御手洗の古い町並み
広島県豊町御手洗(大崎下島) 平成21年9月21日(月)



大崎下島の御手洗は、以前から行ってみたい町並みのひとつでしたが、本土から橋が架かっていないので、なかなか行けませんでした。ところが最近、間の島に橋が掛かり直接行けるようになったとの情報を得、出掛けてみることにしました。シルバーウイークの期間中でしたので、高速道路を避けて、一般道で行きましたが、相当時間がかかりました。天気は良好、橋が掛かったことで、多くの車が溢れ、駐車場も満杯。かつてこのように多くの観光客で賑わっている、古い町並みは記憶にありません。

 
駐車場前の食事処です。時間的に外で順番待ちをしている人もいました。
駐車場の所有者の経営らしく、このお店の利用者は駐車場が無料となっています。
しかし、この先に無料駐車場があったとは、残念ながらこの時点ではわかりませんでした。




海沿いの道を歩いていると最初にあるのが、この船宿の跡です。船宿といっても旅館ではなく西国諸大名の船や、各藩の商い船など船の一切の世話をしたところで、仲買問屋のようなものだったそうです。


旧江戸の船宿の一角で、ミニおちょろ舟を造る宮本國也さん。かつては船大工をされていましたが、、台風で道具の大半が流され、以来このミニおちょろ舟の製造販売をされているそうです。大きいものは注文販売。小さいものはここで直売だとか。でも売れるのは年に数席、しぶい声がとても印象的でした。観光客の質問にも気軽に応えてくれるこの港町の語り部です。

ところで、おちょろ舟を御存知でしょうか。おちょろ舟とは、風待ち・潮待ちのために停泊している船の乗組員を相手にする女たちを乗せた小舟のことです。近世中期以降、瀬戸内海は物流の大動脈にあたっていました。大型化した帆船は瀬戸内海の中央を走る沖乗りの航路をとるようになり、御手洗(大崎下島)や木江(大崎上島)に新たに港湾が整備されました。これらの港はやがて中継貿易の拠点としても栄え、問屋・芝居小屋・茶屋などが揃った振興都市として成長しました。そして遊女たちのおちょろ舟が、当地特有の風俗として知られるようになりました。

  
懐かしい大塚製薬・大塚食品の琺瑯看板
ミニおちょろ舟を造る宮本さんの隣りの部屋に飾ってあった、琺瑯看板。最近ではほとんど見かけなくなりましたね。そういえば左のボンカレーは先日行った鳴門の大塚国際美術館でも売られていました。大変息の長い商品ですね。この女優さんは松山容子さんでしたね。懐かしくて少し調べてみました。松山容子さんは、昭和12年生まれで、愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれ、愛媛県立松山南高等学校卒業後、NHK松山放送局に事務員として入局。『アサヒグラフ』の表紙のモデルを務めたのがきっかけで松竹映画の役員の目にとまり、女優に転身しました。昭和35年『琴姫七変化』に主演して人気を博しました。その後も『旅がらすくれないお仙』などに主演。昭和46年、主演していた『めくらのお市』シリーズの原作者である棚下照生と結婚、人気絶頂の最中に芸能界を引退しました。まったく関係ありませんが、誕生日は私と同じ11月30日です。真中は大村昆さん、右のオロナイン軟膏は、浪花千栄子さんでしたね昭和48年に亡くなられています。


生け花
   
御手洗の町を歩いていてとても印象的だったのが、家々の格子窓に飾ってあったこの生け花です。花が好きな私はとても好感を持ちました。縦70センチ、横45センチほどのすだれに竹筒をかけ、一輪挿しの花が生けてあります。ハッサク、ラッパ草、マーガレット、フリージア、ジャスミン……。など季節の生け花で町を飾っているのは、「重伝建を考える会」の女性会員でつくる「さくら部」の人たちです。地区内で花を栽培し、15人ほどで約60棟に花を挿して回るそうです。 同じ組み合わせのものはひとつとしてなく、それぞれが大変美しいものでした。かつて府中の町並みでも同じようなものを見ましたが、そちらは残念ながら造花でした。

 
こちらも古い建物を改造した食事処。あなご飯が名物料理のようです。右は大東寺です。



なかなか趣きのある通りです。
大東寺横の筋の向こうに満舟寺があります。この石垣、戦国時代のものでなかなか風格があります。
石垣の下のSCHOOLの看板。こどもの足がやけに長いですね。戦後すぐに作られたもののようです。


   




 「島の時計屋さん」で親しまれている松浦時計店。パンフレットには松浦時計店となっていますが、看板は新光時計店になっています。この松浦家、元は米問屋でしたが、140年ほど前の幕末、各国時計販売所に転じたとか。日本で最も古い時計屋だそうです。現在は4代目・松浦敬一さん。(右下奥の方)修理の腕は島外にも知られ、関東や九州、はたまた海外からも注文が舞い込むそうです。お店の右側(女性二人が覗きこんでいるところ)が作業場で、仕事に集中できるのは自然光がいい角度で入る限られた時間とか。側面には、依頼されたものでしょうか!多くの時計が掛かっていました。順番に修理していっても相当な日数がかかることでしょう。店内には創業当初、家一軒を売って米国から購入したという柱時計がありました。(同じく写真の中央)何と140年以上、とまっていないそうです。

 
レトロの看板の時計。実は動いていません。観光客の質問に答える松浦さん。


   



 
緑の洋館(床屋さんのようです)

南北500メートル、東西400メートルほどの狭い地域に540棟の建物がひしめく御手洗。うち203棟が江戸時代から戦前にかけての伝統的建造物だそうです。94年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されましたが、広島県内では製塩町の竹原市・竹原地区に次いで2番目です。保存地区に選ばれたあと、約70軒が屋根や外壁、軒先といった外観を修復したそうです。中心部に近い「常盤町とおり」は電線やケーブルが目立たないように地中化されました。きれいすぎるほどきれいな白壁の外観です。空き屋はほとんど目立たず、人声がする生活感が漂う町並みです。


  



江戸年間の材木商家は改築され、御手洗観光の拠点
「潮待ち館」になりました。


  
初代の町年寄を務めた「柴屋」の旧本宅は4年がかりで修復が進められました。文化3年(1806)に伊能忠敬が御手洗を測量した際、宿泊したそうです。当時の測量の様子が著された絵図がありました。(写真中)。この柴屋、この夏NHK広島で放送された、「火の魚」の舞台にもなりました。村田家の玄関や台所がある一階は母屋部分、書斎のある二階は奥の蔵を利用して撮影が行われました。主役は村田役の原田芳雄さん、折見役の尾野真千子です。10月14日の6:00PMからBShiで全国放送されます。折見役の尾野さんの見事な言葉づかいには感動させられました。実に心に残る素晴らしい作品でした。是非ご覧になってください。ドラマ「火の魚」



   


 
元映画館の乙女座(左)平成14年に演劇場として復元されました。当日も漫才などが行われていました。



江戸時代のお茶屋。若胡子屋(わかえびすや)跡です。多い時、ここだけで100人の遊女がいたそうです。
残念ながら建物が傾き危険ということで、現在、内部は公開されていません。しかし正面下部の木戸の隙間から
中の様子を何とか見ることができました。

 
元醤油屋跡

ケヤキの古い看板
 
ここにも洋館がありました。お医者さんのようでした。右は明治維新の立役者・三条実美らが立ち寄った
七卿落遺跡(しちきょうおちいせき)

 
絵になるバイク(左) 手を出すとじゃれる芝犬(メス)



平成13年の台風19号で赤線のところまで潮がきて大きな損害が出たそうです。

呉市観光情報 「くれナビ」 豊町観光協会 広島県呉市豊町御手洗(潮待ち館内)

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