今日のアメリカがそうであるように、日本における最大の造形イベント、ワンダーフェスティバルもまた、様々な問題を抱えている。もちろん、会場内で銃が乱射されたり、ドラッグの闇取引が行われているわけではない。成熟した大人なら必ずもち合わせているといっていい、秩序が失われているのだ──海洋堂の宮脇専務が模型誌『モデルグラフィックス』に寄せた原稿を要約するとそうなる。その指摘は、アメリカ社会に対してもそのまま当てはまる。
何より礼節を重んじ、「和」を尊ぶ日本へ行くことを──たとえ取材とはいえ──心から楽しみにしていたのだが、件の記事を目にし、ぼくは、憂鬱な気持ちにならざるを得なかった。新橋駅でゆりかもめに乗車し、若者たちと、もはや若者とは呼べなくなった人たちと同じ目的地へ向かい始めても、ぼくの心は晴れなかった。
ゆりかもめが目的の駅に近づく頃、にわかに車内がざわついた。
「あれ、何の行列だろう」
「まさか、ワンフェスの行列じゃないよな」
そのまさかだった。開場前の行列は、冬に同じイベントが開催された時よりもはるかに長く、それは動いてはいないが、強固な意志をもった蛇のように感じられた。蛇は、容赦なく照りつける夏の日射しと戦っていた。
ふいに、ぼくの頭の中に一つの考えが浮かんだ。ぼくたちが探し求めている答えは、実は身近なところにあるのではないかと。何の悩みもなくシボレーを乗り回した夏の日や、デイリー・クィーンでアイスクリームを食べた夜。なけないの小遣いをはたいて模型を購入し、寝る間を惜しんで作った遠い昔に。
少なくともぼくが思い出す限り、アメリカが正義であり、他に類を見ない素晴らしい国と思えた良き時代があった。模型づくりが魅力的であり、他に類を見ない素晴らしい趣味と思えた良き時代があった。それはノスタルジアでも、失われた時代に対する憧憬でもない。ナチュラルに、自分が望んでいるものを手にしていたのではないか、という思いがあるのだ。
ぼくたちが探している答えは、目の前にある。探し続ければ、いつかそれを見つけることができる。シボレーを乗り回し、デイリー・クィーンでアイスクリームを食べた時代、必死の思いで模型を買い、一生懸命それを組み立てた時代は、決して失われてはいない。
その答えを、ぼくはこのワンダーフェスティバルで、見つけることはできるだろうか。そしてあなたは、答えを見つけることができただろうか。