2004北海道マラソン 8月29日(日) 2時間36分58秒=53位

 昨年は不出場だった北海道マラソン。でも今年の北海道マラソンに賭ける思いは例年とは違っていました。自分のレースではなく,このレースで一応走りから身を引くソンス妻と共走するため。過去には2001年の北海道マラソンでも競走したことがあって,この時は中間点で大きく水を開け亭主の威厳の見せどころだったのにゴール手前の中島公園で追いつかれからスパートして辛くも数秒差で勝利をもぎったこともありました。でも今年は共走。「ラスト50mで勝負に出るから」といいつつも内心は一緒にゴールできればなぁと考えてました。
 ソンス妻はラストレースに向けて,40km走やペース走をこなし,札幌国際ハーフや士別ハーフでは安定して1時間15〜16分台をマークするなど大阪国際や名古屋国際のときとは比べ物にならない仕上がりを見せていたのに対し,自分のほうは6月末から7月中旬までは故障で完全休養。7月下旬から練習を再開し,士別の10kmに至ってはソンス妻ハーフの10km通過とたいして変わらないタイムで完全な出遅れ状態。大会終了後もちょっとジョックをして終わりモチベーションも上がってきませんでした。「ま,大会に出ればなんとかなるさ」といった感じ。
 その甘さに喝を入れたのが,8月7日に前田森林公園での15kmタイムトライアルでソンス妻に引っ張ってもらって(タイムトライアルだからソンスが前に出て引っ張る訳にはいかない),後半の強さを目の当たりにしたことから。これじゃ20kmも共走できないと思い,らそこからはまじめに20km以上の距離を3回,インターバルやペース走を適度に入れて1週間前くらいにはなんとかいけそうな感じになってきました。
 そして大会当日。ソンス妻は大会選手村の宿舎に宿泊のため,ソンスは札幌の自宅で朝食。ここ最近は後半も心なしかガス欠状態が改善されているかなと縁起を担いで餅を食べる。ホテルと違ってレンジがあるので温めてかなりの量を味噌汁に入れて雑煮風に,それにプラスしてご飯どんぶり1杯を食べる。食事の時間はスタート前の3時間40分前といつもと同じだが,量はいつもなら満腹を感じてもさらに詰め込むけれど,今回は満腹が感じたらそれまで。そしてレース前も2時間前の菓子パン、60分前のエネルギーゼリーを取るところですが,今回はエネルギーゼリーだけにしました。共走なのでいつもより軽めの食事がレース終盤に影響するとはこの時は思ってませんでした。今思えば,この食事をいつもの自分の記録狙いのレースと同じ食事にしていれば。。。と思う朝のひとコマでした。
 自宅をスタート2時間半前の9時40分頃に出発し,地下鉄南北線で終点の真駒内公園に向かいます。思えば札幌の家はいいところにありました。練習に最適な北大には近いし,札幌駅まで走って15分でいけるし,北海道マラソンのスタートやゴール最寄の駅から地下鉄1本で行けるし,飲み屋も多い(これは余計か)。例年はスタート受付の直前に競技場に到着することが多いので、ランナーはまばらだけど、今年は早めに出発したので地下鉄が終点の真駒内駅に到着するとランナーをどっと吐き出し、改札を抜けても延々と公園まで長い行進が続いていました。15分くらいあるいて真駒内公園に到着。スタート付近の屋外スタジアムはさすが1000人参加者増だけあって、例年より混み具合も激しい模様。これじゃ知り合いに会えないかなと思ったけど、無事昨夜健闘を誓いあった仲間たちやパパさん親子を発見することができました。ウォーミングアップは2km弱で流しも入れることなく体操を念入りにすることもなくいたって軽め。ソンス妻は前半から飛ばすことはないだろうとの甘い考えでした。そして荷物をゴールまで搬送するトラックに預け,長い行列を待ってようやくスタジアム内の集合地点に入ることができました。まだ時間があるので東西に分かれたトイレの一方に並び、しばし休憩。暑くないから水分をとっていないのに真駒内について3回目ということは,気温の低下のせいかな。小雨も降っていて例年とは違う北海道マラソンになりそうです。
 スタート位置は3列目くらいだからスムーズにスタートできそうですが、共走相手のソンス妻は男子選手の影に隠れて見えませんでした。肌寒いこともあって「早くスタートしたいよ」と思いつつ、12時10分に号砲が鳴ってスタートしました。
 2年前は確か1周してから公園に出てましたが,そのときもスタート時点で先頭が1周した時にはまだ最後尾の選手がスタートラインを通過していない現象もありましたが,さすがに危険なのかスタートして真っ直ぐ進みゲートを出て公園に出ます。公園ではすぐにソンス妻を含む女子選手の一団が確認できました。例年のことですが,女子先頭は男子選手が取り囲むことが多いので走りづらいです。ダントツの優勝候補千葉選手がてっきり飛び出すかと思ったら自重しており,取巻きはかなりの数です。ソンス妻も確認できたし,最初の2kmくらいは集団の最後尾について他の選手との接触を極力避けました。でもこの状態が3kmを過ぎても続いています。集団は崩れず,よく見ると道内のトップクラスの選手もこの集団にいます。もしからしらこのペースって速いんじゃないの?と自分の心の中で疑問が湧き出てきました。1km毎のプラカードがあったかもしれませんが,集団に気をとられて時間から走った距離を推し量るしかありませんでした。
 5kmは17分45秒と不安は現実にはならず、オーバーペースというよりは案外適正なペースでした。ただ千葉選手ら女子のトップグループは遅いと判断したのか,5kmを通過すると見る見るペースを上げます。それに合わせて集団もすーっと、そしてだんだん離れていきます。ほどなくソンス妻は集団から取り残されて単独走となってました。ここで共走相手が後ろから忍び寄ってきます。共走相手は別にここから引っ張るというわけではなく,ある目的で近づきました。それはスペシャルドリンクの残りを頂くためです。実はソンス妻のお気入りのスペシャルはあのQちゃんがCMに出ている飲料ですが,ソンスもレースには必ずその飲料を使ってます。ソンスは一般参加なのでスペシャルが置けませんから多めに作っておいてねと事前に頼んでおいていました。スペシャルついでにもうひとつ。30km以降はその飲料は使わずにアク○リアスをスペシャルにしていました。これもソンス妻のいつものこだわりだそうです。
 スペシャルを貰ったお礼というわけではありませんが,ここから共走開始です。ここでは追い風+下り坂に乗って、1km当たりのペースも時々3分30秒を切るなど動きはスタート直後に比べたら良くなっているように思えました。8km過ぎでゴール地点の中島公園を左手に見ながら通過します。これが中間点とかにあったら「まだ半分なのにゴールを横目にみなきゃいけないのは残酷だな」って思うところですが、この地点ではまだ余裕余裕♪すすきのから大通にかけては沿道は幾重にも応援があります。10km地点は35分23秒でこの5kmのラップは17分38秒と上がっています。それなのに女子の先頭集団とそれを取巻く男子集団は視界から消えかかってます。そこを通過してほどなく創成川の通りを北上します。ここからは新コースで昨年不出場の自分には初めての区間になります。アップダウンが厳しいだろうと思っていたアンダーパスも難なく通過。片側3車線で渋滞もたびたび起こすこの通りもランナーだけ、広々とした道路がかえって寂しい感じがします。このあたりでは前をいくランナーも落ちてくることもなく、差は広がるばかりです。ソンス妻にとっては冬のマラソンではここら辺りの距離がガクッと来る地点です。一昨年の東京もそうでした。名古屋も、大阪も決まってこのへんが鬼門だったような。本人に言わせると体が動かなくなるとか。逆にこの苦しい区間を乗り越えれば(ペースは別として)楽になるそうです。
 しかしその鬼門も今回は別のようで、このコース最大の応援ポイントが近づきました。15km手前はソンス妻の生活の拠点で勝手知ったるテリトリー。陸上部の仲間が沿道からの大声援にも後押しされ元気が出てきたようです。15kmは53分31秒でだいたい練習のペース走でいつもやっているペースくらいみたいです。関門を過ぎて右折して片側3車線の新川通をちょっと北上しすぐ右折。前から落ちてきた女性ランナーを拾い,新琴似の一番通りを北上します。大型のショッピングセンター,眼に飛び込む牧草地,ここまで来ると市街地というよりは郊外の風景が広がります。20kmは1時間11分56秒。追い風を受けている割にはそれほどタイムは伸びてませんが,まだ18分平均を切って走っているので2時間35分は充分切れそうなタイムです。中間点はほとんど住宅街が途切れたあたりで1時間15分55秒で通過しました。単純に倍にすればかなりの好タイムでしょうが,復路の向かい風はそんなに甘くはないでしょう。トップグループも折り返してきました。ケニア人とおぼしき3名が元気に通りすぎていきました。沿道には陸上部のコーチもいて「(女子で)12番だ。頑張れ」と言います。序盤は集団でよくわからなかったのですが,前にそんなに女子選手がいるとは思えませんでした。
 折り返し地点に向けて左折したところで,今まで完全に追っていた風は横風あるいは向かい風になっていました。今までが下り&追い風でかなり恵まれていたんですね。ここでペースメーカーのもうひとつの顔,風除け君の出番です。折り返してまた新琴似一番通に出ると向かい風が完全に行く手を邪魔します。もう前に進まないのです。いつもなら背後にピタリと付かれれば,お先にどうぞとのポーズで先に行ってもらいたいところですが,今回ばかりは仲間ですから甘んじてこの強風区間は我慢しなければなりません。でも反対車線からは知り合いのランナーから「頑張って〜」との熱いエールが届きました。ひとときの元気の出る瞬間です。一昨年までのコースだったらスタートしてしまえば、ワンウェイゆえすれ違うことはなかったのですが,新コースはこうしてすれ違えるのがいいですね。25kmは1時間30分35秒。反対車線の人並みは一番通を右折するところまで続いてました。さすが4000人の大会だ。
 右折すると風は少し楽になりました。ペースはやや落ち気味ですが,前からランナーを次々と拾っていくことができました。どうやら他のランナーはソンス夫婦以上に向かい風のダメージがあるようです。ソンスもその頃からだんだん腕に力が入らなくなってきました。スタミナ切れの前兆が出てきました。とはいえ車でいえばガソリン切れ警報のランプがつく少々手前程度。残り数キロは持ちそうだし,スポーツドリンクとか糖分を多めに取ろうと思えばなんとか持つかな?30km手前にしてのこの感覚はいやーな気分です。もう1回向かい風の強い区間もありそうだし。
 30kmは1時間49分43秒。やはり19分台に落ちてましたが,また札幌の棲家の近くに戻ってきました。見慣れた風景を横目に見ながらまたも陸上部からの熱い声援。ここから右折して北1条通りがヤマです。まずは走る前からこの区間はイヤだなと思ってました。まず疲れが出る距離であること。まして片側3車線で単調に見えるので精神的に辛い、おまけに今日は向かい風です。それを救ってくれたのが,健気さん。一時は完全に視界から消えていた黄色の目立つユニフォームが大きくなってくるにつけて元気が出てきました。次に女子選手が3人くらいまとめて見えてきました。前にいかなきゃと思いつつも,こっちはけっこう一杯一杯の状態(汗)。後で聞いたらソンス妻は後ろから煽っていたそうです。不安だったアンダーパスの上り下りも無事通過し,女子選手もまとめて抜き去りました。35kmで監督の応援も聞こえました。2時間8分46秒の通過。落ちたなりにもほぼイーブンですが,自分の感覚ではここではかなり頑張ってました。
 豊平川にかかる橋の手前でまたも陸上部の大応援団を発見。元の寮の賄いの方は少し怪しいけど,よく目立つコスチュームで応援していただきました。ケニアからの選手は沿道から走りながら応援してくれました。お願い残りの区間替わってよと叫びたい心境でした。
 豊平川を渡ってからの給水所で初めてスポーツドリンクを取り損ねました。こりゃここでワシのお役もご免かなとばかりにソンス妻に一言「もうバテたから先に行っていいよ」。最初に半信半疑だったのかなかなか前に行きませんが,やはりペースが落ちたのがわかったのか折り返してまもなく38km地点で別れの時がやってきました。遠ざかる背中,ラストレースでゴールを見届ける目標からもだんだん遠のいていきます。マラソンは練習量に嘘のつかないスポーツです。7月に150kmしか走らなかったランナーとその6倍の距離をこなすランナーの違いは歴然でした。ただし気になることがひとつ一度抜いたはずのポーランド選手が息を吹き返し,ソンスを抜くとペースをどんどん上げていきます。気持ちはランシャツを掴んで連れて行ってくれといきたい心境でしたが,ここでも無抵抗で離されます。しばらくいくとポーランド選手はソンス妻も抜き去ったようでした。40kmは2時間27分56秒。あれ?思ったより落ちてないぞ。ソンス妻がペースアップしたようです。ここでまた陸上部の選手が応援してくれていたので投げキッスをして返しました。前も見えなくなりつつあるしファンランモードに変更か?
 ここからは駅前通りのいわば最後の力の見せ所。なぜか職場の知り合いがいて目と目が合い,妻に負ける姿を見られて少し恥ずかしいです。40kmからは気持ちも脚力も切れ気味だったのでほぼジョギングモードになりやたら後ろが気になりましたが,後ろは交通規制が緩められているようで差は広がっているものと判断でき,ちょっと安心しました。
 ラストの中島公園ではいつもコースが狭まっているため,応援が身近に感じられ感動をかきたてられます。しかし今回はソンス妻に先に行かれて気持ちは複雑です。あ〜あ〜最後のゴールまで一緒に行きたかったな。最後の力を振り絞ってゴールに一直線。なんとか2時間37分をわずかに切る2時間36分58秒のゴールでした。ソンス妻は2時間35分46秒。ラスト4kmで1分12秒も差をつけられました。
涼しかったとはいえこのタイムには脱帽です。はこれでしばらくは頭が上がりません。実業団生活12年間お疲れさま。
 走り終わったあとはあまり疲労はありませんでした。もう少し頑張れたのかなと後悔もありますが,あのときはあのときでかなり苦しかったのです。でもそこを我慢したらまた楽になったのかもしれません。でも我慢が効かなかったのはやはり練習量が少なかったためでしょう。終盤を我慢するには距離を踏むことが大事,それを知ったレースでもありました。

32km付近(撮影:ぽん太妻さん)

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