今井町の古い町並みを歩く
奈良県橿原市今井町 平成19年10月20日(土)



かねてからの念願だった奈良県橿原市の今井町を訪ねました。近鉄・上本町から大阪線で大和八木へ、橿原線に乗り換えてひとつめ八木西口を降りると、今井町はすぐそこです。日中はシャツ一枚でも大丈夫と思いましたが、結構風もあって少し肌寒いという感じでした。事前の情報では、まず「華甍」(はないらか)によって、情報を得るべし、とありましたのでまずそちらに向かいました。



 
旧高市郡教育博物館=今井まちなみ交流センター「華甍(はないらか)」明治36年奈良県最初の社会教育施設として建設されました。2階建の本館を中央に配し左右対称で大和にふさわしい建物です。窓ガラスの上の部分の形がユニークです。県指定文化財です。


館内に入るとボランティアの人からパンフレットを渡され、町並みの模型を見ながら町の見どころとポイントを教えてもらいました。仏具店の通りから町並みに入りまず、重要文化財の高木家、河合家を見られたらよろしい。一番奥の今西家は是非ご覧いただきたいとのことでした。只、お昼の12時から13時は昼休みなので閉まる、、との情報を得ていざ出発です。


 
手前が高木家でその奥が河合家です。高木家は有料(200円)でした。先にひとまわりしてあとで入ることにしました。
ともに国の重要文化財です。





江戸時代初期頃、上品寺村より移住し、古くより「上品寺屋」の屋号で酒造業を営んでいます。18世紀中頃に建てられた早い時期の二階建町屋です。ちょうど今日はお祭りで赤白の提灯が軒先にぶら下がっています。御神燈はまだしもこの赤白の提灯は景観が台無しです。

通りその1

中町筋 
今井町の各通りの中で、この中町筋と本町筋の電線が地中化されています。ご覧のように人通りはほとんどありません。




 
居間(左)                       蔵前座敷(右)
旧は米谷家で、屋号を「米忠」といい、金具商を営んでいました。18世紀中頃の建築と思われます。切妻造本瓦葺平入で、土間部分は広くとられ、煙返しが取り付けられています。嘉永2年に建てられた土蔵には蔵前座敷が付いています。入館無料でした。

 



私の旅のバイブル「関西ちいさな町ちいさな旅」:山と渓谷社の最初のページにあった今井町の建物です。

 
住人が居なくなって崩壊しかけた町屋もありました。(右)


通りで会ったワンちゃん達
  
柴犬が多いですね。どの犬もおとなしくてワンとも吠えたりしません。


紋所の意匠
  
今西家、豊田家の壁面の意匠です。右下は通りのマンホール。
 






今井町は、この寺の境内地に発達した寺内町(じないまち)です。本堂は、近世初頭に再建されたもので、外廻りに角柱を並べた大規模真宗寺院の特徴をよく表しています。屋根は大きな入母屋造り本瓦葺きで東面しています。(重要文化財) 写真ではわかりにくいのですが、実は恐ろしく痛んでおり、屋根裏板はところどころ朽ちはて、危険との看板も。また建物は南に大きく傾いています。修理のため募金を募っていましたが、高木家の人(後述)によるとこの改修費用は約15億もかかるそうで、ちょっとやそっとではないようです。

 
倒壊を防ぐためのつっかえ棒(右)



今西家に行くと、昼休みで閉まっていました。しかたなく称念寺を見たあと、ギャラリー今井でひと休みです。メニューはコーヒー類とそばのみ。あったかいそばを注文しました。(700円)店の奥さんに、こちらの暮らしはどうですか?と尋ねると「不自由はありませんよ。」とのことでした。一時は違うところに住んでいたが、現在はこの建物の2階に住んでいるとのこと。部屋数もそれなりにあるようでした。この建物も10数年前まではひどく痛んでいたが、重要伝統的町並み保存地区に指定されて息を吹き返したとか。補助は特に外面で、一度だけとか。写真店内(左、右上)、右下は近くの「夢ら咲長屋」案内所兼休憩所です。



お店いろいろ

重要伝統的建造物群保存地区に指定されると伝統的建造物以外の建物も、その新築や増改築に際し、保存計画に定められた基準に従って、周囲の伝統的建造物と調和するよう工事が進められます。(これを修景といいます。)

 
散髪屋                                          銀行

 
郵便局                           郵便箱(ここまでしなくても!?)



今西家住宅(重要文化財)は、今井町の西側にあり、惣年寄の筆頭をつとめていた家です。慶安3年(1650)建てられた民家ですが、城郭のような構造で別名「八つ棟造り」とよばれている豪壮な建物です。



 
最大の見どころ「大西家住宅」です。年に春と秋のそれぞれ1ヶ月間しか開館していません。入館料は無料です。入口から入るとどーんと広い空間があります。ボランティアの人が説明をしてくれます。ここの敷居は特に高いのですが、これは泥棒の侵入を阻止するためのもので、「敷居が高い」というのはここから来た、とのことでした。お金の使いみちがなかったので、当時は当たり前だった板葺きを瓦にした、という説明もありました。尚、入れるのは土間のみで部屋には上がれません。広い中庭があります。






10月20日と21日はたまたま秋祭りでした。通りを歩いているとお囃子が聞こえてきたのでついそちらに足を向けてしまいました。けっして大きくはないけれどもしっかりした造りの2基のだんじり。すこし待っていると、綱を引っ張る子どもたちを先導に、ごろごろと少しずつだんじりが進みます。なにせ車がやっと通れるような狭い通りなので、見ていてもハラハラドキドキですが、巧みに電線を棒でかわしたり、角をまがったりします。どちらかというと静かでおごそかな秋祭りという感じでした。

 
春日神社境内にて


 
小学生が奏でる鐘と太鼓                角を曲がるだんじり



高木家住宅(重要文化財)は19世紀初頭頃、「大東の四条屋」の屋号で酒造業等を営んでいました。発達した2階建で、幕末期の上層町屋の好例です。


若き日の現皇太子は、庭を眺めながらここで休憩されたそうです。

 
今井のかまどは丸いのが特徴です。 宿帳から幕末の志士も泊まったと説明する家人。
右の階段は箱階段で収納も可能です。旅の本でたまたま高木家のところを見ていると写真の人物は私ですとのこと。

美しい通り

今井町の民家約760軒のうち、およそ8割が江戸時代の建物です。東西約610m、南北約310mの小さなこの町は、近世の町割りをそのまま残し、本瓦葺きの豪壮な商家が今も立ち並んでいます。


ご覧のようにとても静かな佇まいを残す今井です。




約3時間半滞在、町並みを後にして駅に向かいました。


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