白い悪魔の恐怖
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■「君はウルトラマン80を愛しているか」を読む

005年末、ついに辰巳出版が「ウルトラマン80」検証本『君はウルトラマン80を愛しているか』を出版した。

実をいうと、当ホームページ開設のきっかけは、辰巳出版が1999年に出版した帰ってきたウルトラマン検証本『帰ってきた帰ってきたウルトラマン』にあった。ウルトラシリーズを語る時、評価の対象とされるのはいつも「Q」「マン」「セブン」であった。正当な評価をされる機会の少なかった第2期ウルトラに光を当てた同書は、「帰マン」放送当時の“少年たち”によって執筆されていた。それも、同人誌ではなく、一般書籍として書店店頭に並んだのだ。「ついにこういう時代が来たのか!」−衝撃を受けるとともに、自分が「ウルトラマン80」研究をやらねば、だれがやる…と胸に誓ったのである。

辰巳出版は「帰マン」に続き「タロウ」(1999年)、「A」(2000年)、「レオ」(2001年)の検証本を出版。しかし、はっきりいって「80」検証本まで出版するとは、思ってもみなかった。

■ということで、改めて衝撃の検証本『君はウルトラマン80を愛しているか』について。数度の路線変更でストーリーに一貫性を欠いている「80」。「ウルトラマン先生」編、「セブン」的SF路線、「タロウ」的「おとぎ話」路線、2人のウルトラマン「ユリアン」編…のミックスジュース。1980年代の新ヒーロー創造の困難さが噴出している「80」だからこそ、1粒で4度おいしい、出来の悪い子ほど可愛い? 執筆陣の“80愛”あふれる論評には頭が下がる。

中でも、私の「研究」に欠けていた“リアルタイムの視点”が新鮮だった。例えば第22話「惑星が並ぶ日なにかが起こる」には、1982年の太陽系全惑星「直列」現象が地球にどのような影響を及ぼすか、という当時の話題がテーマになっている。その当時の空気が分からなければ、ただ荒唐無稽な話…で終わってしまうわけだ。また、初期の設定「ウルトラマン先生」がどうなったのか、十分なフォローもなく進んでいくストーリーの果て、当時の視聴者が最終回に求めていたのはやはり、象が氷になることではなく、桜ヶ岡中学での矢的猛と教え子との別れだったのだろう、ということも実感出来た。

■しかし、その執筆陣の“80愛”の反面、「スタッフ・インタビュー」は盲目的愛にムチを打つ内容だった。16人の空前絶後のインタビューに嫉妬を覚えながらも、「本としてのバランス」はこれで保たれているような気がする。

まずは初期「ウルトラマン先生編」を6本、監督した深沢清澄氏。娯楽性あふれる作品を目指した氏が、1クールで姿を消さなかったら−と思うとまた想像が膨らむが、その「たった6本」が実に愛しい。この本を読んで私が早速観直したのは、深沢監督作品である第11話「恐怖のガスパニック」だった。そして、脚本の山浦弘靖氏。執筆は4本だが、「80」の設定を楽しみ、80年代らしさを打ち出そうとした心意気に感謝。シュールSFの第5話「まぼろしの街」がなかったら、「80」はどうなっていたことか…。

一方、メーンライターの阿井文瓶氏と美術デザイン山口修氏の本音は、我々を“現実”に戻す。阿井氏は「ウルトラマン先生」という設定に「あまり肯定的ではなかった」と話し、路線変更で「ちょっと意欲が薄れ」、「80」に対して「それほどの印象が僕の中にない」という。氏が自分の思いを全部投入した「準備稿」がNGになったこと、それが生んだマイナスエネルギーは計り知れない。また、怪獣から防衛隊の制服まで、「80」の世界観をデザインした山口氏は、「手応えのあるものとして残っている作品じゃない」と語り、怪獣デザインに対しても「あまりいい印象がない」と断言。それでも「80」怪獣を愛したい我々を、奈落の底に突き落とす“お言葉”である。

■そして私はただ、空前絶後のこの検証本を手に、「次に何をしようか」と途方に暮れる毎日である。ありがとう辰巳出版。

※本文は「珍奇男の日々」(2006年1月29日分)に加筆、修正したものである。

(2006/8/13)

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