中学校の時の世界史の教師が、やや軍事マニアが入っていて、特に第二次世界大戦頃の教育には熱心だった。電撃戦について、下手な図解入りで解説してくれた。曰く、「電撃戦はドイツが発明した新戦術。航空機、戦車など新兵器をうまく連携させる攻撃戦術で、第一次世界大戦型の戦いを予想していた連合軍は意表を突かれ、瓦解した」
教師の説明が、間違ってはいないが、論点がずれていることに気づいたのは最近のこと。最初に電撃戦のコンセプトを築いたのはイギリスのJ・C・フラーで、彼が提唱した「1919年計画」では……などと続けてもいいが、どうも「別館」ネタだし、上っ面の知識しかないので突っ込まれると困るし、第一、同居人の守備範囲なのでやめておこう。だから大雑把に。
電撃戦とは、資源に乏しいドイツにとり得た唯一の選択肢であり、戦場に恐怖という「幻想」をつくり出す戦い方である。その手段(=浸透戦術)は、既に第一次世界大戦の時に確立されていたが、戦車というスピードをもった新兵器が登場したことによって、敵により強烈な恐怖を与える幻想をつくり出すことが可能になった。恐怖はやがて恐慌へと変わり、組織を崩壊へと導く。ポーランドで、そしてフランスで、ドイツ軍はそれをなしたのである。
開場30分たたずして、主力商品たる「HMX-12マルチ」及び「ヴァッシュ」を完売したF-FACEの浅井真紀氏は、まさにその電撃戦を展開した。開場前に既に長蛇の列を築いていたのだから、グデリアンもかくや、という鮮やかさである。
では、いかにして「恐怖の幻想」はつくり出されたのか? 私自身も購入した「マルチ」を例にとって考えたい。
『モデルグラフィックス』誌に、事前情報として「マルチ」の写真が大きく掲載されたこと。これが影響しているのはいうまでもない。そしてホームページでの告知。これも大きな影響を与えた。前者が、消費者の物欲に訴えかける「浸透戦術」であれば、掲示板システムなどに代表されるように、レスポンス・スピードの早いホームページは「戦車」に例えられるだろう。
だが、それだけでは浅井氏が電撃戦を行い得た理由の説明にはならない。なぜなら、「浸透戦術」も「戦車」もドイツの専売特許ではなかったように、浅井氏だけのものではなかったからだ。イギリスやフランスにもあった。
何が違ったのか? 着想ではないだろうか。ドイツがフランスを破った時、誰もが「戦車の通行は不可能」と思ったアルデンヌ森林を突破したように、浅井氏は、独自の着眼点で戦いに臨んだ(と推測する)。それは、価格設定に関する価値観だ。
原料費や抜き代、版権料、諸経費などから原価は割り出され、それに幾ばくかの利益を乗せれば商品の価格は決まる。また、他ディーラーが出品する同アイテムの価格や市場動向も考慮に入れることだろう。恐らく、普通のディーラーはそのようにして価格を決める筈だ。だが浅井氏は、(断片的な情報をつなぎ合わせた推測だが)「これだけの値段をつけるなら、これくらいはしなくてはならない」と考え、値段以上のヴァリューを詰め込んだ。実物をご覧になった方はご存じのことと思うが、それがペーパークラフトであり、金属パーツのついたモップであるのだ。こうした取り組みに関する情報はインターネットを介して消費者に広く浸透し、「買わなければならない」という幻想を抱かせることに成功した。
無論、それは幻想などではなく、現実である。「マルチ」には、誰しもが値段以上のヴァリューを感じた。本当に、「買わなければならない」ものだったのだ。浅井氏の勝利であった。
だが、浅井氏の勝利を「電撃戦」と例えるのは、二重の意味で皮肉である。
ドイツは、電撃戦という戦術的勝利をフランス崩壊という作戦レベルでの勝利に高めることができたが、それを戦略的勝利へと発展させることはできなかった。イギリス軍をダンケルクから逃してしまったのである。浅井氏は、東京ビッグサイトという戦場で、文句なしに作戦レベルでの勝利を収めた。だが、ご本人から聞いた話によると、ペーパークラフトを添付することによって生じた経費が莫大なものだったそうで、フランスのドイツ軍と同じように利益(=イギリス軍)を逃したともいえる。
ドイツはその後、東へ向かい、ソ連に攻め込んだ。電撃戦をもって。今度の敵はフランスとは比べものにならないほど強大であり、電撃戦でうち勝つためには、これまで以上に大きな「幻想」を敵に抱かせる必要があった。消費者は、「マルチ」を知ってしまった。当然、浅井氏にはそれ以上に大きな期待が寄せられることになる。同じ戦い方で勝利し続けるためには、さらに大きな幻想を見せ続けなければならない。
この春、浅井氏は上京するという。「東部戦線」でどのような戦い方を見せてくれるのか、注目したいところだ。