三、本件退職勧奨の態様と問題点
第四 退職勧奨の法的性質 一、定年制と退職勧奨 定年制は、労働者が一定の年令に達することにより、個々の労働者の意思、能力、職務内容等の個別事情にかかわらず当然に労働関係を終了きせる制度であるが、我が国において一般的に採用されている年功加俸的賃金体系によれば、労働者が高令になるにつれて労働能力が逓減するのに、貸金は逆に逓増するという結果が生じることから、人事の刷新、経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために合理的な制度として、我が国において広く定着している(最高裁判所昭和四三年一二月二五日判決、民集二二巻一三号三四号三四五九頁参照)。 しかしながら、右にいう合理性は主として使用者の側における合理性であって、労働者の労働能力、労働意思あるいはその必要性等、個別事情を斟酌しえない点において、定年年令が社会情勢に遅れるおそれがあり、定年年令と社会保障制度との隔差等種々の社会的、政治的問題を含み、賃金の逓増についても、終身雇用に基づく年功加俸的貸金体系のもとにおいては、老令者の貸金の高低のみでなく、生涯賃金の総合的検討も要するものといわなければならず、定年制の社会的妥当性については一概にこれを論ずることは困難である。 ところで、地方公務員法は、一般職に属するすべての地方公務員について、同法に定める事由がなければ、その意に反して免職することを禁じており(同法第二七条第二項)、その事由としては、分限(同第二八条)と懲戒(同第二九条)の二事由のみを定めている。従って、一般職公務員については、いわゆる定年」はなく、右事由、ことに分限事由に該当しない限り、年令のいかんにかかわらず強制的に退職させられることはない(右各規定は昭和二六年八月一三日施行され(同法附則第一項、同日から右公務員についての定年制は廃止きれるに至った。)。そこで、任命権者は、特定の職員をやめさせるためには、任意退職を求める以外に方法がなく、財政負担の軽減、人事の刷新等の必要性から各地で退職勧奨が進められ、さらに退職を慫慂するため種々の優遇措置が設けられるようになり、一定年令を超えた職員に対し退職を勧奨することが全国的に行なわれるに至っている(請求原因第二項の1の事実は当事者間に争いがない)。 このような退職勧奨は、社会保障制度や平均寿命の伸長等の社会的要因に適合した勧奨年令が設定され、しかも個々人の経済事情、労働能力、労働意思に対する十分な配慮が加えられる等柔軟な運用がなされるならば、種々の優遇措置の充実と相まって、定年制の画一的な運用による欠点を排し、その必要性を満たす有効な手段たりうるものと考えられる。 ニ、退職勧奨の法的性質 次に、退職勧奨の法的性質について検討するに、退職勧奨は、雇用関係にある者に対し、自発的な退職意思の形成を慫慂するためになす説得等の事実行為であるが(この点については当事者間に争いがない)、一面雇用契約の合意解約の申入れあるいは誘因という法律行為の性格をも併わせもつ場合もある。そして、右の単なる事実行為としての退職勧奨は何人も自由になしうる反面何らの法律効果も生じないが、合意解約の申入れないし誘因としての性格を併せもつ退職勧奨は任命権者およぴその委任を受けた者でなければこれをなし得ず、被勧奨者が任命権者の退職勧奨を受諾すれば直ちに、あるいは任命権者の承諾を得て雇用契約終了の効架が生じ、優遇措置を受ける条件を有する場合は、右優遇措置を受ける権利をも取得するものと解する。しかしながら、右いずれの場合においても、被勧奨者は何らの拘束なしに自由にその意思を決定しうるのはもとより、いかなる場合でも勧奨行為に応ずる義務もないと解するのが相当である。なお勧奨は一定の方法に従って行なわれる必要はなく、退職を求める人事行政上の事情や、被勧奨者の健康状態、勤務に対する適応性、家庭の事情その他被勧奨者の要望等具体的情況に応じて、退職の同意を得るために適切な種々の観点からの説村方法を用いることができるが、いずれにしても、被勧奨者の任意の意思形成を妨げ、あるいは名誉感情を害するごとき言動が許されないことは言うまでもなく、そのような勧奨行為は違法な権利侵害として不法行為を構成する場合があることは当然である。 三、優遇措置のともなわない退職勧奨 前述のように退職勧奨は種々の優遇措置を条件としてなされるのが通例であり、また優遇措置がなされることによって定年制の必要性と欠陥が調和的に解決しうるのであって、定年制の存しない公務員等に対する退職勧奨が社会的妥当性を有するゆえんでもあると考えられる。しかしながら、前述の退職勧奨の性質に照らすと、いかなる優遇措置を講ずるか、あるいは何らの措置もなさないかの判断は任命権者において自由になしうるというほかはなく、一切の優遇措置を打切った後に退職を勧奨したとしても、これをもって直ちに違法な勧奨とは言えないことは明らかである。もっとも、右のように解したとしても、優遇措置が行なわれたか否かは、退職勧奨が許容きれる限度を検討するにあたり考慮きれねばならない重要な事情の一つであることには変りはないというペきである。 四、退職勧奨のための職務命令 退職勧奨は前記のような性質を有する行為であり、任命権者は、雇用契約の一方の当部者として人事管理等の必要に基づき、いつでも被用者に対し退職を勧奨することができ、任命権者のかかる行為は、その職務権附に基づくものと解される。 ところで、地方公務員法は、職員は、その職務を遂行するに当って、上司の職務上の命令に従う義務がある旨を規定(同法酢三二条)している。 そこで任命権者は退職を勧奨する目的で、被用者に出頭を命令ずるなどの職務命令をなしうるか否かについて考えてみるに、右に述べたように、任命権者はその職務行為として退職を勧奨しうると解されるが、職務命令は被用者の職務の遂行に関してのみなしうるものであり、退職勧奨は前述のように雇用契約の終了を目的とする事実上および法律上の行為であって被勧奨者にとっては、その職員としての職務の遂行とは何ら関係はないのであるから、任命権者の勧奨行為に応ずる義務はなく、従って任命権者は被用者に対し、退職を勧奨するために出頭を命ずるなど職務上の命令を発することはできないというペきである。 五、被勧奨者の代理および代理人等の立会 雇用契約の締結および解約については、一般に代理人によってこれをなすことは可能(但し、未成年者については、労働基準法第五八条第一項により法定代理人による雇用契約の締結は禁じられている。)であり、退職勧奨が前述のような法的側面を有するものである以上、被勧奨者が代理人を選任することは有効にこれをなしうると解される。しかし代理を有効になしうることと、相手方である任命権者がこれを承認し、代理人と交渉するか否かは別個の問題であり、任命権者は代理人との接渉を拒絶し、直接本人である被用者との交渉を求め得ることは言うまでもなく、ただ被用者は既述のごとく任意に勧奨に応じ、あるいはこれを拒絶しうるのであり、従って代理人を通さない勧奨には一切応じないことも、もとより可能である。 次に代理人の立会権の有無について考えてみるに、右に述べたように任命権者は代理人との交渉自体を拒否しうるのであるから、勧奨の場への立会いも当然に拒絶しうるものであり、代理人であることを理由に当然には立会いを要求することはできないというべきである。また組合役員等の立会についても、個々の被用者に対する勧奨は一般的な勤務条件に関するものとは解されたないから、組合員に対する勧奨であっても、当事者双方の承諾がなけれは立会することは許きれない。しかし、被勧奨者が代理人あるいは組合役員等の立会いを希望するにもかかわらず勧奨者がこれを拒絶した場合は、被勧奨者も立会人のいない場での勧奨を拒絶できることはいうまでもないが、さらに、右の希望を無視して勧奨行為がなされたような場合には、そのことが違法性を評価する一つの事情となりうるものと考える。 第五、本件退職勧奨の違法性 一、退職勧奨の限界 既に述べてきたように、退職勧奨はその性質上任命権者(使用者)において自由になし得るものであり、反面被用者は理由のいかんを問わず、勧奨を受けることを拒否し、あるいは勧奨による退職に応じないことができるのであって、勧奨の回数、期間、勧奨者の数等により形式的にその限界を画することはできない。そして、被勧奨者が退職しない旨を明言したとしても、そのことによって、その後は一切の勧奨行為が許されなくなるとも断じ難い。 しかしながら、退職勧奨は往往にして職務上の関係に羈束されたなかで、その上下関係を利用してなされるものであり、被用者が前記のような自由を有するからといって、無限定に勧奨をなしうるものとすることは、不当な強要にわたる勧奨を許し、実質的な定年制の実現を認める結果となるであろうことは容易に推測しうるところであり、そこに何らかの限界をもうける必要があるものといわねばならない。 そこで、進んでこの点について検討を加えると、そもそも退職勧奨のために出頭を命ずるなどの職務命令を発することは許されないのであっ て、仮にそのような職務命令がなされても、被用者においてこれに従う義務がないことは前述のとおりであるが、職務上の上下関係が継続するなかでなきれる職務命令は、それがたとえ違法であったとしても、被用者としてはこれを拒否することは事実上困難であり、特にこのような職務命令が繰り返しなされる時には、被用者に不当な圧迫を加えるおそれがあることを考慮すると、かかる職務命令を発すること自体、職務関係を利用した不当な退職勧奨として違法性を帯びるものと言うべきである。そして、被勧奨者が退職しない旨言明した場合であっても、その後の勧奨がすべて違法となるものではないけれども、被勧奨者の意思が確定しているにもかかわらずさらに勧奨を継続することは、不当に被勧奨者の決意の変更を強要するおそれがあり、特に被勧奨者が二義を許さぬ程にはつきりと退職する意思のないことを表明した場合には、新たな退職条件を呈示するなどの特段の事情でもない限り、一旦勧奨を中断して時期をあらためるべきであろう。 また、勧奨の回数および期間についての限界は、退職を求める事情等の説明および優遇措置等の退職条件の交渉などの経過によって千差万別であり、一概には言い難いけれども、要するに右の説明や交渉に通常必要な限度に留められるべきであり、ことさらに多数回あるいは長期にわたり勧奨が行なわれることは、正常な交渉が積み重ねられているのでない限り、いたずらに被勧奨者の不安を増し、不当に退職を強要する結果となる可能性が強く、違法性の判断の重要な要素と考えられる。さらに退職勧奨は、被勧奨者の家庭の状況等私事にわたることが多く、被勧奨者の名誉感情を害することのないよう十分な配慮がなされるべきであり、被勧奨者に精神的苦痛を与えるなど自由な意思決定を妨げるような言動が許されないことは言うまでもないことである。このほか、前述のように被勧奨者が希望する立会人を認めたか否か、勧奨者の数、優遇措置の有無等を総合的に勘案し、全体として被勧奨者の自由な意思決定が妨げられる状況であったか否かが、その勧奨行為の適法、違法を評価する基準になるものと考えられる。 二、本件退職勧奨の違法性 そこで先に認定した原告らに対する本件の退職勧奨について考えるに、原告らは第一回の勧奨(二月二六日)以来一貫して勧奨に応じないことを表明しており、特に市教委における最初の勧奨(三月一二日)は、原告坂井に対して一時間五〇分、同河野に対しては二時間一五分にも及んでおり、市教委の退職を求める理由はこの機会において十分説明されたものと考えられるところ、これに対し原告らは退職する意思のないことを理由を示して明確に表明しており、特に原告らについてはすでに優遇措置も打切られていたのであるから、それ以上交渉を続ける余地はなかったものというペきである。しかるに被告八木らはその後も原告坂井については五月二七日までの間に一〇回、同河野については七月一四日までに一二回、それぞれ市教委に出頭を命じ、被告八木ほか六人の勧奨担当者が一人ないし四人で、一回につき短いときでも二〇分、長いときには一時間半にも及ぷ勧奨を繰り返したもので、明らかに退職勧奨として許容される限界を越えているものというべきである。 また本件以前には例年年度内(三月三一日まで)で勧奨は打切られていたが、本件の場合は四月一日以降も引続いて勧奨が行なわれ、加えて被告 八木らは、原告らに対しても、「組合」役員に対しても、原告らが退職するまでは勧奨を続ける旨の発言を繰り返し述べており、このことによって、原告らに際限なく勧奨が続くのではないかとの不安感を与え、心理的圧迫を加えたものであり、許されないものといわなければならない。なお本件退職勧奨は市教委の決定によるものであることは前記のとおりであるが、右決定は昭和四四年度末人事に関するものであり、特段の指示がない限り、被告八木らは新年度に引続いて勧奨する権限をもたなかったものと解すペきところ、被告松原本人尋問の結果によれば、同被告は被告八木に対し、年度を越えて勧奨してもよいともいけないとも言っていないというのであり、本件について年度を越えてなされた勧奨は被告八木の独断的行為というべきである。 さらに、被告八木らは、原告らの要求する代理人の立会いも認めず、右のような長期間に亘る勧奨を続け、電算機の講習期間中も原告らの要請を無視して呼び出すなど、終始高圧的な態度をとり続け、当時「組合」が要求していた欠員補充や宿直廃止についても、何ら関係がないのに、退職問題の解決、即ち原告らの退職がない限り、右の要求を受け付けない態度を示し、原告らに対し二者択一を迫るがごとき心理的圧迫を加えたものであり、また原告らに対するレポート、研究物の提出命令も、真にその必要性があったものかどうかは甚だ疑問であり、いずれも不当といわねばならない。 また原告河野の市教委への配転についても、先に訴外田辺政子に対し勧奨が奏効しない段階で市教委勤務を内示したところ、同女がこれを嫌い結局退職を約束したという前例があること、同原告に配転を示唆した時期が不自然であるうえに、五月二九日の電話の時と六月九日に市教委で説明した時とでは勤務内容も相異していると、配転が実現した場合には直接の上司となる河田指導室長が当時右配転計画を知らなか.ったこと、同原告に対しては、右のように配転を示唆しながらも他方では退職を勧奨し続けた こと、および下商校長等の反対もあり配転は実現するに至むなかったことなどの事情を総合すると、この配転は市教委にとって必要性はなく、もつぱら退職を実現するための手段として提起されたものであるとの疑いを拭い去ることができない。 以上の諸点に前述の本件退職勧奨の際になされた被告八木らの発言内容を総合すると、本件退職勧奨は、その本来の目的である被勧奨者の自発的な退職意思の形成を慫慂する限度を越え、心理的圧力を加えて退職を強要したものと認めるのが相当である。被告らは市教委にとって本件退職勧奨は必要かつやむを得ないものであったと強調するが、いかに必要であったとしても任意退職を求めるものである以上、強要にわたる行為が許されないことは言うまでもないところであり、右の必要性についても、下商の教員の平均年令が県立高校のそれよりも若干高いことや一般的に新陳代謝をはかる必要性があった旨主張するのみであって、原告らが在職することによる具体的な教育上の影響などについては何ら示されておらず、それを窺わせるに足る資料もなく、むしろ被告八木らの発言からは実質的な定年制を意図しているのではないかとさえ推測され、被告らの主張は採用しがたい。 第六、被告らの責任 一、被告下関市の責任 本件退職勧奨は、原告らの任命権者である市教委の決定に基づき、下関市の公務員である被告八木(同被告が下関市の公務員であることは当事者間に争いがない)らにおいてなきれたものであるが、前述のように退職勧奨は任命権者の人事権に基づく行為であり、下関市の公権力の行使であるというべきである。そして被告八木らは自己の職務行為として原告らに退職を勧奨するに当り、その限度を越え原告らに義務なきことを強要したものであり、これは少くとも過失によるものと認められるから、被告下関市は原告らに対し国家賠償法第一条第一項により、右のごとき違法な退職勧奨によって原告らが受けた損害を賠償すべき義務である。 二、被告松原、同八木の責任 本件は右被告らの職務行為の遵法を理由とする国家賠償の請求であるところ、かかる場合は国または公共団休が賠償の責に任ずるのであって、当該公務員がその行政機関としての地位においても、個人としても直接に被害者に対し損害賠償義務を負担するものではないと解するのが相当であるから、右被告らに対する本件請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。 第七、原告らの損害 最後に原告らが本件退職勧奨により受けた損害およぴその額について検討するに、原告坂井に対する三月一四日以降の、同河野に対する同月一三日以降の退職勧奨の回数、その態様、勧奨時の被告八木らの発言、勧奨に関連してなきれたレポート、研究物の要求、宿直廃止問題、原告河野に対する夜間の電話、配転問題など、これまで認定してきたところの事情をすべて総合して考えると、原告らが本件退職勧奨により、受忍の限度を越えて名誉感情を傷つけられ、あるいは家庭生活をみだされるなど相当の精神的苦痛を受けたことは容易に推則し得るところであり、また証人中野丙三の証言によって真正に成立したものと認められる甲第三三、第三四号証、原告ら各本人尋問のの結果によってもこのことは十分認定しうるのであって、このような原告らの精神的苦痛は相応の金員をもって慰謝されて然るべきである。そこでその額について考えるに、本件以前に原告坂井は四年間、同河野は三年間勧奨を続けられていたこと、本件勧奨によっても原告らは退職するに至らず、原告坂井は翌年まで、同河野はその後三年間下商に勤務していたこと、および本件勧奨時に「組合」役員らが常時別室で待機し、原告らを励ましていたことなどの事情を斟酌すると、原告坂井については金四万円、同河野については金五万円を持って相当と考える。 第八、結論 以上の理由により、被告下関市は、原告坂井に対して金四万円、同河野に対して金五万円および右金員に対する訴状送達日の翌日であることが記録上明らかな昭和四五年八月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告らの本訴請求は右被告に対する右金額の限度で理由があるからこれを認容し、右被告に対するその余の請求および被告松原、同八木に対する各請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を適用し、仮執行の宣言の申し立てについては相当でないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。 山口地方裁判所下関支部 裁判長裁判官 大須賀 欣一 裁判長 小川 国男 裁判官井垣敏生は転任のため署名押印することができない。 裁判長裁判官 大須賀欣一 前ページへ 地域労連トップへ戻る |