旅の写真集(詳細版7日目その2)

1.  2.  3.

1. ナイル川に浮かぶ小島がたくさんあって目的地のフィラエ島が見当たらない。

2. ん?、、、あれは、、、? 前方に唯一緑が見える島がある。

3. ズームアップすると「おーーーっ、独特の塔門。あれがイシス神殿だ。」

4.  5.  6.

4. も少し近くによって、拡大。この辺りにくるとはっきり神殿の形が見えてくる。

5. 船は島を大きく右に回り、島の船着場を目指しているようだ。

6. カモメ?さんかな?。あちこちに鳥がたくさんいる。

7.  8.  9.

7. 船着場にとうちゃーーーく。

8. どこから現れたのか数人のエジプトおじちゃんが船を固定する。

9. 「降りていいよー。」って、、、?、、、、おいおいっ。船と桟橋の間が、こんなに離れているっしょーーーっ。
   「滑ったら落ちるって、落ちるってー。」

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10 島に上陸?してすぐに看板がある。ここフィラエ島イシス神殿の解説。
   しかし実際にはここは”アギルキア島”という島。イシス神殿はユネスコの移築工事でこの場所に移り水没から免れた。
   だから実際のフィラエ島はもう少し上流にあるが今は水没して存在しない。

11 ちょっと拡大すると、手書きの文字や手書きの島の案内図がなんとも情緒があってGOOD!
   はんにゃぁ、エジプトらしいにゃぁ〜。

12 まず、ボート置き場から目の前に見える列柱を撮影。比較的小さい神殿だと聞いていたが、見所はいっぱいあるようだ。

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13 少し離れて、ちょと上から神殿を撮影。上の12の映像は船着場に着いて階段を登って左手に見える列柱を撮影。

14 そこから奥に入り第一塔門の手前で撮影。通常エジプトの神殿の柱は”パピルス”か”ロータス(はす)”だが、
   この神殿で初めて”やし”の木がモチーフになったそうだ。画面の奥から3番目が”やし”の木らしい。

15 第一塔門の左側のレリーフ上部。ちょっと見にくいか?
   一番左に建設当時の王プトレマイオスが右を向いている。右に2人いるが左がオシリス神、右に奥さんのイシス神。
   王(ファラオ)は神に供え物を捧げるレリーフとなっている。レリーフの意味はどの神殿でも基本的には同じ。

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16 イシス神の息子のホルス神(はやぶさの顔。エジプト航空のマークにもなっている)。
   上エジプトと下エジプトの両方の王冠をかぶっている

17 右からイシス神。中央に息子のホルス神。左にそのホルス神の奥さんのハトホル神がいる。
   この神殿はレリーフを見ているだけでも全然飽きない、、、。いやぁすばらしい。

18 ん?第一塔門の前にあるこの”コマ犬”みたいのはなんだ?コマ犬の左の巨大な岩も意味不明。

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19 エジプトのキリスト教であるコプト教の十字架マーク。コプト十字と呼ばれるこのマークは今後あちこちで
   お目にかかる。
   エジプトは今でこそイスラム教のイメージがあるが、昔は強力なキリスト教国。キリスト教に関連した建物や
   教会が非常に多い。もっともエジプトではキリスト教と言わずにもっぱらコプト教と呼んでいる。

20 第一塔門左の下部。
   エジプト末期王朝からローマ支配時代に作られた神殿の多くは、レリーフが破壊されているものが多い。
   キイスト教徒が弾圧を受けた反動でコプト教による破壊活動によるもの。貴重な文化遺産もかなり傷ついて
   いるが、長い歴史の中で必然的に生じたものも多くある程度は諦めなければいけない。

21 第一塔門左の上部。上の21の上部にあたる。

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22  さらに上の21の上部。今では顔も判別できない。

23 第一塔門から中に入って第一ホール。第一塔門と非常に似ているが見えているのは第二塔門。

24 第二塔門の右側。

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25 ハトホル神の列柱。

26 ここもかなり破壊だれている。

27 上の26の上部。これもかなりやられている。
   壊したの例によってコプト教徒。

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28 さらに中に入って第二ホール。

29 第二ホールの壁

30 同じく第二ホールの壁。
   アブシンベルの移築と違い、かなり多く細かく分解して運ばれたのかな?
   細切れのような復原状態でレリーフも痛々しい。実際移築途中でかなり破損したらしく、列柱などは現代風に
   復原されているが、その復原された出来具合が妙に不自然。古代の彫刻には全然負けているいる印象がある。

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31 光が多く入って大変明るい。天井には網戸(ネット)は張ってある。
   以前は吹き抜け状態だったようだが、鳥が多く進入し保存上問題が
   あったため大きな網を張っている。

32 上の31の中心に写っている柱を拡大すると、例に寄っていたずら書きがある。
   1841年に誰かここにきて記念に掘ったんだねぇ。

33 第二ホールから今入ってきた第二塔門入り口を見る。

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34 コプト教徒によって、かなり後に作られた礼拝堂。エジプトの遺跡は複数の年代に渡って作られているため
   ある程度の予備知識を持って見ないとレリーフや神殿の意味を理解するのは難しい。

35 上の34上部を拡大するとコプト十字が鮮明に見える。

36 下の四角い石段にもコプト十字が見える。

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37 何層にも渡って仕切られた奥に重要そうな部屋がある。なんの部屋だろう?

38 さらに少し入ると、いっぱい人がいる。何を見ているのだろう???

39 至聖所に入る入り口の上部。かつてここには扉があったそうだ。右のドアが入っていた穴が見える。
   ここでは見えないが左にもくぼんだ穴がある。ドアの鍵は王と神官だけが持っていたらしい。

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40 至聖所の中。神聖な祭殿の真ん中にあるテーブル。

41 至聖所のまわりにはびっしりレリーフがある。下から照らしている照明は白色蛍光灯なのだが
   部屋の中は薄緑色に見える。石の種類が違うのだろうか?

42 至聖所内部の一部分を拡大。

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