2005年8月12日(金) |
眼科へ・・・緑内障生活の始まり。 |
11月に挙式を控え、7月に入籍を済ませた楽しい夏休み。
旅行をしている最中に目が赤くなっていたので、
帰国後、気軽な気持ちで近くのM総合病院へ行ってみた。
コンタクトレンズをしている為、以前から外す時にちょっと痛かったりした事もあり、念のため。
眼圧の検査と視力測定をして、先生の診察を受けたところ「結膜炎ですね。」と言われた。
「やっぱりそうか」と思いながら、帰りがけに、世間話的に「私の両親は緑内障なのですが、いくつになったら私も気をつけたほうがいいですか?」と聞いてみた。本当、あんまり深い事を考えずに・・・。
先生が「念のために視野の検査をして見ます?」と言うので気軽に受けたところ
「立派な緑内障です。眼圧は13なので低眼圧緑内障と思われます。」と言う答えが返ってきた。
うちの父は「原発開放隅角緑内障」。
母は「原発閉塞隅角緑内障」
そして祖父は緑内障で失明しているので、私は緑内障に関しては年の割には知識はあるほうだった。
両親とも元気だけれど、私が2ヶ月に1回、車で眼科に連れて行っていた。
「でも、まだ33歳だし初期ですよね?」と聞いたら思いもよらず「視野も少しかけているし中期です。」と言う答えが返ってきた。
「でも今なら治るでしょ?」と当然の気持ちで聞いてみたら、先生は「難しいでしょうね。」とおっしゃった。
車に戻って夫と両親に泣きながら電話をした。
「キサラタン」という目薬を処方されたので処方箋薬局に行ったところ、住所や体調などを書くデータの用紙を渡された。
「お酒は飲みますか?」「アレルギーはありますか?」と言う項目に丸をつけたりする用紙だけれど、当てはまる病歴に
「心臓病・糖尿病・緑内障」と言う項目があった。
今日からはこれにも丸をするらしい。
薬剤師に「緑内障と言うことで、飲んではいけない薬がありますので、これからは気をつけてください。」と言われた。
そう言えば鼻炎薬とかの「次の人は服用しないこと」の項目に並べられている。
家に帰ると夫が心配そうに玄関まで出てきてくれた。私が帰るまでの間パソコンで緑内障のことを調べていたみたいだった。
夜になって、なんだか分からないけれど、ますます不安になった。夫が「俺がいるから大丈夫だよ。」と言ってくれた。
「結婚していてよかった。」と心から思った。夜中に何度も目が覚めたけれど、その度に夫が「大丈夫だから。」と言ってくれた。
新婚1カ月、なんで今なんだろう。 |
|
|
|
2005年8月15日(月) |
海外事情 |
インターネットのサイトを見ていると、緑内障に対して悲観的にならざるを得ない情報が多い。どのサイトを見ても「完治しない」と書いてある。もしかしたらいるのかもしれないが、今のところ「完治した」と言う情報がない。海外ではどうなんだろうと調べてみると、アメリカではすでに「マウスの視神経の再生の成功」がされているという記事を見つけた。
40年前から点眼薬による治療が主流でまだまだ分かっていない事の多い緑内障と思っていたけれど、将来的には「完治できる」病気になるかもしれない。
2年前にうちの父が胃がんをした。「逸見正孝さん」と同じガンであったけれど、手術し今では元気に働いているし、毎月のように旅行に行き、毎日大量にお酒を飲んでいる。
10年前の不治の病も、現在の医学では治る病気である。父は楽天家で40代から緑内障だし、ガンもやったのに「横綱相撲」である。
なーんにも心配していないようだ。もちろん病気を軽く見てはいけないが、失明を心配して悲観にくれるより、将来の完治を信じて元気に暮らしたほうがいいようだ。 |
|
|
2005年8月16日(火) |
健康 |
母も緑内障だが毎日を楽しんでいるようで、さほど心配をしていないようだ。「かえって緑内障のおかげで体を気をつけて無理をしないから、いいこともあるんだよ。」と言う。私の今までの生活は「夜の10時過ぎまで働いて、それから次の日の仕事の準備をしたりして寝るのが2時過ぎ。」「食事は忙しいと食べない。」と言う毎日だった。考えれば、目に悪いことばかりしていたと思う。今は疲れると目をつぶって少し横になるし、早く寝るようにしている。食事もちゃんと食べるし、ストレッチをしたり体を動かしている。まだまだ「緑内障のおかげ」とは思えないけれど体を大事にしたいと思う。 |
|
|
2005年8月17日(水) |
アラーム |
夫が「目薬を忘れないように、携帯のアラームをセットしたら?」と言った。病院の先生に「いつ目薬をつければいいですか?」と聞いたら「目の周りが黒くなる目薬だから、夜、お風呂に入る前がいいのでは?」と言うことだったので、23時にアラームを設定した。
最初バラードの曲をアラーム音にしていたが、なーんか悲しくなってしまうので、ダウンロードしてSMAPの曲にした。毎日緑内障の事を考えない日はないのだから忘れることはないとは思うけれど慣れというのもあると思うので、いい案だと思った。 |
|
|
2005年8月18日(木) |
メガネとコンタクト |
私は近視で0.1が見えるか見えないかぐらいだったので、毎日カラーコンタクトをしていた。ワンデーアキュビューを使うこともあるけれどコンタクトの装用時間は8時間までと言うのに、毎日終日つかっていた。目にはかわいそうなことをしてきたと思う。ケアもいい加減だった。先日の病院では「コンタクトは緑内障とは関係ない。」との事だったけれど、なるべく目を大事にしたいと思ってめがねを2つ購入した
目の為に、目の運動をはじめる事にした。 |
|
|
2005年8月23日(火) |
Y病院へ行く |
県内では有名な「Y病院」に行ってみることにした。
話には聞いていたけれど、やはりものすごく混んでいた。毎日夜中の12時まで残業している忙しい夫が、無理をして一緒に来てくれた。
病院に来ることはものすごくストレスで、不安なので、夫が来てくれて本当にうれしかった。
眼圧の検査では「13」視力の検査では0.2だった。前は0.1あるかないかだったので、目の体操や最近飲んでいるブルーベリーが効いているのかもしれない。ここでも視野の検査をした。この検査はものすごく疲れるけれど、今回は看護婦さんがずっといてくれたので心強かった。
4時間ほど待って先生の診察を受けた。「低眼圧緑内障とは思われるが、脳のほうから来ていることもあるかもしれないので今回は思い切って目薬はやめて、次回違う視野の検査を受けましょう。」と言われた。
「緑内障だった場合は初期ですか?」と聞いたら、やはり「初期と言うわけにはいかないねぇ。」と言う答えだった。
その夜、夫が目にいいと言うことで「うなぎ」を食べに連れて行ってくれた。
ものすごくおいしかったし、本当に優しい夫とめぐり合えて私は幸せだなぁとしみじみと思った。目が見えるうちは、この人の為にいい奥さんでいたいし、できる事は何でもしてあげたい。 |
|
2005年8月24日(水) |
Oクリニック |
母の知人でやはり緑内障のYさんが15年通っているOクリニックの情報をくれた。Yさんは視野が15年前の時点でだいぶ欠けていたけれど、ここの病院に変えてから視野狭窄が進んでいないそうだ。それどころか、近視まで治ってしまったそうである。早速電話で予約を入れたところ来週の水曜日に予約がとれた。Yさんによると、普通は1ヶ月以上待ちと言うことで私は運がいいそうでだ。
運が向いてきたかもしれない。いいドクターとめぐり合えれば半分は治ったような気がする。
今月だけで病院3件目。気が重いけどしょうがない。 |
|
2005年8月31日(水) |
Oクリニックへ |
先日予約したOクリニックに行った。いろんな検査をすることを想定して、すっぴんにメガネで行ったけれど、ファッショナブルな若者が集まる町にこの格好で歩くのはとても惨めな気分になった。
検査の前にこの病院を紹介してくれたYさんおすすめの中華レストランでランチをとった。さすがに有名店。4組待ちでやっと席に着いたけれど、1人で来ている人はさすがにいず、ほとんどはマダムたちのランチタイムである。
これからの検査のことを考えると、憂鬱になるし、おいしいものでも食べて元気になろうと思ったけれど、一人で食べるランチはどんなごちそうでもおいしくない。3時半の予約だったが、3時に受付に入った。
まず、視力検査と視野の検査を行った。視野の検査は、今回もランダムに表示される光が見えたらボタンを押すものだったけれど、何回やってもドキドキする。
その後、眼圧の検査を行った。しばらくして先生の診察に呼ばれ、中にはいると予約したはずの先生ではなく、他の若い先生がいらっしゃった。思わずびっくりして、だまって受付まで戻ってしまった。ここの病院では、まず、1人目の先生に診ていただいて、その後副院長先生の診察になるそうだ。2人の先生に診ていただくことで正確に診察されると言う説明だった。とても失礼なことをしたのに、若い先生は親切に診察してくれた。その後副院長先生の診察を受けた。先生はとても穏やかで優しい方だった。今度は目におもりを4分間のせて計る眼圧と房水の流れを見る検査を行った後、もう一度先生の診察があった。私の質問に優しく答えてくれた。眼圧と房水の流れは悪くないが視野が欠けているので検査入院することになった。検査入院すれば、一番早く、病状と治療方法がわかるそうだ。帰りの電車の中で、検査入院のことが重くのしかかった。手術とかで入院する訳ではないが、やっぱり不安である。 |
|