代々植え継がれてきた遊行柳


 歴史のある石碑です

  遊行柳


遊行柳とは西行が植えた桜を主題にした室町時代

初めの世阿弥の謡曲「西行桜」から来ています。

西行が陸奥から白河の関を越えて芦野に来た時に

立ち寄ったのが那須湯泉神社(上の宮)でした。

そこで詠んだ歌を観世信光(1435〜1516)が謡曲

にしました。


   道のべに清水流るる柳かげ

     しばしとてこそたちどまりけり


内容は遊行上人(一遍上人)が芦野に立ち寄った

際にあとから老人が上人を追いかけて来たところ

から始まります。

「そこを歩かれるのは遊行上人とお見受けします」

「私も長いことここに住んでいますので、以前に

来られた遊行上人にもご案内したところがあります」

「せっかく上人がお見えになったのだから見ていって

ください。そうすれば草木も成仏します」

そう言うのでついて行ってみると人家もなく、雑草が

生い茂ってただ風が吹き抜けるだけの柳が生えている

荒れ果てた古塚に着きました。

「これは朽木の柳という名木です。よく御覧になって

ください」

と言うのです。

ところがそばを流れる小川の水は枯れ、つたかずらが

からみついた柳はどう見ても名木には見えません。

「何かわけがあるようですが話していただけますか?」

そう言うと、老人が言い伝えでは、と話しはじめたの

が西行にまつわる話だったのです

こうして遊行柳の謡曲のドラマは進んでいきます。

この柳は那須温泉神社(上の宮)に向かう参道の左右

にあり、左側にある石囲いの中の柳が代々植え継がれ

てきた遊行柳と言われております(写真参照)。

のちにこの謡曲にあこがれた与謝蕪村がこの地を訪れ

句を残しています。


   田一枚植えて立ち去る柳かな
    (1689年6月6日−元禄2年)

この句碑は写真の通りで百年以上も後の1799年4月

(寛政11年)に建立されました。

ところで現在の遊行柳がある場所の近くには道の駅

のようなものがあり、たくさんの人が訪れています。

また上の宮の跡地には巨大な銀杏の木があり、紅葉

の時期にはすばらしい黄金の世界が見られます。

古来より陸奥路として多くの人が往来しました。

旧奥州街道、陸奥路の芦野に繰り広げられた謡曲

を聞く機会はごく少ないと思いますが、あらすじを知

れば聴きたい気もします。

さて、西行の前に現れたかの老人、西行は朽木の柳の

木神であろうと思い終夜にわたり念仏をとなえました。

そうすると朽木の中から白髪の老人が現れ言うのでした。

「自分は朽木の霊です。昔からこの道を通る人々の道

しるべとなってきました」

と言うのです。そこで西行は念仏をとなえました。

すると白髪の老人はたちまち消え去ってしまいました。

そんな世界が繰り広げられたのがこの遊行柳のある地

でした。この道は芭蕉も奥の細道へとたどっています。




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