集団生活スタートの事件
集団生活初日は午前中半日でスタート。
何事も無く、本人もケロッとした様子で
まずは安心といったところでした。
ところが入園2日目でリナが全身ジンマシンを起こして、
夕方4時前に呼び出しがありました。
すぐに駆けつけると「ママ〜」と激しく泣いているリナ。
「アナフィラキシーが起きた」と聞いていたけれど
意識もはっきりしていて呼吸に異常も無く大丈夫そう。
でもいきなり激しく泣いて痒がり
全身が赤黒くなってむくみ、変わり果てた姿に、
なにより保育士の方々が動揺していました。
思い当たるのは給食の混入かおやつの混入。
その日のおやつはクッキーでした。
今思えば他の混入が原因だったことも
十分考えられるのですが
その時は原因が「小麦」だとしか思えませんでした。
翌日保育園に呼ばれて話し合いの場が持たれたのですが、
保育園側は、対応は完璧だったので混入しているはずは無いということ。
しっかりと除去した給食だったし
おやつもアレルギー対応のものをたべさせ
食事中はしっかり専用の保育士が見ていて
食事後の掃除もきっちりしていたということでした。
こんなに対応してもこんなに強い症状が出るならば
今後預け続けるのならば「何があっても(死んでも)構いません」と
誓約書を書いて提出するように言われました。
「死」と言う言葉が保育園側から出てドキっとしたものの
そういう覚悟がお互い要るのかもしれないとは
その時は思ったのですが…。
そこまでは良かったのですが、
話し合いの場にいた4人にそのあと
「こんな重症な子を預けるなんて!」
「近所の目があるから、救急車は呼べない」
(事前の話し合いの時には言わなかった!!)
などと次々と言われてしまい、
結局子供の命を紙に書いて預ける勇気が出ませんでした。
危険なことは分かっていても集団生活に踏み出したばかり
それほどの家庭の事情もあったので
市役所にも相談に行きました。
なんとか他の保育園に行けないものかとも思いましたが
「保育園側も驚いて心にも無い言葉を発したりしたのでしょう、
あそこの保育園ほど熱心なところはありませんよ」と言うのみ。
結局リナは退園して、私は仕事を2日でやめました。
保育園側もきっと準備や対応に熱心だった分だけ、
2日目でのリナのジンマシンはショックだったのでしょう。
そうでなくても全身ジンマシンは
誰が見ても初めてならとてもびっくりするものです。
その事もよく分かっていたし
でも、なのに子供の命を紙に書いて預ける勇気が
とくにこの保育園に対しては出なかった・・・。
そして、やはりまだまだ今のリナは
集団生活にはきびしい状態だったのだと
今更ながら思い知らされた気がしました。
しかし後日地元アレルギーの会の人たちから
そんな「念書」を言ってくるところは少なくて
書かなくても預けられるところの方が多いと聞き
一年後に引越しすることとなるのです。