関宿を訪ねて
平成23年7月9日(土) 三重県亀山市


予算、1万円未満で行く旅シリーズ、今回はかねてからの念願だった三重県の関宿を訪ねました。江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの人々でにぎわいました。現在、旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめない中にあって、唯一歴史的な町並みが残ることから、昭和59年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。





 
柘植から関までの関西本線のローカルなことに少々びっくり。電化されていないようでした。でも旅気分を味わうのには最高です。駅舎には、亀山商工会議所関支所、亀山市観光協会も入っています。こちらで観光パンフレットを入手し、見どころなどを聞きます。荷物をコインロッカーに預け、カメラだけ持って、いざ出発です。


関駅の前の国道1号線を渡ると、ご覧のような景色。道路もきれいに舗装されています。関宿はこの先5分ほどです。


夏を代表する白のムクゲ。 樋を支える独特の支柱。 関宿で唯一見かけたなまこ壁の蔵。
まもなくご覧のような通り・関宿に出ます。東の追分から木崎、中町、新所と続き西の追分まで東西1.8キロもあります。
画像は、中町、通りに入ったところから西方面を見たところです。




 
季節がら、たくさんのツバメを見ました。
町並みに配慮したデザインの百五銀行。平成9年度、三重県さわやかまちづくり賞を受賞しています。







看板の文字 京都側が漢字、江戸側がひらがなになっています。(書状集箱)ポストもご覧のように凝っています。


元お風呂屋さん

右側に女、左側に男の文字。中央には傘の付いた白熱電球。なかなかいい感じで残されています。
このような発見は楽しいですね。


左上:関宿の東の入口にあたる東追分は、東海道と伊勢別街道の分岐点、大鳥居は伊勢神宮を遥拝するためのものです。
左下:年中飾られているしめ飾り 右下:伊藤酒店の蔵はとても立派。焼酎(いも・麦・米)で有名

関宿の町家の特徴

関宿を象徴する町屋です。(平入の二階建が一般的です)

虫籠窓(町屋の正面二階にある、漆喰で塗り込めた格子窓)、幕板(庇の下に取り付けられた板で、風雨から店先を守る霧除け)、ばったり(店の前に取り付けられた上げ下げできる棚)馬つなぎの環金具(玄関の柱に打ち付けられた馬をつないだ金具) 出格子(座敷の前の出格子は明治時代以降に取付られたものです)




関を代表する芸妓置店二軒

元芸妓置店の松鶴楼(右)現在は、鮮魚青果の遊快亭

開雲楼(左)の凝った意匠の手摺りや格子窓
 
一番目立ったお店、山石はお食事処百五銀行の斜め前
右は山車倉(だしくら)で四カ所にあります。関の山(山車=やま)という語源になりました。



落ち着いた佇まいを見せる中町の町並みです。


(左)角のお店・ジコンカの前に置いてあったレトロな自転車 
(中右)延命寺山門は、旧川北本陣の門を移築したものです) (右)美容院の看板も町並みに配慮



関宿の伝統的な町家を公開した資料館です。関の文化財の紹介や、関宿に関係する歴史資料などを展示しています。また土蔵二階展示室では、町並み保存事業による町並みの一目で見ることができます。

 
この建物は、江戸時代末期に建築された、関宿を代表する町家建築の一つです。
左:入口 右:帳場 奥に箱階段 土間の奥に明治時代の自転車がありました。
 
入館料◆大人=300円 旅籠玉屋歴史資料館と共通




創業:明治15年の桶重さん、板の真ん中に座り桶づくりに精を出すのは、3代目服部さん。
小さな木を何度も何度も重ね確認する作業。なぜか大崎下島・御手洗の時計屋さんを思い出しました。

  
桶重さんの細工瓦

虫籠窓と起り屋根
 
いろんな形の虫籠窓があります。唐破風に似た丸みを帯びた屋根は富の象徴?





関宿の町並みの中に生まれた小公園。関宿が江戸から百六里あることから名付けられました。通りに面した建物・眺関亭からは、関宿の家並みが一望できます。

 
右:通りから逆に見るとこのような感じ。屋根の一部をくり抜いてありますが人がいなければわかりません。


宿場町がそのまま生活の場として残っている町並み。守り続けてきた古さがいま新しい。
眺関亭展望台からの眺め。正面に地蔵院。関宿でも一番のにぎわいを見せる場所です。

 

左が玉屋歴史資料館、右が石垣屋

 
旅人宿 石垣屋 築120年の古民家 素泊り宿 一泊・3500円 HPはこちら




玉屋は関を代表する大旅籠のひとつです。江戸時代に建築された貴重な旅籠建築に、当時使われていた道具類や、庶民の旅に関係する歴史資料などが展示され、江戸時代に栄えた旅籠の姿が再現されています。
「関で泊るなら鶴屋か玉屋、まだも泊るなら会津屋か」
 
玉屋の虫籠窓。屋号にちなんで、宝珠の玉(玉から火焔があがる様)をかたどっています。
内側から見ると、こんな感じです。(右)


土間から入口付近を見る


上中:土蔵(浮世絵展示室になっています) 左下:店の間の階段 間隔があまりにも狭く、とても登りにくい階段でした。
下中:二階座敷の布団を敷いた当時の様子が再現されています。 右下:遠くに坪庭と離れ座敷が見えます。
資料館を出たところで亀山市観光協会の方からアンケートに協力を求められました。お礼にストラップをいただきました。


江戸時代からの味と文化を受け継ぐ深川屋の銘菓「関の戸」

庵看板(いおりかんばん)は瓦屋根のついた立派な看板。例によって江戸側がひらがな、京都側が漢字になっています。

 

今日のお土産は「関の戸」と決めていました。お店の人の姿が見えなかったので、遠慮なく入りましたが、センサーが働いて、「ピンポーン」とチャイムが鳴り、「いらっしゃいませ!」と間髪をいれずに店の方が出てきました。
おもわず、「関の戸」をください!と注文をしてしまいました。

関を代表する銘菓「関の戸」は赤小豆のこし餡を求肥で包み和三盆をまぶした餅菓子です。ふんわり柔らかい口当たりと和三盆の上品な甘さが江戸時代から常に旅人に喜ばれてきました。


志ら玉(前田屋製菓)




関塾のほぼ中心にある関郵便局は、江戸時代には高札場があったところです。


会津屋

地蔵院門前の町並み 「会津屋」は関宿を代表する旅籠のひとつです。もとは山田屋と言いました。
現在は、関宿名物「山菜おこわ」と「街道そば」の店となっています。




漆喰細工や瓦細工は、子孫繁栄、家運長久などを願って職人が技をこらしてつくったものです。



どこか、内子の鏝絵(こてえ)に似ているとおもいました。探しながら歩くのも楽しいですね。

地蔵院
天平13年、行基菩薩の開創と伝えられています。近郷の人々に加え、東海道を旅する人々の信仰を集め、現在でも多くの参拝者で賑わっています。境内の本堂・鐘楼・愛染堂の三棟が国の重要文化財に指定されています。




西側は小規模な平屋が続き、地味で落ち着きのある町並みになっています。
関宿の西の入り口にあたる西追分はもうすぐそこです。

西追分休憩施設


本日の出費 8,860円 高速バス代=往復6,000円、JR京都から関駅=往復2,560円、拝観料300円 (おみやげ、食事代を除く)

おみやげは、関の戸と赤福

 参考文献 亀山市関宿観光パンフレット、山と渓谷社「関西小さな町小さな旅」

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