宿場町・平福から大原・東粟倉村を訪ねて
兵庫県佐用郡、岡山県美作市 平成19年9月8日(土)


さて、今日はどこに行こうかと思い悩んだあげく地図を広げてしばし思案。そういえば県北で兵庫県と県境沿いのあたり、宮本武蔵で有名な大原町と粟倉村はまだ行ったことのない地域です。高梁を経由し北房ICから兵庫県の佐用ICまで高速を走り、北上すれば着くようでした。途中に宿場町で有名な平福もあるではありませんか。行き先も決まりボロ車のエンジンを始動していざ出発です。





大原町

平成15年、NHKの大河ドラマ[武蔵]で大いに賑わった宮本武蔵の生誕地・大原町ですが、訪ねたこの日は観光客もまばらで少し寂れた感じもしました。佐用ICから平福を経由して15q程、道も整備されていて意外と簡単に着きました。このころ空はどんよりとして時おり雨がぽろぽろ落ちるあいにくの天気となりました。

 
鎌坂峠につづく道(左) 近くにある最近観光用に造られたと思われる水車(右)

大変立派な茅葺の民家。武蔵の姉の嫁ぎ先平尾家。
今なお、現役の民家です。遠くから撮影のみです。

 
宮本武蔵の生家跡。もちろん武蔵はこの写真の家で生まれたわけではありませんが、その昔ここに武蔵が生まれた立派な茅葺の民家があったそうです。現在も大黒柱の位置は変わっていないとか。門の入り口にチェーンがかかっていました。そう、このお宅は住人のいる現役の民家なのです。(左)
鎌坂峠と書いてある大きな木製の門がありました。これもテレビドラマに合わせて造られたものでしょうか。(右)


山道に入るとすぐにご覧のような杉林が広がっていました。
少し、武蔵の時代とつながったような気がしました。


 
山道そばの畑のマリーゴールドに停まる蝶です。(左)
神主の太鼓とバチにヒントを得て、武蔵が二刀流をあみだしたと伝えられている讃甘神社です。(右)


武蔵の里 五輪坊


武蔵資料館のある武蔵の里五輪坊です。正門から入ってこの位置から見る池と柳のコントラストは素晴らしいですね。作庭家の力量を感じました。武蔵資料館は、この建物内の一室にありました。残念ながらほとんどが複製で、少々がっかりしました。正直、500円の入館料は高いと思いました。フロントで鯉のえさを買いました。お客さんも少ないので鯉も相当飢えているようにみえました。

 
クアガーデン武蔵の里。10種類の湯が楽しめる温泉施設です。駐車場に車がいっぱいでした。


東粟倉村

愛の村パーク

どこで聞いたのかわかりませんが、ずっと以前から東粟倉村には大きな鐘(ベル)があるという
記憶があり、近くまで来たので、今日はそれがどんなものか是非見ておきたいという思いがありました。


看板に従って、この施設「ミレットハウス」にやって来ました。
売店、レストラン、パン工房、温泉施設などがあります。とてもきれいで大きな建物です。
正面の山の頂きの右下あたりにぽつんと見える白い建物が日本一の鐘のあるベルピール自然公園です。

 
折角なので、お風呂(ゆらりあ)に入っていくことにしました。入浴料は大人600円です。湯船は、内側に二つ、外に露天風呂が一つありました。ジェットバスに浸かっていると疲れもふっとびますね。また露天風呂から眺める景色も最高です。最初の写真の一番向こうにある建物の2階が露天風呂です。そろそろ出ようとした頃、中年の団体がどやどやと入ってきました。あとで聞いたら山から下りて来た登山客だそうです。山を歩いたあとの風呂は格別でしょうね。(山は岡山県の最高峰、後山だと思います。)



ベルピール自然公園

日名倉山のなだらかな丘陵に ベルピール自然公園があります。この公園は、自然と調和の
取れた美しい村づくりを目指す「愛の村づくり」を推進するためのシンボルとして建設されました。(HPより)



お風呂から出て駐車場に向かう途中、孫が祖母に語りかける言葉を偶然耳にしました。「おばあちゃん、あの山のてっぺんに見えるのがこの前行った鐘のあるところよ!」そうです。ずーっと気になっていた東粟倉村のとても大きな鐘(ベル)のことを思い出しました。あれがそうなのか!と。そう、あれを見てから帰ろうと。ミレットハウスに戻って行き先を確認。時刻はもう4時半近くになっていました。

 

案内の看板に従って山の道(道はとてもきれいに整備されています)をぐるぐる登りました。すると目の前に忽然と白い大きな鐘楼が見えてきました。駐車場に車を停めると、付属施設のベルピールホールから女性の方が出てきて、「申し訳ありませんが、4時半までとなっています。ゲートの外に車を停められて施設を見られるのは構いませんが」と申し訳なさそうに告げられました。それでは写真を撮りたいので5分間だけいいですか?というと鍵をかけるので一緒にいきましょう。鐘はつかれても構いませんよ。と寛大なお言葉。それではと駆け足で階段を上って鐘をついてみることにしました。何と重いのでしょう。それでも一回だけ鐘を鳴らせることができました。


とても大きな鐘楼です。



リュバンベールの鐘
愛の鐘「リュバンベール」はフランス語で「緑のリボン」を表わしています。直径2メートル・重さ6トン・低い「ソ」の音階をもち、標高865メートルから響く鐘の音は聞く人に爽やかな感動を与えてくれます。毎日正午にはスイングベルを鳴鐘しています。(HPより)

 

係りの方に感謝しながら帰途に着きました。途中ではそういえば入園料を払っていなかったことに気づきました。途中の看板に300円と確かに書いてありましたしHPをみてもそうなっています。おそらく短時間だったので取られなかったんだろうという結論に達しました。ありがたい。それにしても何とも素晴らしい景色でしょう!


本日の走行距離 340km

美作市観光情報






佐用川に沿って蔵屋敷が並ぶ川端風景

室町時代は赤松氏の拠点で、江戸時代初期に築かれた利神城の城下町を起源とする。 一国一城令による利神城廃城のため城下町としての歴史は短かったが、陣屋や鳥取藩本陣が置かれる因幡街道最大の宿場町として発展した。また高瀬舟が坂越から千種川を遡って支流の佐用川の当地へ海産物などを運び入れたことで商業が隆盛、その1.2kmの区域の300戸余りの家の約8割に屋号がつく商人の町となった。

昭和初期まで因幡街道および佐用の中心として繁栄していたが、鉄道が敷設されなかったため衰退しその地位を失った。(1994年に漸く智頭急行が開通し平福駅が設置された。) 旧街道沿いにある連子窓と千本格子を持つ古い家並みと、水運で賑わった佐用川沿いの石垣上の土蔵群が、往時の面影を伝える。『ウィキペディア(Wikipedia)』



 
道の駅「宿場町ひらふく」
自宅を10時45分に出発し、平福に着いたのがちょうど13時でした。なにはともあれ腹ごしらえと、レストランへ向いました。お客さんでいっぱいでしたが、カウンターになんとか座ることができました。平福定食を注文(1200円)。地元の食材を生かした内容となっています。こんにゃくのお刺身、野菜のてんぷら、自然薯のえびしんじょう、かやくごはんなど。肉系、魚の刺身などがないので少し寂しい気がしました。この道の駅は、中国佐用ICからR373を北に3qのところにあります。ここから町並みまで徒歩3分です。

 
本陣跡(左)、通りの空き地から見る利神山(りかんやま)。頂上に利神城跡が見えます。(右)


片面ツタで覆われた町屋。うだつもありました。

 
うだつのアップ。

宮本武蔵ゆかりの旧田住邸跡
田住家は利神城を退いて帰農した豪家で江戸時代を通じて大庄屋、代官を務めました。宮本武蔵の母が大原平田家から平福に帰り再嫁したことから、幼少時の武蔵は当家で養育されたと伝えられています。

 
平福郷土館に向う途中で見た風景。
(左)正覚寺:地蔵菩薩を祀り、子授け・子育ての霊験あらたかと崇められています。
(右)実りの秋、稲穂も色づいています。向こうに見えるのが郷土館です。


飛び出し注意の看板も二刀流です。
  
 平福郷土館
1階 主として宿場町平福を象徴する商家などの道具や民具類
2階 利神城に関するもの。

 
左:趣のあるお店。右:たつ乃屋店先の樽と木製の車輪。


たつ乃屋本店
街道筋で醤油屋を営むたつ乃屋本店は、元禄年間の創業です。

 
街灯も凝っています。西条でも同じものを見ましたが形は微妙に違うようです。
かつては因幡街道随一の宿場町として栄えました。
格子戸のある平入りの家々、ナマコ壁や連子窓、細やかな装飾のうだつが華やかな時代を語っています。


家の前には勢いよく流れる水路と、季節の花が咲くプランターが置かれ町並みに彩りを添えています。
道幅は広くゆったりとしています。

 
智頭急行「平福駅」(左)、天神橋に続く道。橋の右側手前が美しい川端風景です。(右)

出会いたかったこの風景。
背丈ほどに積まれた石垣の上に、大小の蔵屋敷が整然と並ぶ川端風景です。街道に面した母屋に対して、川座敷と呼ばれる離れは、川面を渡る涼風と利神山の眺めを楽しむ知恵から生まれたそうです。石垣の所々にぽっかりと口を開けた川戸は、家の中から川端に抜けられる造りになっています。

 
天神橋から見る東方面(左)、通りの所々にこのような川端に通じる路地があります。(右)


瓜生原家
瓜生原家は、享保年間に津山から移り住み、代々「吹屋」という屋号で鋳物業を営み、昭和のはじめ頃まで続いていたといいます。家屋は、切妻越し屋根を初め大屋根の煙り出し、目隠し、潜り戸、ブッチョウ造り、出棺口、格子など、町屋の特色を備えています。


陣屋門・代官所跡
平福は利神城廃城後、松平氏5千石の旗本領で代官支配となりました。今の陣屋門は、元治元年(1864)に代官・佐々木平八郎が建築したものです。

佐用町観光情報発信局


平福終わり(近日中に大原、東粟倉村を掲載します。)

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