つにしっくりとまとまっていて美しいし、その氾濫する色もストラヴィンスキーの旋律と呼応する。
さて、人形達の登場。アユポアは容姿、雰囲気ともまさに可愛らしいバレリーナ人形。彼女は元々力強いムーア人が好きなので、情けない感じのペトルーシュカはあまり眼中に入っていない。ペトルーシュカは自分の部屋で人形使いへの怒りを露わにした踊りを踊る。そうこうするうちに当の人形使いによって、ペトルーシュカはムーア人とバレリーナがいる部屋に放りこまれる。おかしくも悲しい人形達の恋模様が展開し、舞台は再び街に戻る。
わたしはここの祝祭空間がとても好きだ。ロシアの民族衣装を着た娘達が、手をつないでステップを踏みながら軽やかに登場し、コサックダンスが雄雄しく踊られる。明るく賑やかな雰囲気なのに、どこかせつなく物悲しい。そんな気分にさせられるのは途中から降り出す雪が、とてもきれいで、祝祭的華やぎをどこか遠くでおこっていることにように、目の前を霞ませるからかもしれない。
そこに突然3つの人形が人形小屋から飛び出してくる。ムーア人に殺されてしまうペトルーシュカ。その生々しさに驚く人々。人形使いがやってきて、これはただの人形なのだ、と種明かしをする。人々が去り、人形使いが一人残った時、ペトルーシュカが人形小屋の屋根の上から姿を現し、哀しみの呪詛を撒き散らす。
その昔ニジンスキーの踊ったペトルーシュカは人々の心をうったとされるが、サモドーロフの踊りからは残念ながらそこまでの何かは伝わってこなかった。しかし舞台は美しく音楽もきれい、シャトレ座でキーロフ・バレエを観る最初の演目としての感動、等々含めて満足のいくものであった。


Sheherazade
『シェヘラザード』
リムスキー=コルサコフ作曲 フォーキン振付


さてわたしにとってのメイン・イベント(笑)である。実は『ペトルーシュカ』が終わってから、『シェヘラザード』が始まるまでの幕間時間が、かなり延長していた。タイムテーブルに書かれていた20分のたっぷり倍の時間が流れたのではないかという頃、いつまでたっても幕があがらない舞台を待ちきれなくなった観客が催促の拍手をし始めたり、と劇場内は一時騒然とした雰囲気になった。こうなってくるとわたしも悪く物事を考えがちで、もしかしてルジマートフに何かあったんじゃ…、それで幕が上げられないのかも、などと思ったりして、それでなくてもどきどきしているのに、一層胸が苦しくなったりしていた(はたからみたらバカね、という感じなんですが、当人真剣)。やっと客電が落ちて何事もなく指揮者が登場した時には、少しだけ(なにせこれからルジを観るというドキドキはおさまらない)ほっとした。
さてようやくあの流麗な音楽がオケ・ピットから流れ始める。同じゲルギエフ指揮のCDを見ると、1曲目は10分27秒とある。バレエの前奏曲というにはあまりにも長いわけだが、「シェヘラザード」の楽曲はもちろん大好きなので、ゲルギエフ指揮、キーロフ管の音を堪能する。ああ、やっぱり生の音は素晴らしい。日本の公演はどうしてもそこのところが不満で、でも観られるだけありがたいんだから我慢しなきゃだめ、いやしかし音楽があってのバレエなんだからそれは大事なことなんじゃないか…、思わず日本のバレエ公演への思いがぐるぐるしてしまったのだが、今はそんなことを考えている場合じゃないと気持を切り替え舞台に専念する。1曲目が終わり2曲目が始まり、幕が上がる。バクストの絵画を彷彿とさせる美しい舞台セットにまずうっとりする。上方に大きく垂れ下がる幕、飾りひも、舞台四方におかれたクッション。人型の柱と、屋根の付いたゾベイダの寝台(なのか寝椅子のようなものなのか)には、過剰な装飾がほどこされている。後宮の蠱惑的で、そこにいる女達の発する熱を感じさせるような舞台だ。
マハリナのゾベイダは踊りこんでいるだけあって、ダンス、役作りとも非常に安定していて見事。後日みたザハロワのゾベイダに比べて退廃的でしっとりと落ちついている。王妃としての今の生活にそれほどの不満はないが、満足しているわけでもなく倦怠の日々を送っている。そんなマハリナ@ゾベイダが運命の人金の奴隷に出会ってしまったので、悲劇は起きた、と。(あ、また妄想劇場が始まります、笑)
さて王が弟と見せかけの狩りに出かけ、宦官から鍵を奪い、奴隷達の登場となる。次々に舞台に飛び出してくる奴隷達は、派手な跳躍を見せては自分達のお気に入り(ではないですな、この場合気に入られ=jの女を煽情的なポーズのリフトで、文字通り担ぎ上げて舞台四方に散って行く。さすがにその他奴隷ダンサーの踊りも見事で、ほんの短いシーンではあるが見応えがある。そしてそしてとうとうルジマトフ@金の奴隷の登場!!ああ、しかし拍手が無いのであった…!うう、寂しい〜〜。したかったけれども、2階の奥まった席ではできなかった。それにしても、パリの地で本当にルジマトフを観ることができるとは!(いや、もちろんその為に行ったんですが、笑)感激でうるうるしてくるのは、どうにも押さえきれない。
いつ、どこで観てもルジマトフの舞台に傾ける情熱は、なんて多大で熱くて真摯なことか。マハリナとの息の合った本当に美しいパ・ド・ドウを観ながらそんなことをずっと考えていた。そして二人が下手に退いて、コール・ドが踊り始めてもいつものように相変わらず、二人を見つめ続けていたわたし(ルジ観劇のお約束ですね、笑)だったが、さすがに本家キーロフ版は、コール・ドの人数が多く迫力が違う。たまにはコール・ドも見よう、と今回初めて(初めてかよ)少しずつ見た。しかし途中ゾベイダが金の奴隷に下手の階段下に置いてあった水煙草(だよな、多分、阿片煙草ではあるまい、いやでも阿片でもいいけど、あれ、でもこの時代のここに阿片って存在するのか)を吸わせる、というおいしいシーンがあり、やっぱりほとんど視線は二人へと集中してしまった。水煙草、なんてエロティックなアイテム。吸い口を金の奴隷に差し出すゾベイダ。ずっとゾベイダを見つめ続けながら、それを受け取り、やおら深く深く煙草を吸う金の奴隷。吸い終わり金の奴隷は煙草をゾベイダに返し、今度はゾベイダがその煙草を吸う。濃密な二人の空間はしかしどんどんと辺りを支配していく。
やがて金の奴隷は舞台の中心で踊り始め、時ならぬ宴はここで最高潮に達する。ルジマトフの素晴らしいダンス!(わたしのうるうるもここで最高潮になり、「シェヘラザード」観て泣いてる変な人にまたなってしまった、笑)インペリアル・ロシアバレエで観た時は、ルジ@金の奴隷がその場の全てを支配しているように見えたが、キーロフ版ではマハリナ@ゾベイダの支配力の方が強いように見えた。それは水煙草のシーンがあったせいだとも大いに考えられるけれども、マハリナ@ゾベイダがほんの少し体温が低い感じ(悪い意味ではなくて、金の奴隷に向ける情愛がどこか醒めたしかし抜き差しならないものであったと感じられたこと)だったからかもしれない。王妃と奴隷の身分の格差が、ザハロワの日よりも明確に感じられ、悲劇の結末はゾベイダこそが、強く望んだもののようでもあった。
ちょっと感想が先走ってしまうが、ルジマトフはそれぞれのゾベイダ像を大事にしながら、舞台を作り上げ、二つの全く異なる「シェヘラザード」を見せてくれた。マハリナとの日は全編頽廃的で、二人の紡ぎ出す情愛は冴え冴えと青く、しかし激しく燃え上がる氷の炎のようだった。


Le Spectre de la rose
『ばらの精』
ウェーバー作曲 フォーキン振付


「ばらの精」は実は7月にルジマトフで観られる筈だった演目。今の彼がこれを踊るとどうなるのだろうと興味津々だったのだが残念である。
さてウェーバーの楽曲が始まり、アユポアの登場。舞踏会の思い出にうっとりする少女の風情はいじらしい。ばらの精役コルプの生舞台は初見。キーロフの「白鳥の湖」の映像を見た限りでは、ラインの美しいダンサーだなという印象だった。少女が椅子にもたれかかり、薔薇の花を床に落とすとばらの精の登場である。コルプは少し小柄ながら脚のラインが非常に美しい。跳躍も軽やかでふわっと上がってふわっと降りる感じ。おおっ、これは、ばらの精だわ!ばらの精にちゃんと見える〜と嬉しくなる。考えてみるとばらの精というのは本当に難しい役だ。人であってはいけないのだ。どすん、などと床に降りる音がしようものならただちに失格なのだ。あと、コルプは背中も柔らかいようで、片方の脚を後ろに振り上げる跳躍では、脚がほとんど頭に届きそうだった。うーん、素晴らしい。そして非常に素直な踊りをするので、なんとも清らかなイメージのばらの精だ。このバレエの中に巧妙に隠されたエロティックなニュアンスを感じさせるところまではいかなかったけれども、清らかなばらの精もそれはそれで素敵ね、と思わせる良い舞台だった。


Danses polovtsiennes
『ポロヴェッツ人の踊り』
ボロディン作曲 フォーキン振付


この踊りは「甦るフォーキン」というキーロフ・バレエのドキュメンタリー映像に少し、と「クラシック・キーロフ」というビデオに入っていて、見ていたはずなのに合唱付きということをまったく忘れ去っていた。なので重厚な衣装をつけて脇花道(じゃないんだけどね、笑、正式にはなんというのかよくわからないのですが、舞台上手と下手のふちからオケ・ボックス方向に張り出している細い通路)に並んだ方々が、合唱団とは全然思っていなくて、心の準備がなかったので楽曲が始まって本当にびっくりした。合唱付きなんだ、なんて素敵〜。そして人の声の心地よいことといったら!踊りは踊りまくる系のキャラクター・ダンスだが、もうほんとに上手いこと上手いこと。キーロフのキャラクター・ダンスはいつ観ても素晴らしい。そして迫力の大人数なのだ。合唱も迫力なら、上半身裸で弓を持って飛び跳ねる男達も、くるくると踊る女達も迫力。純粋なクラシック・バレエを観るのとは別の五感を大いに刺激してくれる(いわゆる血沸き、肉踊るというやつですか、笑)良い演目だった。


L'Oiseau de feu
『火の鳥』
ストラヴィンスキー作曲 フォーキン振付


わたしにとっては全くの初見の作品。以下ざっとあらすじを書くと、イワン王子が火の鳥の助けを得て、不死身のものに魔法をかけられ捕らえられている王女を助け出し、その王女と新たな国を作るというお話。
金色の実がなっている木のセットが舞台真中にあり、背景セットはどちらかというとおどろおどろしい雰囲気。この場所はこちら(現実世界)とあちら(不死身のもの達のいる魔界)の境目のような場所なのだろうか。そんなところをイワン王子は、火の鳥を捕まえるべくさ迷っている。そこにふいに現れる火の鳥。舞台の下手から上手、上手から下手へとまさに飛ぶようなステップで通りすぎていく。しかし、木の陰に隠れていた王子につかまってしまう。火の鳥はなんとか王子の腕から逃れようともがくが、上手くいかない。そのうちに王子の熱意にほだされたのか、単に王子のことが気に入ったのかパ・ド・ドウを踊り始める。しかし、パ・ド・ドウといっても王子の見せ場はほとんどなくひたすら火の鳥のサポートに徹する踊り。火の鳥は鳥なので腕と手の使い方が独特である。もちろん白鳥のように優雅ではなく、ひじの角度を強調したポーズが多用されていて、それが新鮮で面白い。
さて火の鳥からいつでも彼女を呼び出せる羽を守備良くもらったイワン。彼も一旦この場を去る。
舞台下手奥の洞窟の口のようなところから、娘達がたくさんでてきて金の実のなる木のまわりで踊り始める。白の長袖、胸のところで切替のあるジュリエットが着るような可愛らしい衣装。そしてみんな優しいブロンドのふわふわロングのかつらをつけていた。ロシアのバレリーナはしかし、こういう格好が本当に良く似合う。その中でも一番可愛かったのは王女を踊ったセレブリャコワだった。配役表には役名がLa Belle Princesseとあるので美しい王女≠ニいうことなのだろうが、役名通りのバレリーナだった。そして彼女だけはどうやらかつらではなく地毛のようだった。自前であのブロンド・へアとは素晴らしい。
娘達は無邪気な踊りを踊っている。そこへイワン王子がやってくる。娘達は最初は驚くが、王女が彼に自分達を助けてくれるように頼む。だがしかし、そこに不死身のもの達の登場。昆虫のようであったり、動物のようであったりと、奇怪でグロテスクででもどこかおかしみのある異界のものたち。彼等の首領はマントをつけた骸骨みたいなやつだ。単身彼らに立ち向かうが、やはりとてもじゃないがかなわない王子。火の鳥の羽を使って助けてもらうことを思いつく。現れた火の鳥は彼らを操り、自分の思うままに踊らせ始める。このあたりのオケの雰囲気と異界のもの達の踊りが非常にマッチしていて面白い。彼らが火の鳥に操られている隙に王子は金の大きな卵(どうやら首領の魂が入っているらしい)を探し当ててこれを割ってしまう。首領の断末魔、そして暗転。
明るさを取り戻した世界に娘達は対になる男達と向き合う。もちろん中心になるのはイワン王子と美しい王女だ。彼らが舞台に整列すると、背景のスクリーン上に宮殿が後光とともにせりあがってくる。新しい国の誕生。鳴り響く荘厳な音楽。微笑みあう王子と王女。おお、これはなかなか素敵なラスト・シーンではないか。舞台が光でいっぱいになったところで幕となった。
途中、静かな音楽のところでちょっと睡魔に襲われたが(なんといっても、もう0時過ぎてるんですよ〜許して)、面白いバレエだった。ちょっと踊りが少ないけれども(王女さま達も踊るというよりはまあ、戯れてるぐらいの踊りだったからな)、不死身のもの達もどこか憎めない感じたっだしあの世界観は楽しい。王子のヤコブレフにもうちょっと王子らしい気品があるとよかったかも。ニオラーゼは少しコケティッシュな感じの火の鳥を好演していてよかった。王女役のセレブリャコワが気になったので、2000年のキーロフ日本公演のパンフを探っていたら、「アポロ」でポリヒュムニアをやっていたようだ。残念ながらわたしは観てはいないが。

「火の鳥」のアンコールが始まり、ここでようやくゲルギエフが舞台上に現れた。おお、ほんとにゲルギエフだったのね、と確認(笑)。この時の時間はというと、なんと0時半。ゲルギエフ始め、ダンサー(特にコール・ドの方々)、楽団の方々本当にお疲れさまでありました。観ているわたしもちょっと疲れたけれどそれは心地よい疲れで、キーロフ・バレエをこんなにめいっぱい堪能できて、本当に嬉しかったです。
ちょっと残念だったのは、ルジマトフ日本公演では恒例の出待ちができなかったことか(爆)。2演目だからもう絶対帰ってるしね。オフ姿の彼を見られなかったことが少しだけ残念ではありました(なんて言ったらばちがあたるぞ)。いや、しかし最近、彼の舞台を観にいく場合出待ちまで込みで観にいく≠ノなってしまっていて楽屋口で彼を見ないと見終わった気にならなくてね〜。困ったもんです。
 

こんなに深夜になって途中で帰っちゃうお客さんがいるか、というとほんの少しだけわたしの席の周りでいたようだったが、大半は文句も言わずに最後まで観ていたようだ。パリのお客さんはやっぱりバレエが好きなんだわ。私達はというと足早にホテルへ。明日はもっと良い席で観られるんだ〜とわくわくしながら就寝。
★カオル
… 2002/10/29 …