ビデオキャプチャー その3
→ 突然ですが、エアバスA340型機(新千歳空港で)
→ その胴体部分
→ その機体後部
→ 垂直尾翼のホルスのマーク。角度が浅くて見えにくいね。
→ 国際線2番搭乗口。ようやく搭乗開始。(新千歳空港)
↑電光掲示には「MS3865便・ルクソール行き・14:30出発・チャーター便」と書いてあるが、この後
燃料補給と機内整備で、結局離陸は16:00。さすがエジプト航空、最初から遅れるもんなあ。
→ 金属探知機で引っかかった”アーミーナイフ”(下)
↑警戒厳重なルクソール空港で2回目の探知で御用。機内持ち込み禁止は知っていたが、
うっかり。それで”機長預かり物”扱いという面倒な手続きになって、、、恥ずかしい、、、
、、、でも、機内食で使用する金属ナイフとフォークも充分危ないと思うけどなあ〜。
→ いきなり帰国映像(笑)。新千歳空港に着陸体制に入る。
↑ 苫小牧市上空あたりか。下界は一面の雪景色。つい12時間前まで砂漠の国に
いたとは思えないこの浦島状態。夢のようだった旅も、もう終わりに。悲しいな、、、
カイロ出る時27℃だったんだけど、千歳はマイナス12℃らしい。降りる前から寒い。
→ 時差ぼけで運転が怪しいため路肩で休んでいる。(笑)
空港から南に向かう裏道。
まだ5分ほどしか走っていないのに、強烈な時差ぼけをはっきり自覚し、路肩に車を止めて休んでいる。
自分の運転に危険を感じている。「自宅まで帰れるかなぁ。ファー眠い。」
→ 旅の余韻を残し自宅に帰る途中。
↑ カイロ市内と違って車は少ないし、みんな交通法規を守って運転してる(笑)。
眠くて眠くてまっすぐ走れないから他の車と距離を取って慎重に進む。
4車線あるのに、どうも感覚が変だなあ。
→ 広い交差点で信号待ち。止まると一層眠気も増す。
なにせ自衛隊が近いから、有事の際には戦車も走るし飛行機の滑走路にもなるくらい広い。
→ ホー○ックに直行。ありゃりゃ名前映っちゃってるし。
強烈な時差ぼけにも負けず、ダビングするためのVHSテープを買いに行く。
除雪し残した残雪があちこち残っているため、注意して進まないと車がジャンプする。
でも良く考えると、こんなとこまでビデオ写してる私はおかしんじゃないだろうか?
エジプトで1日中撮影するクセがついてしまっている。
→ ピラミッドのクリスタル。毎日眺めてニコニコ。
↑ ラムセス・ヒルトンで買った”TUT ANKH”のクリスタル。真正ピラミッドの形。
光が少しでも当たると乱反射してとてもきれい、、、下から光が当たるとマスクと文字が浮き上がる
中の模様はいったいどのように作ったんだろう??
ただし類似品に注意。ガラスより重く硬いからガラスにキズをつけられる。でもお店屋さんの目の前
でそれはできない。触るとガラスよりかなり冷たい。
アスワン(左)とギザ(右)の砂。
↑ う〜ん、、、写真だと本当の美しさが表現できないなあ〜。アスワンの砂は非常にキラキラして
サラサラのオレンジ色がかった神秘的な輝き。
ホテルの灰皿の中身はなんとこの”砂”、余るほどあるからタバコ数本で捨てる。
ギザの砂も決して引けを取らない砂漠のサラサラした美しい砂。
比較にライター置いても、全然意味ないですね、、、
→ 旅行中を記録したマスターテープ。
↑ グッチャグチャで申し訳ない。
テープ1本LPモードで約90分収録できる。毎日テープ5本とバッテリ4個をポーチに入れて、
ビデオは片手で撮りっぱなし。(最近のビデオは軽くて性能良くていいわあ。)
ポーチには他にカメラ2台とフィルム数本、パスポート、バクシーシ用のボールペン、のど飴。
(コーヒー飴は子供達に大ウケ)等を入れている。それでも軽いので観光に支障はない。
→ ここから下の8枚はキャプチャ画像ではありません。
↑アブシンベルでもらった写真。大神殿(左)と小神殿(右)。
この写真は移築直後の空撮映像で、ナセル湖は、まだ貯水が完了していない。
飛行機の左の窓側席から着陸寸前に見える景色だが、完全に着陸体制に入っているのでデジカメやビデオカメラは撮影許可されていないのかも知れません。でも旧式のカメラだと撮影OKなのかな?ちょっとわからない。
→ これもエジプトでもらった白黒写真。
↑アブシンベル神殿の移築工事風景。1422個(だったかな?)にバラしている途中らしい。
→ これも移築工事の白黒写真
↑ 冠の一部がクレーンで持ち上げられ、ラムセスの顔部分はまだ右下に残されてる。
ラムセスの頭に乗ってる人ちっちゃ〜い。ん?手前のガラベーヤのおじちゃんは大きい。
切断部分は白くコーティングして堅固に保護してから切断。(なるほど〜)
接着技術は日本の技術というから、なんかうれしいですね。
→ これだけでなんと21トンらしい。す、すごい。
バラバラに分解した神殿の一時的な貯蔵場所だという解説がついている。
ちなみにユネスコの遺跡救済キャンペーンに対して、当時まだ外貨がすくなかった日本政府は3年間で
3万ドルしか協力できなかったが、なんと朝日新聞社はツタンカーメン展を開いて、その収益から100万
ドル寄付している。日本の民間外交恐るべし・・・
アスワン・ハイ・ダムより南の350キロに及ぶ遺跡の救済活動の中心はアメリカ・フランス・ドイツ・イギリス
・イタリア。1960年代の日本では、まだ大きな協力ができる国力はなかったか・・・
これは?どこの部分だ?ああ、たぶん神殿内部にある8体の直立ラムセス像の1体だ。
移築前か移築後かちょっとわからない。
あぁ、でも、後ろが空洞だから移築後か、、、。手前に落ちた冠の一部が見えている。ここに忠実に再現しようとしているんだね。
これは移築後だろうか?後ろの岩山の造りが人工的だ。
ん?神殿正面にみんな集まっているから、移築完成の祝賀会かな??
たぶん、まだ顔部分が固定される前のラムセスの巨像4体のうちのどれか。
胸の発達具合はりっぱねぇ。