地域の人々から「御代の大仏」とも呼ばれ古くから親しまれています。仏像は、高さ2.76m、また台座の部分を含めると3.63mにも達する大きさです。
尊顔は少し面長で、鼻筋が通り、目にはかすかな笑みをたたえています。
台座の蓮弁には、仏像の由来や製作年、製作者、寄進者の名などを記した銘文が刻まれています。
同寺の中興、禅法上座は仏像の造立を発願し、宝暦2(1752)に全国をまわって喜拾を呼びかけましたが、同10年、志なかばにしてこの世を去ってしまいました。その後、明和2(1765)年より、喜拾が再開され、江戸日本橋の豪商、村田治右衛門、上野国伊勢崎の竹内荘兵衛などの尽力により、同4年に仏像は完成しました。
仏像の製作者は江戸神田の御鋳物師木村将監安忠です。
しかし、残念なことに仏像が完成されても、すぐにはこの地に建立されず、数年間も打ち捨てられていましたが、安永5年(1776)小名浜中島の金城六平大が願主となり、地元御代村はじめ小名浜代官所の役人や小名浜の豪商であった小野四郎右衛門、立花四郎右衛門など多くの人々の協力によって現在の地に安置されました。
基壇の工事は小名浜中町の石工長瀬丈右衛門の手によって行われ、また天保12年(1841)11月には平の儀右衛門などにより基壇の修復工事が施されました。
・蓮座の径 87cm