彩の国まごころ国体オープンハーフ 10月28日(木) 1時間14分34秒=41位

  昨年の国体から,各都道府県3名以内の国体オープンハーフができたようです。国体の雰囲気を味わいながらの21kmは魅力だったのですが,平日開催ということで今年もあまり関心はない大会でした。
  ところが,ソンス妻が7月の選考レースで道内トップでゴールしたことで,関係者に薦められてそれまで北海道マラソンがラストレースと公言したのを翻していまいました。関係者との会話の中で「うちの亭主もその大会に興味を持っていて云々」と言ったらしく,その後というか忘れもしないエントリー締め切り日に職場に電話が来て「出ませんか?」と。考える時間はわずか2時間。「お願いします。」我ながら衝動出場でした。早々にFAXで申し込みをし,エントリー代を支払い,まずは飛行機を早期割引を予約しました。正直どこをどう走るのかも定かでありませんでした。ただ,先延ばしになったソンス妻のラストレースを一緒に走るのと,オープンとはいえ国体のネームバリューに惹かれたためでしょう。北海道のオープンの部エントリーは私だけでした。
  そうこうしているうちに,大会が近くなり,10月はけっこう長距離を走り込み,自分としては後半を持ちこたえるだけの脚ができてきたなとの手ごたえもあり,目標は1時間12分を切ること。男女同時スタートなので女子のトップから見える位置ではしればいけそうなタイムと考えていました。
  前日の宿は羽田空港から2時間以上かかる小さな街でした。北海道チームの選手団の宿泊する宿はちょっと立派な公共施設。当初は民泊もありうるということでしたが立派な施設でした。大会当日は午前3時45分起床,朝食5時の時差ぼけになりそうなスケジュールですが,8時45分スタートならこの時間でちょうどいいくらいで,こんな早く起きるのは昨年のサロマ湖100kmのレース以来でしょう。
  薄暗い国道を朝練習していると各県の正選手とおぼしき選手がいいペースで走っていました。ねぼけ眼ですれ違うとそれこそ幽霊が出たんじゃないかとすーっと走り去っていきます。
  会場である熊谷市までは宿舎から車で1時間弱で午前6時からシャトルバスが出てますが,選手団への車に便乗させていただき,40分ほどで会場に着きました。受付はすでに前日にソンス妻にしてもらっていたので慌しいことはありませんでした。貰ったプログラムではオープンの部とはいえ2時間8分台を出していた元実業団選手をはじめとして,3大マラソンの常連の選手もいてレベルは高そうです。
  スタート15分くらい前にスタート地点である競技場内に入りましたが,各県を応援する声があちこちで聞こえ,独特の雰囲気がありました。オープンだからお気楽ですが,各県代表の選手は緊張しているんだろうなと思いながら,その雰囲気も楽しみます。オープンの中でも後ろのほうに並んだのでスタート前に声をかけようと思ったソンス妻もどこにいるかはわかりませんでした。
 8時45分に一斉スタート。後ろのほうだったので,競技場内は団子状態で走りにくかったですが,運動公園を出る頃には人数も縦長になりました。この頃ソンス妻を発見。目で合図したつもりですが,気がついたかどうか?今回は自分も記録狙いとさせてもらうので,ペースメーカーにはなりません。ラストで置いていかれてもイヤですし。競技場を出るとのどかな田園が広がります。この大会は各都道府県選手はユニフォーム着用ですが,オープンの部は白が基調でマスコットとロゴ入りの指定のTシャツ着用となってます。曲がり角で前方を確認するとトップ集団はほぼユニフォームですが,白Tシャツの集団が数え切れないほどあって自分の位置なんてまったくわかりません。ただ女子選手に沿道から八番とか声がかかるので,「あ,女子の先頭は確認できないくらい前なんだな」とだけわかりましたが,女子の先頭がどこなのかもはっきりつかめません。前半はちょっと呼吸も苦しくけっこうペース速いのかなと思って通過した5kmが17分3秒とたいして速くはない割りに,呼吸も苦しく,脚の動き,特に右膝の疲労感がやたら重く感じました。この2,3日はこの大会に備えて軽いジョギングだけだったのですが,4日前に10km+5kmをレースペースよりやや遅いペースでいった疲れが残っていたのかな?今年は2〜3年前に通用した調整日程でも疲れが抜けきれないというレースが多いような気がします。ま,せっかく有休を貰って,はるばる関東にまで来たのですから,レースは投げる訳にはいきません。
 5kmを過ぎると熊谷市街に入ります。授業の一環なのか沿道には小学生の団体の応援を受けます。元気な声は嬉しいのですが,その元気をうまく自分の元気に変換することができず,やや失速状態。10kmは34分57秒とこの5kmは17分54秒とさきほどの5kmから1分近い遅れになっています。どおりで失速感を感じる訳です。折り返しまでの間に一時は並走となった女子選手から離され,さらに後続選手に1,2人と抜かれてしまいました。トップの選手がすごいスピードで折り返していきます。当然ですがその集団は都道府県代表の選手です。しばらくして白Tシャツのオープン選手も相次いですれ違います。最初は疲れながらも自分がオープンで何番か数えようかなと思いましたが,すぐイヤになってやめました。数えるにはあまりに人が多すぎて。
 折り返しは市内の中心部(らしい)です。沿道では都市型マラソンらしく応援の人が出ており,気分は盛り上がるものの脚のほうはその声援を元気に変えることはできません。折り返しに向かう友人とも合図をしあい,ソンス妻もなんとか女子の中位くらいで粘っている様子でした。15kmは52分58秒と18分1秒かかりました。時計のラップを見てガーンとショック。これじゃマラソンのペースだよと思いつつ。
でもこれで吹っ切れてペースが上がったのか,前のペースが落ちていたのか,前を走る2〜3名の集団が大きく見えるようになりました。
疲労はあるもののピッチを上げて,17kmくらいで追いつくことができました。追いついてからちょっと集団の後ろについて一休み。でもこのまま集団で行くとラスト勝負で真っ先に自分が脱落した旭川マラソンの二の舞になりそうなので,残り3km手前でぐっと前に出ました。
 競技場はすぐ近くに見ますが,まだ3kmあるということは周辺を周回するようです。沿道では各都道府県の声援がひときわ賑やかでした。引き離したかなと思ったら女子選手が1人ついてきます。「○○先生ガンバです」 沿道から声がかかってます。どうやらその女子選手は現役の学校の先生のようです。心の中では「実業団選手ならまだしも,学校の先生に負けるのは,ちょっと」と心の中で闘争心が燃えてきます(とはいっても女子大生2人に負けていた(涙))。競技場に入るまでも小刻みなカーブが続きます。すこしづつ近づくゴールを励みになんとか先生の追撃をかわしゴール。1時間14分34秒でオープンの部41位でした。目標タイムには遠く及ばず,何のためにここまで来たのかと悔いの残るレースとなりました。最初の5kmでの脚の疲労感が全てだった気がします。2〜3年前ならうまくいっていた調整も今同じことをやっても疲労が残ってしまったのか,イメージは昔のままだけど,体力がついていかない感じでした。
 ソンス妻は1時間17分32秒の23位。チームの練習を離れて2ヶ月弱ですが,空いた時間にすこしづつ練習した割には,まあ及第点といったところでしょうか。

 レース後は地元の変衆長さん,はやと丸さん,私,妻と4人でタクシーに乗り,隣の行田市へ。予めお二人がアレンジしてくれたアフターで温泉入浴&ゼリーフライオフ。温泉はやや温めでしたが,その分長く浸かることができるので,疲労も汗と一緒に抜けてしまう感じです。上がったあとに地ビールを飲んでほろ酔いのいい気分です。温泉を出てからは,はやと丸さんの持参したその名も「フライマップ」で近所にあるゼリーフライの名店に重い荷物を持って歩くこと10分弱にある肉屋さんに到着。てっきり食堂みたいなところかと思ったら,何の変哲もない肉屋さんでした。ゼリーフライ,形はコロッケに似ていますが,じゃがいも,にんじん,おからを衣をつけずに揚げたもので,行田近辺にしかないローカルフードらしいです。店のおばちゃんと北海道の話をしながら待つこと5分。ソースがけっこう濃い目で,1個60円(だったと思う)はおやつにはいいかな?走る前に食べるともたれそうだけど。

競技場 温泉 ゼリーフライ
国体メイン会場 行田市内の温泉「古代蓮温泉」 行田名物「ゼリーフライ」

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