旅行する時に、できれば知っていた方が良い(観光が楽しい&ガイドさんの説明がわかる)と思われる語句とファラオ(王)は黄色にしてます。(さらに若干のコメントを記入してあります。)
時代区分の大もとになっているのは、マネトーの「エジプト史」(マネトーは紀元前3世紀頃のプトレマイオス朝時代の神官)。現在ではその原本が残っていないために正確な情報はわからない。わずかに後世の学者が「エジプト史」から部分抜粋した内容を知るだけ。
さらに、古代エジプト人が書き残した王名表の存在があるから話は複雑になる。まず、第1王朝から第19王朝まで記述されている「アビュドスの王名表」。なんと王名表にはアクエンアテン、ツタンカーメンなどの5名のファラオの名が記述されていない。(意図的に削除したらしい。)その他にもエジプト考古学博物館内にもある「サッカラ王名表」(館内9号通路に展示)や「カルナック王名表」などあるらしいが。
で、問題は、これらの記録が、お互いに一致していないから”おいおいっ”状態。
さらに”王朝”と言っても、当時のエジプト国内のごく一部しか統治していない時期があったり、複数の王朝があちこちに同時にあった時期もあるから、もうなんだかよくわからない状態。一番信頼できそうなマネトーの時代区分も、同じ血筋の家系で構築したように見えるものの血のつながった父子でも別の王朝に分けたりして、区分意図がよく見えない。
それで、ここではエジプト考古学博物館で購入したガイドブックに紹介してある系譜をそのまま書きますね。現在では主流となっている古代エジプト王朝の31王朝とマケドニア、プトレマイオス朝を経てローマ時代までのファラオ(王)をズラーッと書き並べます。
(ちなみにマネトーは古代エジプト王朝を30王朝に分けている。)
※なお、古代エジプトの王(ファラオ)は5種類の名前を持っており(ホルス名、ネプティ名、上下エジプト名、黄金のホルス名、サア・ラー名)、さらにそれぞれの名が複数あることも多い。(ラムセス2世はサア・ラー名だけでも20も確認されている。)ため一般的な名称で記入。さらにその一般的な名称もヒエログリフの性質上、母音を判定するのが難しいため、どう読んでも正しい(らしい)ということで適当です。例えば資料によってはラムセスがラメセスだったり、イムホテプがイムヘテプだったり。トトメスはトトモスだったり。ちなみにTRではトトモーゼ、、、ありゃぁ。通常トゥト・アンク・アメンは日本ではツタンカーメンの方が良く知られているのでそちらを使っています。
ま、ヒエログリフ自体が”ひらがな”や”漢字”が混ざった日本語の表記に似てる(らしい)ので、間違ってなければ何でもいいんでしょう。例えば”日本人”は”ニホンジン”でも”ニッポンジン”でもどちらでも読んでもOKみたいに、、、。
でも、この複雑さが、単一文字(アルファベット)しか持たないヨーロッパ圏のトーマス・ヤングやシャンポリオンがヒエログリフ解読に苦労した要因らしい。
さてエジプト国内の観光は、絶対と言っていいほど年代順には(歴史の古い順番に)観光しません。現地ガイドさんは細かく案内(ガイド)してくれますが、あちこち観光しているうちに、個々の遺跡に感動しても、その時代背景がわからなくなるのは非常にもったいないので、非常におおざっぱですが、超簡単な下の王朝別早見表を参照して下さい。実際、現地ガイドさんも「ここは、イスラム時代のムハマド、、、、」とか「この時代はプトレマイオス朝時代で、、、、」とかガイドしますが、意味がわからないと面白くないですよね。
(ちなみにアムルさんはプトレマイオスをプトレミーオスと言ってた。アレキサンドリアは訛りの強いガイドさんだとイスカンダルになっちゃうから、ちょっと予習して行った方がいいかもしれない。イスカンダルと言っても宇宙戦艦ヤマ○ではない。)
時代区分 | 古代王朝 | おおざっぱな特徴 |
先王朝時代 | 〜0王朝 | 全エジプトがまだ統一されていない長い時代の後、上・下エジプトを最初に統一 したナルメル王のパレットはカイロ博物館で見学します。 |
初期王朝時代 | 第1〜2王朝 | 完全には統一され切ってないがファラオの権力も大きく、りっぱなマスタバ墳墓。 |
古王国時代 | 第3〜6王朝 | なんと言ってもピラミッド黄金時代。サッカラ・ダハシュール・メイドゥム・ギザ観光 ならこの時代を見てます。多くの有名なファラオが登場。古都はメンフィス。 |
第1中間期 | 第7〜11王朝 | 国が統治不可能の混乱期です。 |
中王国時代 | 第11〜12王朝 | 再び中央集権の権力が復活。小規模ながらピラミッド建築も再開。領土は中東 まで拡大。文学・科学が大きく発展し、エジプト人は黄金期と言っている。 |
第2中間期 | 第13〜17王朝 | 再び混乱期。 |
新王国時代 | 第18〜20王朝 | 史上最も偉大な支配者と言われるトトメス3世など有名なファラオ多数。ハトシェ プスト女王、ラムセス2世など書ききれない。ツタンカーメンもこの時代。 この時代の神殿を多数観光します。この時期のファラオの墓は王家の谷。 |
第3中間期 | 第21〜25王朝 | 再び混乱期。 |
末期王朝時代 | 第26〜31王朝 | 短期間だが復活。しかし南からヌビア、西からリビア、北からアッシリアに侵略され 古代エジプト王朝の終焉を迎える。 |
マケドニア王家 | − | アレキサンダー大王です。アレキサドリア観光の日はこの時代の話が集中。 |
プトレマイオス朝 | − | アレキサンダー亡き後長く続きます。クレパトラ7世はエジプト最後の女王。 |
ローマ時代 | − | ローマ帝国による支配下で、特筆すべきはないでしょう。 |
イスラム時代 | − | 支配者が多く変りますが、オスマン朝時代にナポレオンのエジプト遠征。その後 のムハンマド・アリ朝時代は有名。近代エジプトに動きつつあります。 |
そして現代へ | − | 1952年のエジプト革命で2300年ぶりにエジプト人による国家成立。 英雄ナセル中佐。アスワン・ハイダムなどは現代の観光。 |
で、短期間の観光で集中的に見るのは上の赤色時代だと思います。実際に観光すると物凄い量です。
ちなみに古代エジプト王朝の首都は大きく分けて3つ。一番古くはメンフィス、次がテーベ(今のルクソール)、最後にアレキサンドリア。ちなみにカイロはごく最近(イスラム時代)になってからできた新しい街で、古代エジプトにカイロの”カ”の字も出てきません。
↓ ここから一気にファラオ一覧です。上の表をもう少し詳細にします。
パダリ文化 −前4000
ナカダT期 前4000−前3500
ナカダU期 前3500−前3000 → このころまだ上・下エジプトに分かれてよくわからない時代。
第0王朝 前3000頃
ナルメル王 →上下エジプトを初めて統一した王。ナルメル王のパレットがカイロ博物館に。
(ガイドさんによっては発音がナーマー王になっちゃう。)
第1王朝 前2920−前2770
アハ(メネス?) →実は、メネスはナルメルの別名でも使用されており本人だという説もある。
ジェル
ジェト
デン →このころから、上下エジプトの称号を使用
アネジイブ
セメルケト →TRWではゲームの初期でこの墓を探索します(笑)
カア ここで邪神のセトを復活させてしまったからもう大変。ありゃ誰も知らないか?
第2王朝 前2770−前2649
ヘテプセケムウイ
ラーネブ
ニネチェル
ペルイブセン →ホルス神とセト神の争いが起きる
カーセケム
カーセケムウイ →顔が真っ二つに割れた像がカイロ博物館にある。
緑色をした美しい彫像。思ったより小さかった。
宗教的にはこの頃ホルス神とセト神が和解している。
第3王朝 前2649−前2575
サナクト(ネブカ) →ジョセル王の兄と言われている。
ジョセル(ネチェリケト) →それまでのマスタバ墳墓から突然サッカラに階段ピラミッドを建造。
セケムケト →ジョセルのすぐ南西、完成すると大きさを凌ぐ階段ピラミッド。なぜか2段目途中。
カーバ →カーバもサッカラ北方に階段ピラミッド。現在は3段目までしかないが。
フニ →屈折ピラミッド建造途中で死?スネフェルが後を引きついだので角度変更?説も。
ちなみにメイドゥムの崩れピラミッドも計画。
第4王朝 前2575−前2465
スネフェル →ダハシュールに屈折ピラミッドと赤ピラミッド、メイドゥムに崩れピラミッド、
アブ・ロアシュに1基、サイラに1基の計5基完成。
クフ →ギザ第1ピラミッド。このピラミッドの当時の古代名は「日が昇り、日が没する処」。
ジェドフラー(ジェドエフラー) →アブ・ロアシュの丘に古代名「セヘド星」ピラミッド建造。不思議な事に”星”信仰。
カフラー →ジェドフラー暗殺&建造中止してギザに第2ピラミッド建造。古代名「輝けるカフラー」
メンカウラー →ギザの第3ピラミッド。古代名は「 」。”太陽”信仰。ちなみにラーは太陽。
シェプセスカフ →財政が逼迫したのかマスタバ墳墓。
第5王朝 前2465−前2323
ウセルカフ →ピラミッドはジョセフ王の階段ピラミッドのすぐ北東にある。
サフラー →ピラミッドはアブ・シール複合体のピラミッド群にある。
ネフェルイルカラー →ピラミッドはアブシール複合体のニウセルラーの横にある。
シェプセスカラー →
ネフェルエフラー →未完のピラミッドがアブシール複合体のネフェルイルカラーの隣にある。
ニウセルラー →ピラミッドはアブシール複合体のサフラーのとなりにある。
メンカウホル →
ジェドカラー →ピラミッドはサッカラにある。
ウナス →ピラミッドはジョセル王の階段ピラミッドの南西にほとんどくっついている。
内部のピラミッドテキストは有名。
第6王朝 前2323−前2152
テティ →ピラミッドはサッカラにある。暗殺?
(ウセルカラー?) →確認されていないファラオ。伝承はあるがピラミッドは発見されていない。
ペピT世 →同じくピラミッドがサッカラにある。テティの息子。
メルエンラー →同じくピラミドがサッカラにある。
ペピ2世 →なんと94年もの長期間在位し、政治システムが腐敗し混乱期に入る。
第7王朝 ?
(なぞの多い王朝。マネトーは「70日間に70人のメンフィスの王が統治」と記述してる、、、)
第8王朝 前2152−前2135
カカラー・イビ →この王だけはサッカラにピラミッドが確認されている。
(20人ほどの短命のメンフィスの王がいたが、歴史上判明しているのはイビだけ。)
第9王朝&
第10王朝 前2135−前2040
(ヘラクレオポリスに政権が置かれた王朝。その後再びテーベ(今のルクソール)が奪還)
第11王朝前期 前2135−前2065
メンチュホテプ1世
インテフ1世
インテフ2世
インテフ3世
第11王朝後期 前2065−前1994
メンチュホテプ2世 →2bはある巨大座像がカイロ博物館に。
ネブヘペトラー
メンチュホテプ3世
メンチュホテプ4世
第12王朝 前1994−前1781
アメンエムハト1世 →この王のピラミッド外壁は古王国時代のピラミッドから石材を盗んで再利用。
センウスレト1世
アメンエムハト2世 →ピラミッドはダハシュールにある。
センウスレト2世 →ピラミッドはファイユームに。この頃には財力も技術も落ちて石は泥レンガ。
センウスレト3世 →ピラミッドはダハシュールにある。
アメンエムハト3世 →ピラミッドはダハシュールとファイユームにある。葬祭殿はラビリントス。
アメンエムハト4世
ネフェルソベク女王
第13王朝 前1781−前1650
(70人ほどの支配者が短期間統治)
第14王朝 前1710−前1650
(第13王朝と同時期、短命の支配者がいたが、数は不明。
第15王朝 前1650−前1550
(↓大ヒクソスの王たちの名は判明している。)
サリティス
シェシ
イアケベヘル
キアン
アペビ
カムディ
第16王朝 前1650−前1550
(第15王朝と同時期、小ヒクソスが統治)
第17王朝 前1650−前1550 第15・16・17王朝は時期が重なっていることに注意。
(テーベの支配者は15人いたが、有名なのは以下。)
インテフ5世
ソベクエムサフ1世
ソベクエムサフ2世
インテフ6世
インテフ7世
セケンエンラー・タア1世(セケネンラー)
セケンエンラー・タア2世(セケネンラー) →ミイラはカイロ博物館。戦闘で死亡したのか顔と頭の破損が激しい。
カモセ(カーメス) →カモセ・アハモセでヒクソスを退治。再び統一王朝へ。
第18王朝 前1550−前1291
アハモセ(イアフメス) →ここから黄金の時代へ。
アメンホテプ1世 →この頃墓と葬祭殿は完全分離。付属のピラミッドも姿消す。ミイラはカイロ博物館に。
トトメス1世 →王墓はKV38.「王家の谷」埋葬の最初のファラオ(建造は宰相イネニ)。
トトメス2世 →ミイラはカイロ博物館に。王墓はKV42。トトメス1世の側室の子。
ハトシェプスト女王 →ディール・アル・バハリの葬祭神殿は有名。KV20に王墓。トトメス1世の正室の娘。
トトメス3世 →史上最も偉大な支配者。王墓はKV34.トトメス2世の側室の子。
アメンホテプ2世 →王家の谷の初期の王墓。直線で伸びた軸が途中L字に曲がる形式。KV35.
トトメス4世 →ミイラはカイロ博物館に。王墓はKV43.スフィンクスの前足の碑文も有名。
アメンホテプ3世 →メムノンの巨像はアメンホテプ3世神殿の入り口の像。王墓は西の谷KV22.
アメンホテプ4世(アクエンアテン) →3世の息子。ご存知異端のファラオ。多神教を捨て単一神アテン神を創始。
スメンクカラー →アクエンアテンの息子。ツタンカーメンの兄。王墓はKV55。
ツタンカーメン →トゥトアンクアテンからトゥトアンクアメンへ名前変更。王墓は最終ナンバーのKV62。
アイ →トゥトアンクの宰相。トゥトアンクはこのアイが安置されるはずだった墓に。暗殺実行説?
ツタンカーメンの妻アンケセナーメンと結婚し王位へ。高齢のためわずか4年で死。
ホルエムヘブ →トゥトアンクの軍事宰相(将軍)。トゥトアンク暗殺実行者説?
王家の谷の中期の王墓。第1列柱室で軸がズレる。王墓はKV57.
※でも、最近(2005年1月のCTスキャン調査に基づく)の調査報告では、ツタンカーメン死因は足の骨折から
壊疽による死亡らしく、そうなると、今までの説はいったいなんだったの?ということにもなり、アイとかホルエム
ヘブとかの印象も変わってきて、もともとアクエンアテンから始まったアビュドスの王名表の件もあり、なにが
なんだかわからなくなる。後世の学者の難しい研究結果より事実は意外と単純なのかも、、、?
第19王朝 前1291−前1185
ラメセス1世 →ホルエムヘブの部下(軍人)。ここから黄金の第19王朝。血族で王位継承。KV.16.
セティ1世 →KV.17.ミイラはカイロ博物館ミイラ展示室に。美しさNo1の葬祭殿はアビドス。
ラメセス2世 →有名度No.1のファラオ。KV.7。王妃ネフェルタリはQV66に。治世64年間。
メルエンプタハ →王家の墓の最終型の段階。KV.8.ミイラはカイロ博物館に。
アメンメセス →KV.10.
セティ2世 →KV.15.
ジプタハ →KV.47.
タウスレト →KV
第20王朝 前1187−前1075
セトナクテ →王家の谷KV
ラメセス3世 →ここから下のラメセスはラメセス2世と血がつながっていない。王家の谷KV.11に王墓。
ラメセス4世 →王家の谷KV.2
ラメセス5世 →カイロ博物館ミイラ展示室にミイラ展示。
ラメセス6世 →トゥトアンクのお墓にかぶさっている有名なお墓。KV.9.
ラメセス7世 →王家の谷KV.1
ラメセス8世 →王家の谷KV
ラメセス9世 →ルクソール王家の谷に入り一番最初にお目にかかる墓。KV.6
ラメセス10世 →王家の谷KV
ラメセス11世 →王家の谷KV
(ラメセス12世) →王家の谷KV.4.
第21王朝 前1075−前945
スメンデス1世
ネフェルカラー
プスセンネス1世 →王墓はタニス。黄金の仮面はツタンカーメンのマスクと間違えるほど。
アメンエムオペ
大オソルコン
スィアムン
プスセンネス2世
第22王朝 前945−前718 第22王朝〜25王朝は時期が重なっていることに注意。
シェションク1世
オソルコン1世
シェソンク2世
タケトロ1世
オソルコン2世 →王墓はタニス。
タケトロ2世
シェションク3世 →王墓はタニス。
ピマイ
シェションク5世
オソルコン4世
第23王朝 前820−前718
ペドゥバスティス
シェションク4世 →第22王朝のシェションク3世或いは5世と血族か?
オソルコン3世 →これも22王朝の分派?
タケトロ3世 →これも。
ルドアメン
第24王朝 前730−前712
テフナクト
ボッコリ
第25王朝 前775−前653
アララ
カシュタ
ピアンキ
シャバコ
シャビトゥコ
タハルコ →カルナック神殿第1塔門入ってすぐにタハルコ王のキオスクがある。
タヌタマミ
第26王朝 前664−前525
プサムテク1世
ネカウ
プサムテク2世
アプリエス
アマシス
プサムテク3世
第27王朝 前525−前404
カンビュセス
ダリウス1世
クセルクセス1世
アルタクセルクセス1世
クセルクス2世
ダリウス2世
アルタクセルクセス2世
第28王朝 前404−前399
アミルタイオス
第29王朝 前399−前380
ネフェリテス1世
ハコル
第30王朝 前380−前342
ネクタネボ1世 →ルクソール神殿のスフィンクス参道を建設。この時期まだ増築してんだぁ。
テオス
ネクタネボ2世
第31王朝 前342−前332
アルタクセルクセス3世
アルセ
ダリウス3世 →もうここへんは、リビア人やヌビア人、アケメネス朝ペルシャの支配を受け
息も絶え絶え。伝統の古代エジプト王朝の終焉を迎える。
マケドニア王家 前332−前305
アレキサンダー大王
フィリッポス・アリダイオス
アレキサンダー4世 →アレキサンダー大王からすぐプトレマイオス朝に移行したんじゃないのかー
プトレマイオス王朝 前305−前30
プトレマイオス1世(ソテル) →エジプトに再び繁栄を謳歌。テンデラ・エドフなどに特筆すべき
プトレマイオス2世(フィラデルフス) 建築物、芸術、技術を開花。
プトレマイオス3世(エウエルゲテス)
プトレマイオス4世(フィロパトル)
プトレマイオス5世(エピファネス)
プトレマイオス6世(フィロメトル)
プトレマイオス7世(ネオス・フィロパトル)
プトレマイオス8世(エウエルゲテス)
プトレマイオス9世(ソテル)
プトレマイオス10世(アレクサンドロス)
プトレマイオス11世(アレクサンドロス)
プトレマイオス12世(ネオス・ディオニソス)
ベレニケ4世 →プトレマイオス時代の女王は2人だけ。その一人。
クレオパトラ7世(フィロパトル) →ご存知悲劇の女王。テンデラにハトホル神殿がある。
プトレマイオス15世(シーザリオン) →シーザー(カエサル)の子。王位を継承したが処刑される。
(エジプトはローマ帝国の属州になったため実際はローマ皇帝。同時にエジプト王も即位してファラオに
ただし、全員ではなくエジプト側にヒエログリフで残っている皇帝のみ列挙。)
オクタビアヌス・アウグストゥス →シーザリオンを処刑し、完全にローマ帝国の支配下に。
ディベリウス
カリギュラ(カリグラ) →随分昔、こんな映画があったような、、、、
クラウディウス
ネロ →暴君ネロ。ありゃりゃー。エジプトのイメージはどこに??
ガルバ
オトー
ヴエスパジアヌス
ティトゥス
ドミティアヌス
ハドリアヌス
アントニウス・ビウス
マルクス・アウレリウス
ルキウス・ヴエルス
コンモドゥス
セブティミウス・セヴェルス
カラカラ →お風呂ありましたね。
ゲタ
マクリヌス
ディドゥメニアヌス
アレクサンデレル・セヴェルス
ゴリディアヌス3世
フィリップス
デキウス
ガルス&ヴォルシアヌス
ヴァレリアヌス
ガリエヌス
マクリアヌス&クィエトゥス
アウレリアヌス
プロプス
ディオクレティアヌス →ルクソ−ル神殿をさらに増築している。この時期にまだ増築、、、
マクシミアヌス さらにアレキサンドリアにポンペイの柱も立てている。ほー。
ガレリウス
マクシミヌス・ダイア
※この後395年にローマ帝国は東西に分裂。エジプトは東ローマ帝国領支配下に。
歴史に振りまわされて可哀想。この頃の宗教はコプト教(原始キリスト教)
正統カリフ時代
↓ アムル・ブン・アル・アース(アラブ軍)が末期王朝に作られたバビロン城を陥落してエジプト征服。
バビロン城を攻め込むためにフスタート(今は廃墟)形成。イスラーム教登場。
ウマイア朝
↓ この時期の州都はミスル・アル・フスタート。
アッパース朝
↓ フスタートの北に作った街アスカルあたりが現在のオールド・カイロ地区。
トゥールーン朝 868-905
↓ アッパース朝が弱体化して、派遣されていたエジプト総督(軍人)が独立政権樹立。
イフシード朝 935-969
↓
ファティーマ朝 969-1171
↓ オールドカイロ地区の北に城塞都市。4代カリフ、ムイッズの名を取ってカーヒラ・ムイッズィー
カーヒラのイタリア語読みがカイロ。歴史上カイロの名が出てくるのはこの時期から。
アイユーブ朝 1169-1250
↓
マルムーク朝 1250-1517
↓ 1979年に世界遺産になったイスラム都市カイロ(Islamic Cairo)マルムーク朝時代の建築物は
数も多く、評価が高い。
オスマン朝 1517-1805
↓ 途中1798〜1801年にフランス(ナポレオン)が侵略・占領したがイギリス・オスマン朝連合軍
により撤退。ロゼッタストーンはこの時代に発見。で原石は大英博物館に。
ムハンマド・アリ朝 1805-1953
↓ フランス侵攻の混乱の隙をついてオスマン朝軍人ムハンマド・アリが半独立。
対外的に積極策を取り、この時代にオベリスクがコンコルド広場に行っちゃった。
そして、、、「エジプト・アラブ共和国」へ(今のエジプトの正式名称)
1952年7月23日「自由将校団」のナセル中佐がクーデター ⇒ エジプト革命!!
約2300年ぶりに”エジプト人”による国家を成立。
(その頃エジプトの事実上の権力者はイギリス)
1953年 「エジプト・アラブ共和国」成立
大統領は初代暫定大統領ムハンマド・ナギーブ大統領から
ナセル大統領(心臓発作で死去)
サダト大統領(暗殺)
モハメッド・ホスニ・ムバラク大統領と続いて現在に至る。
出展:古代文明の旅「エジプト」(日本語版)WHITE
STAR
注) 上の王朝区分は現在主流となっているマネトーの「エジプト史」や王名表からの発展ですが、ちなみに今では多くの学者間で全く見向きもされないヘロドトス(ギリシャの歴史家)やインベントリ・ステラ(目録板碑)の記述内容については、下の入り口からどうぞ。ちなみにヘロドトスはマネトーより200年くらい前の人で記述内容もかなり違います。