三、本件退職勧奨の態様と問題点
  1. 勧奨のための出頭命令
      前記認定のとおり原告坂井に対しては合計一〇回、同河野に対しては合計一一回(もっとも、原告両名に対する出頭命令の回数は、前記認定のとおり出頭したにもかかわらず勧奨者が不在のため勧奨を受けずに終った各一回および原告河野において出頭命令に応じなかった一回を合わせると、原告坂井については合計一一回、同河野については合計一三回である。)、それぞれ市教委において、被告八木ほか六名の市教委事務局職員から退職勧奨がなされたが、成立に争いのない甲第六号証の二、三、五、六、原告両名および被告松原、同八木各本人尋問の結果によれば、右市教委における退職勧奨は、昭和四五年三月一二日、被告八木が下商校長を通じ、人事について話し合うから市教委へ出頭するよう命じて原告らを出頭させたのをはじめとして、その後は勧奨が行なわれた機会に勧奨者と原告らとの間で授業時間等に差しつかえのない日時が決められたり、校長あるいは校長職務代行者を通じて口頭や書面で指示して出頭させたりしたものであること、出頭命令の理由は明示きれた時もされない時もあったが、同年五月二七日については、原告両名とも「現在の心境その他教育について懇談のため」という理由で、出頭を命じられたものであること、被告松原および同八木は、右出頭命令について、これを勤務関係を前提とする職務命令であると理解し、従って原告らが命令に違背すれば懲戒事由となりうるものであると考えていたこと、また原告らも実際問題としては右被告らと同様に職務命令であると考えて出頭に応じていたものであることが認められる。
  2. 代理および立会問題
     成立に争いのない甲第三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一五号証の二、三、証人奥村幸一郎の証言、原告両名および被告八木各本人尋問の結果によれば、昭和四五年三月五日、原告らはその後に予想される退職勧奨等について、自己の所属する「組合の執行委員長であった川崎滋彦に市教委との交渉を委任し、そのころ、その旨右川崎から被告松原に通知され、その後執行委員長の交替にともない、原告河野は同年四月一一日、同坂井は同月一二日、それぞれ同組合執行委員長中野丙三ほか三名に対し、右と同趣旨の委任をしたこと、そして前記市教委における第一回の勧奨(三月一二日)の際、原告らの代理人として右川崎が被岳八木に対し、代理人として、また「組合」役員として原告らに対する勧奨の場に立会わせるよう要求し、原告ら自身も右川崎らの立会を希望していたが、被告八木は右川崎ら「組合」役員に対してはやめてくれることに協力してくれるのであれば立会を認めてよいなどと述べたものの、退職勧奨は代理に親しまないものであると主張し.て代理権を認めず「組合」役員としての立会も拒絶したこと、そのため川崎らは勧奨の場に立会うことが出来ず隣室で待機していたこと、そしてこのことはその後本件勧奨がなされた期間中引続き同様の状態であったことが認められる。
  3. レポート等の提出要求
     成立に争いのない甲第六号証の四および原告坂井本人尋問の結果によれば、被告八木は、昭和四五年五月三〇日、校長代行の中原を通じて、原告坂井打対し、原告らについて市議会に問題が提起されるので、その時の資料として、同原告の教師的活動あるいは研究成果に関するレポート(枚数制限なし)を六月一日までに提出するよう命じたが、その後督促することもなく、結局提出するまでには至らなかったことが認められる。
     また被告八木が別紙第二表の回数第一七ないし第一九記載の各日時ごろ、原告河野に右と同様の研究物の提出を求めるため、同原告方に三回にわたって電話をかけ、一、二回目は同原告が、三回目は同原告の妻河野貞世が応答したことは当事者間に争いがなく、前記乙第一〇号証、証人河野貞世の証言、原告河野および被告八木各本人尋問の結果を総合すれば、被告八木が右研究物の提出を求めた理由は、同年六月三日開催予定の市議会文教委員会において下商問題が議論された場合に、原告河野を市教委に配置換えする案を示し、その説明の資料として使用しようと考えたためであること、夜間に電話した理由は、一、二回目は、そのころ同被告のもとに市会義員から右委員会で取り上げられる可能性がある旨の情報がもたらされたため、早急に同原告に連絡したほうがよいと考えたためであること、一回目の電話では、同被告は同原告に対し、「文教委員会で質問きれた際、あなたが熱心な立派な先生であると答えたいから研究物を提出してほしい。」旨述べ、ニ回目には、「やめなければ、クマさんの愛称(同原告の愛称)がすたりますよ。」「あなたに市教委に来てもらって電算機の事務局の仕事をしてもらおうと思っている。」などと述べ、三回目には、同原告の妻河野貞世に対し、「伊勢木校長がこの問題(退職勧奨の問題で悩み病気になり入院している」旨話したこと、同原告は再々このような電話がかかるため不眠がちとなり、研究物の作成と夜間の電話を避けるため同年五月三〇日.の夕方から翌三一日昼ごろまで妻と共に川棚温泉に投宿し、三一日午前三時ころまでかかって研究物を完成したこと、しかし、右研究物はその後右被告から提出を求められなかったため、提出するに至らず、また前記文教委員会でも右の間組については何ら審議されなかったこと、同原告の妻は心臓病の持病があったが、被告八木からの右電話を聞いて精神的打撃を受け、その後は電話に対してノイローゼ気味となり、夜も安眠できない状態に陥ったことが認められる。
  4. 宿直廃止、欠員補充問題
     成立に争いのない甲第五考証、証人中野丙三の証言によって真正に成立したものと認められる甲第二五考証、同証人の証言、原告両名および被告八木各本人尋問の結果によれば、「組合」は昭和四三年度から市教委に対し、教員による宿直制度の廃止を要求してきたが、これに対し市教委は、県立高校に準じて実施していく旨回答していたこと、昭和四五年二月二〇日、山口県教委は県立高校の教員による宿直制度を同年四月一日から廃止する旨発表したが、これに先立ち「組合」は右発表についての情報を入手したので、同年二月一九白市教委と交渉をもち、県立高校と同様四月一日から廃止するよう要求したところ、市教委は「県の発表をきいて早急に検討する」旨回答したこと、そして、県立高校においては右発表どおり廃止が実施されたが、市教委は下商についてはこれを実施せず、さらに同年六月一日から下関市立小、中学校においても教員によろ宿直制度を廃止したにもかかわらず依然として下商についてはこれを実施しなかったこと、そこで、「組合」は同年三月以降五月ごろまでにかけて、市教委に対し再々県立高校と同様に廃止するよう要求を続けたが、市教委はこれに対し明確な回答をせず、かえって被告八木は同年五月二五日ごろ「組合」役員に対し、「退職問題が進展をみない現時点では宿直廃止由件まで頭がまわらない。先に越さねばならぬ橋があるのに、そのずつと先まで急には行けぬ。だがもし今日にも退職間題が解決すれば、明日からでも宿直は廃止する。」と述べ、その後は宿直間組については交渉にも応ぜず、退職問題が解決しない限り、宿直の廃止には応じないとの態度をとり続けてきたこと、また、昭和四四年一〇月二九日、「組合」と市教委との交渉の中で、当時下商に教員一名の欠員のあることが確認きれ、市教委は翌四五年四月一日からこれを補充する旨約束していたにもかかわらず、右補充を実施せず、その後「組合」の要求に対しては、宿直問題に関してとったのと同様の発言態度をとり続けたこと、宿直廃止については、本訴が提起された後の同年九月一日に至ってようやく下商においても実施されたが、原告らは宿直廃止問題およぴ欠員補充問題が右のように容易に解決しない原因が自分らにあるのではないかと考え、同僚に迷惑をかけることを心苦しく思い悩んだことが認められる。
  5. 市教委への配転問題
     成立に争いのない甲第八、第九号証、証人中野丙三の証言によって真正に成立したものと認められる甲第二六号証、前記乙第一、第一〇号証、証人奥村幸一郎、同田辺政子の各証言、原告河野および被告八木各本人尋問の結果によれば被告八木は、原告両名とともに昭和四四年度の退職勧奨の対象として集中的に勧奨を行ってきた訴外田辺政子が、期待に反して退職拒否をし続けるのをみて、昭和四五年四月二七日、同女に対し、「大変優秀な教員であることがわかった。市教委へ釆て小中学校の国語の先生の指導をして欲しい。」等といつて、市教委への配転を内示したこと、同女は右配転を拒否し下商の校長や「組合」役員もこれに反対したが、同被告は、同女が退職すればともかくそうでない場合は配転を強行する意向を示したので、下商の教諭として職務を全うしたいと考えていた同女は同年五月七日やみなく同年一二月三一日限り退職する旨日申し出たため、右配転はとりやめとなったこと、その後同被告は、同月二九日夜原告河野方に電話して、同原告に対し、「市教委へ来て電算機の事務局の仕事をして欲しい」旨述べ、さらに同年六月九日、同原告に対し、「中学の職業指導と下商の教育課程の抜本的改革案の作成を担当するため、市教委へ来て欲しい。」旨述べて市教委への配転を提示したこと、右配転については同原告がこれを拒否し、下商校長もこれに反対したため、発令するに至らなかったこと、市教委の河田指導室長は、同月一三日ごろ、「組合」役員に対し、同原告に対する右配転計画をしらないと述べたことが認められる(同原告に対し市教委への配転を提示したことは当事者間に争いがない)。
  6. 勧奨時の被告らの発言
     前記第三の二に記載した各証拠によれば、被告八木ら勧奨担当者は、原告らおよび「組合」役員に対し、勧奨の場あるいは勧奨の前後の「組合」役員らとの交渉に際し、大要次のごとき発言をしたことが認められる(既に記述したものは除く)。
    • (1) 原告らに対するもの
       (イ)組合が要求している定員の大幅増もあなた方がいるからできませんよ。
       (ロ)あなたが辞めたら二、三人はやとえますよ。
       (ハ)新採用をはばんでいるのはあなた方ですよ。ジラや我儘をいわないで協力して下さい。
       (ニ)同窓生のなかにあの先生はまだいたのですかとおどろいている人がいますよ。
       (ホ)一人がこたつを占領していたり、お風呂にぬくぬくと入っていたのでは、後の者は入れませんよ。
       (ヘ)退職金で債券を買をぱ利子で暮らせるでしよう。
       (ト)武士は食わねど高揚子といったプライドはありませんか。ここらで引時を立派にしようではありませんか。
       (チ)下商は以前に比べて沈滞しているのせはないですか。
       (リ)高齢者が多くて生徒もかわいそうなんじゃないですか。
       (ヌ)委任状を取り下げてくださいよ。一対一で話しましよう。
       (ル)組合の中にもやめればいいと思っている人もいますよ。
    • (2)「組合」役員に対するもの
       (イ)もう四年も五年もお願いしているのだから、今年はわかっていただけるまで、勧奨はどしどしやりますよ。
       (ロ)とにかく勧奨はしますよ。いつまでかかろうと、何日かかろうと了解してもらえるまで、イエスといってもらえるまでやります。
       (ハ)今年は市教委の総力を投入してやる。
       (ニ)あなた方の有給休暇がなくなるまでやりますよ。
       (ホ)私たちは、どんな手段を講じてもやめてもらいますよ。
       (ヘ)一時間、二時間(授業が)ぬけても、やめてもらえば、永い目でみるとプラスになりますよ。少々迷惑だといってもやりますよ。
       (ト)夏休みは授業がないのだから、毎日来てもらって勧奨しましよう。

 第四  退職勧奨の法的性質

 一、定年制と退職勧奨

 定年制は、労働者が一定の年令に達することにより、個々の労働者の意思、能力、職務内容等の個別事情にかかわらず当然に労働関係を終了きせる制度であるが、我が国において一般的に採用されている年功加俸的賃金体系によれば、労働者が高令になるにつれて労働能力が逓減するのに、貸金は逆に逓増するという結果が生じることから、人事の刷新、経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために合理的な制度として、我が国において広く定着している(最高裁判所昭和四三年一二月二五日判決、民集二二巻一三号三四号三四五九頁参照)。
 しかしながら、右にいう合理性は主として使用者の側における合理性であって、労働者の労働能力、労働意思あるいはその必要性等、個別事情を斟酌しえない点において、定年年令が社会情勢に遅れるおそれがあり、定年年令と社会保障制度との隔差等種々の社会的、政治的問題を含み、賃金の逓増についても、終身雇用に基づく年功加俸的貸金体系のもとにおいては、老令者の貸金の高低のみでなく、生涯賃金の総合的検討も要するものといわなければならず、定年制の社会的妥当性については一概にこれを論ずることは困難である。
 ところで、地方公務員法は、一般職に属するすべての地方公務員について、同法に定める事由がなければ、その意に反して免職することを禁じており(同法第二七条第二項)、その事由としては、分限(同第二八条)と懲戒(同第二九条)の二事由のみを定めている。従って、一般職公務員については、いわゆる定年」はなく、右事由、ことに分限事由に該当しない限り、年令のいかんにかかわらず強制的に退職させられることはない(右各規定は昭和二六年八月一三日施行され(同法附則第一項、同日から右公務員についての定年制は廃止きれるに至った。)。そこで、任命権者は、特定の職員をやめさせるためには、任意退職を求める以外に方法がなく、財政負担の軽減、人事の刷新等の必要性から各地で退職勧奨が進められ、さらに退職を慫慂するため種々の優遇措置が設けられるようになり、一定年令を超えた職員に対し退職を勧奨することが全国的に行なわれるに至っている(請求原因第二項の1の事実は当事者間に争いがない)。
 このような退職勧奨は、社会保障制度や平均寿命の伸長等の社会的要因に適合した勧奨年令が設定され、しかも個々人の経済事情、労働能力、労働意思に対する十分な配慮が加えられる等柔軟な運用がなされるならば、種々の優遇措置の充実と相まって、定年制の画一的な運用による欠点を排し、その必要性を満たす有効な手段たりうるものと考えられる。

 ニ、退職勧奨の法的性質

 次に、退職勧奨の法的性質について検討するに、退職勧奨は、雇用関係にある者に対し、自発的な退職意思の形成を慫慂するためになす説得等の事実行為であるが(この点については当事者間に争いがない)、一面雇用契約の合意解約の申入れあるいは誘因という法律行為の性格をも併わせもつ場合もある。そして、右の単なる事実行為としての退職勧奨は何人も自由になしうる反面何らの法律効果も生じないが、合意解約の申入れないし誘因としての性格を併せもつ退職勧奨は任命権者およぴその委任を受けた者でなければこれをなし得ず、被勧奨者が任命権者の退職勧奨を受諾すれば直ちに、あるいは任命権者の承諾を得て雇用契約終了の効架が生じ、優遇措置を受ける条件を有する場合は、右優遇措置を受ける権利をも取得するものと解する。しかしながら、右いずれの場合においても、被勧奨者は何らの拘束なしに自由にその意思を決定しうるのはもとより、いかなる場合でも勧奨行為に応ずる義務もないと解するのが相当である。なお勧奨は一定の方法に従って行なわれる必要はなく、退職を求める人事行政上の事情や、被勧奨者の健康状態、勤務に対する適応性、家庭の事情その他被勧奨者の要望等具体的情況に応じて、退職の同意を得るために適切な種々の観点からの説村方法を用いることができるが、いずれにしても、被勧奨者の任意の意思形成を妨げ、あるいは名誉感情を害するごとき言動が許されないことは言うまでもなく、そのような勧奨行為は違法な権利侵害として不法行為を構成する場合があることは当然である。

 三、優遇措置のともなわない退職勧奨

 前述のように退職勧奨は種々の優遇措置を条件としてなされるのが通例であり、また優遇措置がなされることによって定年制の必要性と欠陥が調和的に解決しうるのであって、定年制の存しない公務員等に対する退職勧奨が社会的妥当性を有するゆえんでもあると考えられる。しかしながら、前述の退職勧奨の性質に照らすと、いかなる優遇措置を講ずるか、あるいは何らの措置もなさないかの判断は任命権者において自由になしうるというほかはなく、一切の優遇措置を打切った後に退職を勧奨したとしても、これをもって直ちに違法な勧奨とは言えないことは明らかである。もっとも、右のように解したとしても、優遇措置が行なわれたか否かは、退職勧奨が許容きれる限度を検討するにあたり考慮きれねばならない重要な事情の一つであることには変りはないというペきである。

 四、退職勧奨のための職務命令

 退職勧奨は前記のような性質を有する行為であり、任命権者は、雇用契約の一方の当部者として人事管理等の必要に基づき、いつでも被用者に対し退職を勧奨することができ、任命権者のかかる行為は、その職務権附に基づくものと解される。
  ところで、地方公務員法は、職員は、その職務を遂行するに当って、上司の職務上の命令に従う義務がある旨を規定(同法酢三二条)している。
  そこで任命権者は退職を勧奨する目的で、被用者に出頭を命令ずるなどの職務命令をなしうるか否かについて考えてみるに、右に述べたように、任命権者はその職務行為として退職を勧奨しうると解されるが、職務命令は被用者の職務の遂行に関してのみなしうるものであり、退職勧奨は前述のように雇用契約の終了を目的とする事実上および法律上の行為であって被勧奨者にとっては、その職員としての職務の遂行とは何ら関係はないのであるから、任命権者の勧奨行為に応ずる義務はなく、従って任命権者は被用者に対し、退職を勧奨するために出頭を命ずるなど職務上の命令を発することはできないというペきである。

 五、被勧奨者の代理および代理人等の立会

 雇用契約の締結および解約については、一般に代理人によってこれをなすことは可能(但し、未成年者については、労働基準法第五八条第一項により法定代理人による雇用契約の締結は禁じられている。)であり、退職勧奨が前述のような法的側面を有するものである以上、被勧奨者が代理人を選任することは有効にこれをなしうると解される。しかし代理を有効になしうることと、相手方である任命権者がこれを承認し、代理人と交渉するか否かは別個の問題であり、任命権者は代理人との接渉を拒絶し、直接本人である被用者との交渉を求め得ることは言うまでもなく、ただ被用者は既述のごとく任意に勧奨に応じ、あるいはこれを拒絶しうるのであり、従って代理人を通さない勧奨には一切応じないことも、もとより可能である。
 次に代理人の立会権の有無について考えてみるに、右に述べたように任命権者は代理人との交渉自体を拒否しうるのであるから、勧奨の場への立会いも当然に拒絶しうるものであり、代理人であることを理由に当然には立会いを要求することはできないというべきである。また組合役員等の立会についても、個々の被用者に対する勧奨は一般的な勤務条件に関するものとは解されたないから、組合員に対する勧奨であっても、当事者双方の承諾がなけれは立会することは許きれない。しかし、被勧奨者が代理人あるいは組合役員等の立会いを希望するにもかかわらず勧奨者がこれを拒絶した場合は、被勧奨者も立会人のいない場での勧奨を拒絶できることはいうまでもないが、さらに、右の希望を無視して勧奨行為がなされたような場合には、そのことが違法性を評価する一つの事情となりうるものと考える。


 第五、本件退職勧奨の違法性

 一、退職勧奨の限界

 既に述べてきたように、退職勧奨はその性質上任命権者(使用者)において自由になし得るものであり、反面被用者は理由のいかんを問わず、勧奨を受けることを拒否し、あるいは勧奨による退職に応じないことができるのであって、勧奨の回数、期間、勧奨者の数等により形式的にその限界を画することはできない。そして、被勧奨者が退職しない旨を明言したとしても、そのことによって、その後は一切の勧奨行為が許されなくなるとも断じ難い。
 しかしながら、退職勧奨は往往にして職務上の関係に羈束されたなかで、その上下関係を利用してなされるものであり、被用者が前記のような自由を有するからといって、無限定に勧奨をなしうるものとすることは、不当な強要にわたる勧奨を許し、実質的な定年制の実現を認める結果となるであろうことは容易に推測しうるところであり、そこに何らかの限界をもうける必要があるものといわねばならない。
 そこで、進んでこの点について検討を加えると、そもそも退職勧奨のために出頭を命ずるなどの職務命令を発することは許されないのであっ て、仮にそのような職務命令がなされても、被用者においてこれに従う義務がないことは前述のとおりであるが、職務上の上下関係が継続するなかでなきれる職務命令は、それがたとえ違法であったとしても、被用者としてはこれを拒否することは事実上困難であり、特にこのような職務命令が繰り返しなされる時には、被用者に不当な圧迫を加えるおそれがあることを考慮すると、かかる職務命令を発すること自体、職務関係を利用した不当な退職勧奨として違法性を帯びるものと言うべきである。そして、被勧奨者が退職しない旨言明した場合であっても、その後の勧奨がすべて違法となるものではないけれども、被勧奨者の意思が確定しているにもかかわらずさらに勧奨を継続することは、不当に被勧奨者の決意の変更を強要するおそれがあり、特に被勧奨者が二義を許さぬ程にはつきりと退職する意思のないことを表明した場合には、新たな退職条件を呈示するなどの特段の事情でもない限り、一旦勧奨を中断して時期をあらためるべきであろう。
 また、勧奨の回数および期間についての限界は、退職を求める事情等の説明および優遇措置等の退職条件の交渉などの経過によって千差万別であり、一概には言い難いけれども、要するに右の説明や交渉に通常必要な限度に留められるべきであり、ことさらに多数回あるいは長期にわたり勧奨が行なわれることは、正常な交渉が積み重ねられているのでない限り、いたずらに被勧奨者の不安を増し、不当に退職を強要する結果となる可能性が強く、違法性の判断の重要な要素と考えられる。さらに退職勧奨は、被勧奨者の家庭の状況等私事にわたることが多く、被勧奨者の名誉感情を害することのないよう十分な配慮がなされるべきであり、被勧奨者に精神的苦痛を与えるなど自由な意思決定を妨げるような言動が許されないことは言うまでもないことである。このほか、前述のように被勧奨者が希望する立会人を認めたか否か、勧奨者の数、優遇措置の有無等を総合的に勘案し、全体として被勧奨者の自由な意思決定が妨げられる状況であったか否かが、その勧奨行為の適法、違法を評価する基準になるものと考えられる。

 二、本件退職勧奨の違法性

 そこで先に認定した原告らに対する本件の退職勧奨について考えるに、原告らは第一回の勧奨(二月二六日)以来一貫して勧奨に応じないことを表明しており、特に市教委における最初の勧奨(三月一二日)は、原告坂井に対して一時間五〇分、同河野に対しては二時間一五分にも及んでおり、市教委の退職を求める理由はこの機会において十分説明されたものと考えられるところ、これに対し原告らは退職する意思のないことを理由を示して明確に表明しており、特に原告らについてはすでに優遇措置も打切られていたのであるから、それ以上交渉を続ける余地はなかったものというペきである。しかるに被告八木らはその後も原告坂井については五月二七日までの間に一〇回、同河野については七月一四日までに一二回、それぞれ市教委に出頭を命じ、被告八木ほか六人の勧奨担当者が一人ないし四人で、一回につき短いときでも二〇分、長いときには一時間半にも及ぷ勧奨を繰り返したもので、明らかに退職勧奨として許容される限界を越えているものというべきである。
 また本件以前には例年年度内(三月三一日まで)で勧奨は打切られていたが、本件の場合は四月一日以降も引続いて勧奨が行なわれ、加えて被告 八木らは、原告らに対しても、「組合」役員に対しても、原告らが退職するまでは勧奨を続ける旨の発言を繰り返し述べており、このことによって、原告らに際限なく勧奨が続くのではないかとの不安感を与え、心理的圧迫を加えたものであり、許されないものといわなければならない。なお本件退職勧奨は市教委の決定によるものであることは前記のとおりであるが、右決定は昭和四四年度末人事に関するものであり、特段の指示がない限り、被告八木らは新年度に引続いて勧奨する権限をもたなかったものと解すペきところ、被告松原本人尋問の結果によれば、同被告は被告八木に対し、年度を越えて勧奨してもよいともいけないとも言っていないというのであり、本件について年度を越えてなされた勧奨は被告八木の独断的行為というべきである。
 さらに、被告八木らは、原告らの要求する代理人の立会いも認めず、右のような長期間に亘る勧奨を続け、電算機の講習期間中も原告らの要請を無視して呼び出すなど、終始高圧的な態度をとり続け、当時「組合」が要求していた欠員補充や宿直廃止についても、何ら関係がないのに、退職問題の解決、即ち原告らの退職がない限り、右の要求を受け付けない態度を示し、原告らに対し二者択一を迫るがごとき心理的圧迫を加えたものであり、また原告らに対するレポート、研究物の提出命令も、真にその必要性があったものかどうかは甚だ疑問であり、いずれも不当といわねばならない。
 また原告河野の市教委への配転についても、先に訴外田辺政子に対し勧奨が奏効しない段階で市教委勤務を内示したところ、同女がこれを嫌い結局退職を約束したという前例があること、同原告に配転を示唆した時期が不自然であるうえに、五月二九日の電話の時と六月九日に市教委で説明した時とでは勤務内容も相異していると、配転が実現した場合には直接の上司となる河田指導室長が当時右配転計画を知らなか.ったこと、同原告に対しては、右のように配転を示唆しながらも他方では退職を勧奨し続けた こと、および下商校長等の反対もあり配転は実現するに至むなかったことなどの事情を総合すると、この配転は市教委にとって必要性はなく、もつぱら退職を実現するための手段として提起されたものであるとの疑いを拭い去ることができない。
  以上の諸点に前述の本件退職勧奨の際になされた被告八木らの発言内容を総合すると、本件退職勧奨は、その本来の目的である被勧奨者の自発的な退職意思の形成を慫慂する限度を越え、心理的圧力を加えて退職を強要したものと認めるのが相当である。被告らは市教委にとって本件退職勧奨は必要かつやむを得ないものであったと強調するが、いかに必要であったとしても任意退職を求めるものである以上、強要にわたる行為が許されないことは言うまでもないところであり、右の必要性についても、下商の教員の平均年令が県立高校のそれよりも若干高いことや一般的に新陳代謝をはかる必要性があった旨主張するのみであって、原告らが在職することによる具体的な教育上の影響などについては何ら示されておらず、それを窺わせるに足る資料もなく、むしろ被告八木らの発言からは実質的な定年制を意図しているのではないかとさえ推測され、被告らの主張は採用しがたい。


 第六、被告らの責任

 一、被告下関市の責任

 本件退職勧奨は、原告らの任命権者である市教委の決定に基づき、下関市の公務員である被告八木(同被告が下関市の公務員であることは当事者間に争いがない)らにおいてなきれたものであるが、前述のように退職勧奨は任命権者の人事権に基づく行為であり、下関市の公権力の行使であるというべきである。そして被告八木らは自己の職務行為として原告らに退職を勧奨するに当り、その限度を越え原告らに義務なきことを強要したものであり、これは少くとも過失によるものと認められるから、被告下関市は原告らに対し国家賠償法第一条第一項により、右のごとき違法な退職勧奨によって原告らが受けた損害を賠償すべき義務である。

 二、被告松原、同八木の責任

 本件は右被告らの職務行為の遵法を理由とする国家賠償の請求であるところ、かかる場合は国または公共団休が賠償の責に任ずるのであって、当該公務員がその行政機関としての地位においても、個人としても直接に被害者に対し損害賠償義務を負担するものではないと解するのが相当であるから、右被告らに対する本件請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

第七、原告らの損害

 最後に原告らが本件退職勧奨により受けた損害およぴその額について検討するに、原告坂井に対する三月一四日以降の、同河野に対する同月一三日以降の退職勧奨の回数、その態様、勧奨時の被告八木らの発言、勧奨に関連してなきれたレポート、研究物の要求、宿直廃止問題、原告河野に対する夜間の電話、配転問題など、これまで認定してきたところの事情をすべて総合して考えると、原告らが本件退職勧奨により、受忍の限度を越えて名誉感情を傷つけられ、あるいは家庭生活をみだされるなど相当の精神的苦痛を受けたことは容易に推則し得るところであり、また証人中野丙三の証言によって真正に成立したものと認められる甲第三三、第三四号証、原告ら各本人尋問のの結果によってもこのことは十分認定しうるのであって、このような原告らの精神的苦痛は相応の金員をもって慰謝されて然るべきである。そこでその額について考えるに、本件以前に原告坂井は四年間、同河野は三年間勧奨を続けられていたこと、本件勧奨によっても原告らは退職するに至らず、原告坂井は翌年まで、同河野はその後三年間下商に勤務していたこと、および本件勧奨時に「組合」役員らが常時別室で待機し、原告らを励ましていたことなどの事情を斟酌すると、原告坂井については金四万円、同河野については金五万円を持って相当と考える。

 第八、結論

 以上の理由により、被告下関市は、原告坂井に対して金四万円、同河野に対して金五万円および右金員に対する訴状送達日の翌日であることが記録上明らかな昭和四五年八月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告らの本訴請求は右被告に対する右金額の限度で理由があるからこれを認容し、右被告に対するその余の請求および被告松原、同八木に対する各請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を適用し、仮執行の宣言の申し立てについては相当でないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

山口地方裁判所下関支部
   裁判長裁判官   大須賀 欣一
        裁判長    小川  国男
裁判官井垣敏生は転任のため署名押印することができない。
裁判長裁判官  大須賀欣一

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