白い悪魔の恐怖
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■週刊ウルトラマンオフィシャルデータファイルの妄想読書術

アゴスティーニが2009年5月26日に創刊した『週刊ウルトラマンオフィシャルデータファイル』。「ウルトラQ」から最新作「大決戦!超ウルトラ8兄弟」までを網羅する、壮大なビジュアルマガジンである。ガンダム、仮面ライダーが既に同社から刊行されていることからすれば、「ついに」といえるだろう。そこで、同誌の中から「ウルトラマン80」に関するトピックインフォメーションのみを抽出した“妄想ウルトラマン80的読書感想文”を始めようではないか。

■No.3(2009/6/30号)
「ウルトラマンは熱血教師!!1980年代にふさわしい舞台とキャラクターの創造」
「名女優の推薦を受けて主役に抜擢された長谷川初範」
「バンドによるロック調の斬新な主題歌」
「ポピーが初めて手がけたメカニックデザイン」

“ウルトラマン先生”の設定は企画当初からあり、主人公が防衛チームに入隊する設定はなかった。興味深いのは「第二の企画書」である。主人公の教師と防衛チームの隊員が同じアパートに住むライバル的存在で、学校とUGMという2つの舞台を同時に成立させるアイデアがあったという。主人公が防衛隊員でないという設定は、円谷プロがかつて「ミラーマン」で苦戦したものだが、後年、ライバル的存在も含め「ウルトラマンネクサス」で再挑戦したものと類似点が感じられる。また、他社のアニメ作品だがシリーズ最新作である「機動戦士ガンダム00」にも類似点があり、戦争根絶を目指すいわばテロ組織の主人公と、平和だった日常が崩壊していく少年との交流が、物語上、非常に効果的だった。「80」は早過ぎたのかもしれない。設定を生かし切れず散々な結果になったかもしれないが、もし採用されていたら、どんな物語が生まれていただろうか。ファンの妄想欲をくすぐる。

山口修氏の筆によるものと思われる「ウルトラマン80のデザイン画」がカラーで掲載されている。朝日ソノラマ刊『ウルトラマン白書』にも掲載されていたものだが、こちらはモノクロだっただけに、カラー掲載はありがたい。確かに同時期、同じリバイバルブームの最中にあった「仮面ライダースーパー1」の、突飛なNGデザインに比べると、おとなし過ぎる。しかし、ウルトラの神々しさは間違いなく表現されている。

村上克司氏の筆によるものと思われる「シルバーガルα号」のイラスト掲載もうれしい。メーカー主導のマーチャンダイジング時代の到来を飾る、それまでのウルトラメカとは方向性の違う工業デザイン的ラインが美しい。これがなければ、円谷プロのアナログ特撮の頂点ともいわれる「80特撮」もなかったのだなと思う。
(2009/6/21)

■No.14(2009/9/15号)
「『子どもたちのために』出演を快諾したオオヤマ隊長役の中山仁」
「桜ヶ丘中学校が物語から消えたのは週一日の撮影スケジュールが原因!?」
「日本映画界を代表する美術デザイナー・山口修が作り上げた『80』の怪獣たち」
「悪戦苦闘の末に撮影された『光の巨人』」

『君はウルトラマン80を愛しているか』に記されていることと重なる部分が多い。第8話に登場した光の巨人の「失敗」とされる撮影方法も、空前絶後の不思議な輝きで印象深いシーンを作り出している。味があると評したい。

アブドラールス、ノイズラー、ガビシェールのデザイン画がカラーで掲載されているのは、うれしい。実際のスーツよりも頭が小さかったり、足首が細かったりする山口修デザインを味わうことが出来る。2期ウルトラのブッ飛んだ怪獣たちに比べるとおとなしいが、「80」全体を通して山口氏が怪獣デザインを手掛けたことによる統一感、そして生き物らしさは美しいと思う。
(2009/9/19)

■No.31(2010/1/12号)
「シリアスからコミカルまで―変幻自在にイトウチーフを演じた大門正明」
「劇中同様に先端部が伸縮する『ブライトスティック』」
「学園ドラマから本格SF路線へ―第1の路線変更」
「シリーズ屈指の格闘シーンを盛り上げたスーツアクターたち」

大門正明氏のコメントは、『君はウルトラマン80を愛しているか』をパクリ。長谷川初範氏にしても、中山仁氏にしても、いまから見れば、渋い(男臭い)地球防衛チームだったものだ。オオヤマキャップかイトウチーフには、その後の姿で「メビウス」に出て欲しかったな。

ポピー製「ブライトスティック」は当時2000円。近年、劇場版のからみで、ウルトラ兄弟の変身アイテムが玩具化されたが、何か間違って、ブライトスティックも玩具化されないかね。文中、「ポピニカブライトスティック」と記されているが、「ポピニカ」とはポピーのミニカー玩具シリーズの名称ではなかったか。

第1の路線変更について。ポイントが端的に記されていて良い。写真入りで解説されているセラ隊員(広報班)の存在は、その通り、「本作の独自性」をリードしていた。

スーツアクターの考察については、『君はウルトラマン80を愛しているか』にはかなうはずもないが、こういうものを読むと、格闘シーンを見直したくなる。撮影風景の写真2点もいい。
(2009/12/27)

■No.42(2010/3/30号)
「子どもたちの鋭い感覚を常に意識していた『鬼監督』湯浅憲明」
「奇想天外な物語が続出する新コンセプトの『少年ドラマ編』」
「初期の怪獣8体がソフビ人形として登場!リアルさを追求した『キングザウルスシリーズ』」

メーン監督の湯浅憲明氏なしにはウルトラマン80は語れない。大映「ガメラ」の監督としても知られる氏だけに、子供への視線がどこか優しく、80年代の浮遊感と交わって独特の幻想的な世界観を生み出している。「第51話では、満田禾斉氏が監督で、湯浅氏が特撮監督を務める予定だったが、スケジュールの問題で実現しなかった」とある。第50話(最終回)の佐川和夫特撮は文句なしの傑作だが、湯浅特撮も見てみたかった。メーン監督でありながら、最終回にタッチしていないのが残念でならない。

第2の路線変更について。年少の視聴者に合わせ「ファンタジックで奇想天外な物語が続出する、ウルトラシリーズが本来持っていた楽しさを見つめ直そうとした」第31話から第42話までの作品群は、まさに第2期ウルトラ魂あふれる「現代のおとぎ話」だ。それから30年。現在の特撮ヒーロー番組にここまで肩のこらない作品を生み出す土壌は残されているだろうか。

当時、ポピーから発売された怪獣ソフビのカラー写真がうれしい。せっかくなら全部載せて欲しかった。玩具とリアルのせめぎ合いが、以前のブルマークとも現在のバンダイとも違う味なのだが、評価は低いように思う。
(2010/3/28)

■No.61(2010/8/10号)
「ユリアン=星涼子をはつらつと演じた萩原佐代子」
「旧作の人気怪獣たちがファンの期待に応えて復活!!」
「初めて『ワンダバ』の呼称が与えられた『ワンダバUGM』」

現在、結婚相談所も経営しているという萩原佐代子氏。ホームページアドレスまで明記されていて、読者ニーズに合っている、ね!

「ウルトラマン80」には、「ウルトラマン」の人気怪獣3体が登場している。ゴモラU、バルタン星人5代目・6代目、レッドキング3代目。○代目という表現が、何とも昭和ウルトラの味わいだが、着ぐるみ造形的にも物語的にも初代にかなうはずもなかった。しかし、改めて写真で見ると、中でもレッドキング3代目の造形は美しい。

「帰ってきたウルトラマン」のMAT、「ウルトラマンA」のTACが出撃する際に流れた、ワンダバダバダバダバダバ…のコーラスが印象的なBGM。その80版も、爽快感あふれる名曲。しかし、当時発売されたレコード「ウルトラマン80テーマ音楽集」で付けられた「ワンダバUGM」というタイトルは、いまから見るとちょっと安っぽい。
(2010/8/15)

■No.96(2011/4/12号)
「原点の『ウルトラマン』を目指して『ウルトラマン80』を作り上げた満田禾斉」
「星涼子の行動と視点がユニークなドラマを生んだ『ユリアン編』」
「実名で劇中に登場した『科学技術館』」

「ウルトラマン80」のプロデューサーは、「ウルトラセブン」最終回監督として知られる満田氏が務めた。「80」にウルトラ兄弟の客演がほぼないのは、「大勢出てくるときはにぎやかになるのだけれど、それ以外の回が寂しく思えてくる」という満田氏の考えが基にあるようだ。この“お祭り”なき全50話は、だからこそ1本1本、地味だが丁寧に作られていると言えるのではないか。(最終盤で女ウルトラマン登場というストーリーも、だからこそ生きるのだろう)。

満田氏は「80」最終回を自ら監督し、脚本に矢的猛のセリフ「サヨナラは終わりではなく、新しい思い出の始まりって言います」を付け加えたという。いわゆる「学校編」を消化不良で終わらせた制作サイドの罪は、「ウルトラマンメビウス」第41話の奇跡がなければ、いまなお晴れることはなかっただろう。「メビウス」における「先生編」の決着によって、「サヨナラは思い出の始まり」のセリフは輝きを増し、更なる重みが加わった。いま現在から見れば、満田氏が何とか落とし前をつけた「80」最終回は、満身創痍の終わりではなく、新しいウルトラ伝説の始まりだったのだと声を大にして言っても、許されてしまいそうな気がする。とにかく、何だかんだ言っても、満田氏には感謝感謝なのだ。
(2011/5/8)

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