第58回福岡国際マラソン 12月5日(日) 2時間52分22秒=330位

  いまから遡ること21年前、当時世界最高記録保持者のサラザールと瀬古、宗兄弟がマラソンの対決があるということで、私は高校受験の時の模擬試験をやめてテレビを見てました。それが福岡国際マラソンがすごい大会なんだと感じた始まりでした。時は経ちマラソンで別府大分、東京と参加資格を高い大会に挑戦し、その最後に夢見ていたのが福岡。その福岡の参加標準記録2時間26分を2000年の東京国際で破ったときのラスト5kmは心の中で「福岡、福岡」と唱えて走ったほどあこがれの大会でもありました。
 そして幸運にも2000年、2001年と出場でき、翌年だったか参加標準記録も1分緩和されましたが、しかしここ数年は自分のフルの記録も伸び悩みもう2度と福岡は走れないのかなと思っていた矢先のフル参加標準記録が2時間50分に緩和され再度福岡のコースを走る恩恵を与えられたのでした。

 当日は季節はずれの低気圧の影響か朝から風が強く、予報では7mくらい(競技場での公式発表は5.4m)と気温よりも風の影響を受けそうです。朝練習時に都心から海岸沿いへ向けて走りましたが、中洲の那珂川にかかる橋のうえではかなりの風圧を感じ、この先レースまでの5時間でなんとか収まってくれないかなと念じるばかりです。朝食はいつもならおにぎり2個、パスタ1皿、餅、サラダ程度なのですが、最近某ランニング誌で試合当日はあまり炭水化物をとらなくて良いのではとの記事がいつも頭の中に残ってました。自分でもここ最近はなかなか減らない体重にちょっと困っていたこともあり、炭水化物をちょっと避ける傾向にありました。で、今回はのり弁(魚のフライ入り)、焼きラーメン(とんこつだしで福岡ぽくて)、それに定番の餅です。いつもの満腹感はないですが、空腹感もなく、詰め込めばまだ入るという程度。あとは仕上げに90分くらい前にパンを食べてエネルギー補給は万全というもくろみでした。しかしこれが失敗の始まりとは知らずに。
 宿から平和台の陸上競技場まではバス1本で約10分。10時には宿を出て控室であるテントへ。知り合いのランナーとも多く出会い、さすがに福岡、自分のみならず皆さんの思い入れも深いようです。
 
 ちょっと早めに15分くらい前に招集所グループということで大濠公園がスタートなのですが、申込時の参加記録から平和台のスタートが認められ100余名くらいでしょうか自分自身3年前の感動が蘇るスタート地点に立てました。12時10分のスタート。競技場を3周と3/4周走ってロードに出ます。競技場内ではだいたい1km3分25秒くらいのペースでもちろん後方のほう、でも今回は途中の関門も緩和されているので、じっくり走って目標である2時間30分切りを目指すこととします。ロードに出て2kmは6分55秒、まずまずかな。2.4kmで大濠公園スタートの大集団と合流です。自分の走っている7〜80mくらい手前から人が流れてくる姿はお見事といいたくなるくらい計算されつくした合流地点に見えました。さて合流後はどんどん抜かれていきました。周りが速すぎるのだろうなと思って3kmの時計を見たら10分35秒くらいかかっています。この1kmは周りが速いのではなく自分のペースが落ちているのでした。そのうち集団が次々と自分を飲み込んでいきました。5kmは17分43秒の通過。競技場を出て10km近くまでは西へ向かいますが、その西風が強く、皆集団を形成しているのでした。自分は集団にいったん入るものの、そのペースが維持できずに離れ、そして次の集団に飲み込まれ、また離れるといった感じ。この頃は脚の動きもパッとせず、練習の中でスピードを上げるともがく悪いパターンです。おまけに満腹感というかお腹が少しもたれた感じ。でももたれはいつもあることだし、30kmを過ぎたらちょうどいい具合になってスタミナ切れもなく走りきれるという経験があったので、その時点はまだ深刻には考えていませんでした。10kmは都市高速道路の高架下で少し涼しい地点を36分26秒(18分43秒)で通過。もう目標のサブ30も序盤のこの時点で赤に限りなく近い黄色信号。ここで追い風に乗って東進できるかに少ない望みを託します。
 ところがペースは向かい風より数秒速くなっただけ、周りのランナーは風に乗って次々とやってきます。そして先に行ってしまいます。15kmは55分5秒(18分38秒)、もうサブ30は絶望となりました。あとは後半にペースを上げて抜きかえしてゴールすること。せめて2時間35分はと下方修正です。17km地点はスタート地点である平和台陸上競技場の裏手まで戻ってきます。ここで一瞬「棄権」ということも頭をかずめました。こんな体の動かない自分にしびれをきらし気味だったので。しかしソンス妻の応援もあるしこんなところで格好悪い姿は見せられないなと思いとどまり、このへんは我慢して集団についていました。20kmは1時間13分48秒(18分43秒)、中間点は1時間17分55秒。後半もこのペースでいけばなんとか2時間35分台、これでいいこれでいいと我慢です。23kmで博多駅前のメインストリート。海に向かって走るのでまた向かい風を受けますが、片側3車線の道路をランナーが占有できていい気分でした。しかしながら我慢してついた集団にもこの時点では50m、いや60mとまたもだんだん引き離されていきます。メインストリート突き当たりに福岡サンパレスという立派な建物がありましたが、そこを右折するとすぐに25km1時間32分57秒(19分9秒)。残り17kmとなり、ここからピッチを上げていきたいところ、右折すると風もやや追ってきたみたいです。ピッチを少し上げてこの1kmを3分40秒を少し切ったくらいに持ち直すと集団から落ちてくる選手を一人一人拾うことができました。このマラソンで初めて前を走るランナー抜く快感が訪れました。あとは前を目指すのみと前の10人ばかりの集団を見るとまだ100m弱くらいの差がありそうです。ここからやや郊外に出て直線道路ゆえ前の状況もみやすくなっています。そのうち折り返しからトップのランナーが折り返してきました。日本選手2人にケニア選手1人と3人でトップを形成してました。その後はポツリ、ポツリと選手が続きますが、過去の福岡いや他の3大レースと比較しても集団が少なく、単独走が多いような気がします。やはり風の影響かな。
 30kmは1時間51分38秒(18分41秒)、感覚どおり少し上がっていました。が、ここで問題が発生。お腹の調子がおかしくなってきました。キリっとした痛みではないけど、じわっとくる感じ。残り40分ちょいですから最初は我慢と思ってましたが、断続的に痛みが襲ってきます。楽観的に考えていたのは折り返しまで、折り返しを過ぎるとキロ3分40秒ちょいのペースが3分50秒以上もかかってました。ここでトイレ休憩か?いやまだ大丈夫と自問自答。しかし先の視線は前の集団から左側にずれてきました。そうトイレを探すため。しばらくいって大きな公園が見えたのでここで時計のボタンを押しました。本来なら最後のゴールまで止めずにおくべきでしたが、35km手前のこの時点で記録を目指しての走りが終わったのです。2時間10分49秒。
  そそくさとトイレ休憩を済ませコースに戻ると、少し体が軽くなった感じです。すぐに35km、時計はもう止まってましたので、自分の記憶が正しいならば2時間14分50秒(23分12秒)。このままキロ4分でいって2時間45分くらいでいけるかなとおもいつつ、35kmを過ぎた給水所でスポーツドリンクを摂ります。しかしこれも間違いでした。胃を通過した水分はみるみるうちに消火器を通過し、またトイレ探しが始まったのです。公園も見えませんし、ここはどこかで拝借するしかない感じ、北海道ならどこでもコンビニにトイレがついていますが、福岡はあまりみかけません。だからせっかく寄っても無いことも考えられるのでボツ。ところどころに見えるファミレスも食事中のお客さんに注目もあびるのも恥ずかしい。となるとガソリンスタンドかな?途中の役員に関門まで何分あるかと聞いたらまだ充分あるよといわれ、 ちょっと小道をはずれた公園のトイレとおぼしき(しかしそこはトイレではなく水道関係の施設だった)ところまで歩くと、無い。仕方なく戻ると役員が自分を呼び手招きしており、整備工場のトイレを使いなさいと言う。ありがたく使わせていただき、お礼を言って工場を出ようとすると、受付のおねえさんが「最後まで頑張ってください」と拍手してくれるではありませんか。そしてコースに戻るとさきほどの役員の人が「あと(関門まで)3分あるからガンバレ」との応援。ありがとうございました。これでゴールを目指す意を強くします。
 さて、ここでは岐阜のS選手とバトルでした。トイレ休憩でS選手に抜かれ、またコースに戻ると抜き返すことが続きました。たぶん本人もびっくりしていたことでしょう。ちょっと苦しそうな走りです。もう時計も動いていないので自分がどのくらいのペースで走っているのかはわかりません。ただ流れには乗っているのか後方から抜かれることもありません。スタミナ切れもないし、脚に疲れもないけれど、2度にわたる休憩は脚を動かなくさせているようです。あとはお腹、力を入れると正直まずいです(-_-)静かに静かに前を目指します。福岡の中心部天神の繁華街のはずれを過ぎてからは3度目のトイレタイム。こんどはガソリンスタンドで。40kmは2時間42分くらいだったと思いますが、あとでプログラムを見ると40kmの閉鎖時間は2時間43分でした。1分差で辛うじての通過。平和台のお濠を過ぎて残り1km、まさかこんなかたちで競技場に入ってくるとは思いませんでした。バックスタンドではソンス妻が応援しているのがわかりました。力むことができないのでお決まりの最後の直線のラストスパートはかけられませんでしたが2時間52分22秒。自己ワースト3位の記録とはいえゴールを目指す意欲は最後まで衰えず、忘れられないレースとなりました。

マラソンゲート 博多駅前広場に福岡優勝者の足型があります。
ソンス妻のチームの監督はH3年優勝者です。

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