御亭谷綾織が池 (こてやあやおりがいけ)


ほとんどさわりの部分で推移する大雑把な話で解読がなかなか困難な不思議な話です。

始めはたぶん桃太郎のさわりの部分。次はかぐや姫、かな?続いて浦島太郎だろう。

それから鶴の恩返しまであるのに終わりはとてもローカル、そんな物語です。


  恋しくば尋ねて来てみよ下野の

    那須のこでやのあやおりが池


これが結末です。

この歌の機微までの記述はありませんが、まずは那須記に誘われ先へ進みましょう。

源の義経が須藤為隆、そう那須の与一宗隆のすぐ上の兄にあることを尋ねたところから

話は始まります。

「東(那須)の方に見えるあの山は何と言うのだ?結構高いじゃないか。何かいわれが

ありそうではないか」

「あの山ですか、話せば長くなりますが・・・」といって為隆が話し始めたのでした。

「あれは御亭谷山(こてやさん)といい、山の中腹には綾織池という不思議な池があって・・・」

そうして物語は展開していきます。それに続く話にしばらくお付き合いください。


欽明天皇の時代、茨城の豊良というところに権太夫吉林という漁師がいて、漁に出たある日漂う

浮き木を見つけました。ただの木ではなく“若沈香”だと思ったというのです。

日本にはない香木ですからなぜそう思ったのかはわかりにくいところです。さぞかし、と思いながら

吉林は岸に引き揚げたのでしょう、こじ開けてみてびっくり。中から出てきたのは「玉のような」

美しい姫君だったのです。(最初から姫君です!)

「まさか海の神の竜女じゃないよね?」

「いえ、私は中国の主鱗意大王の娘、金色姫ともうします。継母により国外追放となりました。」

と言うのでかわいそうに思い家に連れ帰りました。

ところが竹取物語のようにはうまくいかず、連れ帰って夫婦で大切に育てたものの間もなく死んで

しまいます。名残惜しく唐びつに入れてしばらくそのままにしておくと、ある夜吉林の夢の中で

「食事をください」という声が聞こえます。びっくりして目が覚め、唐びつを開けてみるとその中に

姫君はおらずたくさんの虫がいる。

“虫がお腹をすかしているのか?ならば船を作る桑の木があるからその葉がいいだろう”

そう考えて虫に与えると、虫たちはもりもり食べて繭をつくったのです。

その頃筑波山に住んでいた法道という仙人が、たまたま(かな、偶然かな)やってきて繭から絹糸を

作る方法を教えたのでした。

さて、ここでこの話は途切れ、ここからは別の話かと思うほど飛びます。

かの法道、何故か那須にやってきます。丁度御亭谷山に来た時、頂上に雲が立ちこめているのを見て

思うのです。“この山こそ自分が住む山だぞ!”

そこで山頂を目指して登り始めるのですがなかなか、はるか遠くから見て目立つ山が簡単に登れる

はずがありません。どうにもならなくなって立ち往生してしまいます。仕方なく、修業を積んだ秘法で

応援を呼びます。すなわちこの山の神です。呼び出した山の神、老人の姿をした案内人と山頂に向かい、

途中まで行くと丸い池に行きつきます。するとその山の神が言うのです。

「この池の中には竜宮がある。そこにいる竜女を連れて来て絹綾を織らせ、人々の寒さを和らげてくれ」

と言って消えてしまいます。そう言われれば行かざるをえません。よし、とばかりに池の中に入ります。

するとどこからともなく亀が現れます。しかも5尺と言いますから小さな池にしてはかなりの大きさです。

そうして亀の案内で竜宮へ向かいます。たどり着いてみればなかなか、半端な竜宮じゃない。やがて竜王に

面会となり、言うのでした。

「芦原国からやってきました。民の寒さに苦しむのを何とかしたいと思っております。どうかお力を

おかしください」と。すると

「そうか、おまえの国の神武天皇は自分の孫だ。今の天皇はそれから三十代の孫にあたる。その孫が礼を

尽くすことはうれしいことだ。わかった。織女を送るからお前はしっかり絹糸を集めるように」と言う

のでした。

早速帰って繭から絹糸をたくさん作ると、竜宮からやって来た織女がそれを絹織物に仕上げました。

すばらしい出来栄えだったために天皇に献上すると、那須絹は天下第一の品質と言われたのでした。

蛇足ですが法道を乗せた亀が陸に上がり山になったということです。その名も亀山、そう言えば現在

でも御亭谷山のまわりには亀のつく地名が残ります。

で、また話が飛びます。

中国の霊鷲山にある仙人の修行場から播州に一人の仙人がやってきて住みつきます。法道仙人と言う

そうで、先に出てきた仙人と同一人物なのでしょうか。

その後、その後?そうなのです。脈絡がつかめぬまま話が飛んでしまいます。その後というのは41代

持統天皇六年、壬辰の年だと言えばわかるだろうか。わかるわけありませんが、その年なのです。都に

漢人(中国人でしょうね)がいたのですが、この人、堯舜(古代中国の伝説の王、堯と舜)の生まれ変わ

りかと言うほど仁徳の篤い人でした。その漢人のもとにどこからともなく美女が現れて妻になるのです。

おもしろいですね。この妻、大変な織女で織りあげた絹の織物は希代(奇代と記されています)

の代物だったために持統天皇に献上されます。さすが天皇も感激してたくさんの褒美を与えた

ということです。さてこの漢人、平安の京(とは都?では天皇はどこに住んでいるのかな)にもどり

ますがこれからが悲劇の始まり、鶴の恩返しの終末です。この妻、一度絹を織り始めると終わることを

知らぬように織り続けます。絹糸の尽きることがないのです。漢人はいつも不思議に思っていました。

ある日、妻が外出した時にどれだけ長い絹糸なのかを確かめようとほどきはじめました。ところが三日

ほどき続けてもまだ尽きません。こうなったらと、馬の尻尾に絹糸を縛り付けて馬に鞭をあてました。

馬が駆けだすとさすが絹糸は尽きてしまいます。ところが絹糸が尽きる寸前、30センチほどの白蛇が

飛び出してきてどこかに逃げて行ってしまいます。丁度その時妻が帰ってきてこの様子を目の当たりにします。

「なんとあなたはせっかくの果報、もったいないことを。私は国に帰ります」

そう言われて初めて、漢人は自分のしたことの重さを知りました。後の祭りです。その妻、消える間際に

機織り機に歌を記します。その歌こそ、先に記したものです。


  恋しくば尋ねて来てみよ下野の

    那須のこでや(御亭谷)のあやおりが池(綾織池)


う〜む、脈絡を追うのが難しい。場所と話の内容が重複していないだろうか?錯綜していないだろうか?

何しろ親子三代にわたって書き継がれた那須記なのです。

ところで、と追記があり、平安京で美女が機を織るところを綾の小路と言うのだそうです。

この不思議な話、今も残る綾織池の往時の姿がどんなだったのかを今更体感できるわけもありません。

もし、広大な那須野が原の原生林に包まれた御亭谷山だったら、どうだろう。




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