山口高教組(下関商業分会)退職強要事件・山口地裁判決(全文)
 目  次

主 文

事実
  第一、当事者の求める裁判
   一、原告ら
   二、被告ら
  第二、原告らの請求原因
   一、当事者の地位
     (一) 原告ら
     (二) 被告ら
   二、事件の発生とその経過
   三、被告松原、同八木の行為の不当性
     1,退職強制の違法性(退職勧奨の性質と限界)
     2,勤労権の侵害(憲法第二七条第一項違反)
     3,平等権の侵害(憲法第一四条違反)
     4,違法な出頭命令と教育権の侵害
     5,名誉毀損と平穏な私生活の侵害
   四、帰責事由
   五、損害
   六、結び
  第三、被告らの答弁および主張
   一、請求原因第一項(当事者の地位)について
   二、同第二項(事件の発生とその経過)について
   三、同第三項(被告松原、同八木の行為の不当性)について
   四、同第四項(帰責の事由)について
   五、同第五項(損害)について
   六、被告らの主張
  第四、証拠
   一、原告ら
   二、被告ら

理 由

  第一、当事者の地位
   一、原告ら
   二、被告ら
  第二、本件以前における退職勧奨の実情
   一、条例の制定
   二、本件以前の退職勧奨
   三、優遇措置の打ち切り通告
  第三、本件勧奨
   一、勧奨者の決定
   二、本件退職勧奨の経過
   三、本件退職勧奨の態様と問題点
  第四、退職勧奨の法的性質
   一、定年制と退職勧奨
   二、退職勧奨の法的性質
   三、優遇措置のともなわない退職勧奨
   四、退職勧奨のための職務命令
   五、被勧奨者の代理および代理人等の立会
  第五、本件退職勧奨の違法性
   一、退職勧奨の限界
   二、本件退職勧奨の違法性
  第六、被告らの責任
   一、被告下関市の責任
   二、被告松原、同八木の責任
  第七、原告らの損害
  第八、結論

   第一表 原告坂井に対する退職勧奨
   第二表 原告河野に対する退職勧奨



判決言渡   昭和四九年九月二八日
昭和四五年(ワ)第二六号 損害賠償請求事件判決

   主 文

  1. 被告下関市は、原告坂井恒雄に対し金四万円、同河野久馬三に対し金五万円および右各金員に対する昭和四五年八月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
  2. 原告らの被告松原勤治および同八木哲人に対する各請求ならびに被告下関市に対するその余の請求は、いずれもこれを棄却する。
  3. 訴訟費用中、原告らと被告下関市との間に生じたものはこれを三分し、その二を原告らの、その余を被告下関市の負担とし、原告らと被告松原勤治および同八木哲人との間に生じたものは全部原告らの負担とする。
   事 実

 第一、当事者の求める裁判

 一、原告ら
  1. 被告らは各自、原告両名に対し、各々金五〇万円およぴそれぞれに対する昭和四五年八月一九白から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
  2. 訴訟費用は被告らの負担とする。
 との判決ならびに仮執行の宣言。

 二、被告ら
  1. 原告らの請求を棄却する。
  2. 訴訟費用は原告らの負担とする。
 との判決。

 第二、原告らの請求原因

 一、当事者の地位

  (一)原告ら
  1. 原告坂井は、明治四一年四月一五日生れで、昭和五年三月山口高等商業学校(現山口大学経済学部)を卒業し、その後民間会社に勤務していたが、昭和二七年五月一日、下関商業高等学校(以下下商と略称する。)の講師に採用され、同年一〇月から教諭となり、現在に至っている。なを担当教科は商業科市で、担当科目は商業簿記(一年生)、会計(二年生)商業実践(三年生)である。
  2. 原告河野は、明治四二年一一月二九日生れで、昭和六年三月大阪商科大学高等商業部(現大阪市立大学経済学部)を卒業し、その後民間会社に勤務していたが、昭和一三年一二月ごろから教職に転じ、下関女子商業専修学校、県立下関中学校、市立下関商工学校、県立下関西高等学校の各教職を経て、昭和二六年三月三一日付で下商に勤務するようになり、現在に至っている.なお担当教科は商業科で、担当科目は計算実務である。
  3. 原告両名は、いずれも山口県における公立高等学校の教員で組織する山口県高等学校教員組合の組合員であり、同組合下関商業高等学校
     分会(この分会は山口県唯一の市立高校の教員によって構成されているという特殊性から、単一組織としての下関商業高等学校教員組合(委員長中野丙三、組合員数五七名、以下「組合」と略称する)としての名称、実態も有している。)に属している。

  (二) 被告ら
  1. 被告松原は、下関市の公務員として、豊捕小学校校長、下関市教育委員会(以下市教委と略称する。)学校数育課長等を経て、昭和三九年一〇月から市教委教育長の職に就き、現在に至っている。なお教育長は、教育委員の中から、山口県教育委員会の承認を得て市教委が任命し(地方教育行政の組織および運営に関する法律(以下地教行法と略称する。)第一六条第三項)、市教委の指揮監督の下に、その権限に属するすべての事務をつかさどるものである(同法第一七条第一項)。
  2. 被告八木は、下関市の教育公務員として、市教委指導主事、吉母小学校校長、安岡中学校校長等を経て、昭和四三年四月から市教委事務局に入り、学校教育課長を経て、昭和四四年五月から教育次長に就任し、学校数育課長をも兼務心ている。そして同被告は、市教委事務局において教育長に次ぐ地位にあり、市教委の権限に属する事務のうち多くの部分を実質的に取扱っできた。
  3. 市教委は、被告下関市が処理する教育に関する事務および地教行法第二三条各号所定の事務を管理し、執行するもので、下関市長が同市議会の同意を得て任命した五名の教育委員によって構成されている。

 二、事件の発生とその経過
  1. 地方公務員法はその第二七条第二項に「職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、若しくは免職されず……」と規定しており、地方公務員である教職員が強制的に辞職させられるのは、同法第二八条(分限免職)および第二九条(懲戒免職)に該当する場合に限られている。従って任命権者である市教委が、特定の教員をやめさせたいと考えるときは、右の法定の事由がない限り、任意に退職をしてもらう以外には、その目的を達する方法はない。そこで毎年度末近くになると、各教育委員会は、やめさせたいと考えている教職員に対して「退職勧奨」という、被勧奨者の自発的、任者的退職の決意を求める行為をなすのが通例になっている。
  2. 市教委は、昭和四三年度末に下商の教諭に対して退職勧奨を行なったが、その成果があがらなかったため、昭和四四年度においては、合理的 な理由もないのに、何が何でも勧奨により退職させるのだと決意し、昭和四五年二月二六日から同月二八日にかけて、原告両名、訴外田辺政子ら合計六名の下商教諭を校長室に呼び出し、同校校長を通じて、第一回の退職勧奨を行なった。ろれに対し原告らが任意に退職しない旨の意思を表明したところ、市教委は、同年三月一二日以降は、勧奨の対象を原告両名および右田辺の三名に絞り、被告八木は、被告松原の指示のもとに、退職の勧奨(その回数、時間、期間、勧奨した人数、勧奨に際し用いられた言辞等の実態に着目するならば退職の勧奨というよりもむしろ退職の強要というべきものである)を続けた。
  3. すなわち、別紙第一表および第二表記載のとおり、原告坂井は同年二月二六日から五月二七日までの間に合計一六回、同河野は同年二月二六日から七月一四白までの間に合計二一回に及ぷ退職勧奨を受けた。右勧奨をなすに当っては、職務命令という名目で市教委に出頭させたうえ (出頭命令での勧奨は坂井一一回、河野一三回) 原告らから退職勧奨等に関する市教委との話し合いにつき委任を受けた「組合」役員の右代理権を否認し、その立会をも拒否し、被告八木が同松原の指示のもとに、原告らが当初から退職しない旨を明言しているにもかかわらず、その間「退職勧奨は、どしどししつこくやる。」「とにかく、今年は腹をすえてやる。イエスというまでやる。」「どんな手段を講じても、やめて貰います。」などと言って退職を強要し、そのうえ、「あなたは、もっと勤めたかったならば、もう少し遅く生れたらよかったのになあ。」「立派な本(原告河野のこと)だが、手垢で汚れている。」と原告ら、「組合」役員、市教委事務局員等多数の面前で公然と原告らの名誉を傷つける発言をした。
     そして、この退職勧奨のための職務命令が頻先になされたため、原告ら担当の教科が空白となり、生徒の授業ができなくなった事態に対しても、「一時間、二時間ぬけても、やめてもらえば、永い目で見ればプラスになる。」などと、教育無視の態度をとり続けた。
     また前記田辺が、被告らの執拗な退職強要と、報復的な市教委への配置転換の通告などに耐えきれず、昭和四五年五月八日に、同年一二月三一日付で退職する旨の意思表示をするや、原告らに対しても、これに続くよう強要し、さらに、「現在の心境が聞きたい。」などという前代未聞の職務命令を発して原告らを呼び出し、原告らが市教委の言う通りに退職しない限り、他の市立小中学校では実施されていた教員の宿直廃止を下商においては実施せず、また既に確約していた下商における教員一名の補充もしない等の差別的取扱いをして、原告らに圧迫を加えた。
  4.  また原告河野に対しては、別紙第二表記載のとおり、被告八木が、市教委の名の下に、昭和四五年五月二七日午後一〇時三〇分ごろ、同月二九日午後一〇時三〇分ごろ、同年六月一日午後九時三〇分ごろの三回にわたって自宅に電話をかけ、市教委配転のための研究物を提出するよう指示したり、何ら関係のない妻に対し、学校をやめるよう強要して、原告河野の私生活の平穏を害した。
 三、被告松原、同八木の行為の不当性
  1. 退職強制の違法性(退職勘奨の性質と限界)
     前述のとおり、退職勧奨は、有効に成立している労働契約を、労働者がその自発的任意的意思に基づいて解約し退職することを望んで、任命権者が当該労働者に働きかける事実行為であって、法的な強制力を有するものではない。従って被勧奨者が退職しない旨の意思を明白にした場合、それ以上に勧奨を続けることはできず、それでもなおそのような勧奨行為が続けられるとすれば、それ自体被勧奨者に対して義務のないことを強制する違法行為としての性格を帯びるものである。
     このように限定された範囲でしか勧奨行為は許されないのであるから、被告松原とその指示の下になした被告八木の原告らに対する前記行為は、その実質において、すでに勧奨行為としての限度を逸脱し、原告らに義務のないことを強要する違法なものといわざるを得ない。殊に原告らについては、当時既に退職手当の割増しをするいわゆる優遇措置が打切られていたのであり、このような優遇措置を予定しない退職勧奨は、代償をともなわない退職の強要として、より一層違法性が顕著となる。
  2. 勤労権の侵害(憲法第二七条第一項違反)
     憲法第二七条第一項は、すべて国民は勤労の権利を有する旨宣言しているが、この規定は、績極的には国民に勤労の機会を与えねばならないとの内容をもち、消極的には既得された労働の機会を奪われないとの内容をもつものである。従って本件のような強要にわたる退職の勧奨が右規定に反することは明白である。そして、右規定をうけて、地方公務員法第二七条が、同法第二八条、第二九条の事由のない場合は、その意に反してやめさせられることがない旨を規定しているが、前述のような憲法の規定を前提とすれば、地方公務員法第二七条はその意に反して免職させるような行為に着手すること自休をも禁じている趣旨と考えるべきであり、被告らの行為は、右規定にも反しているものといわねばならない。
  3. 平等権の侵害(憲法第一四条違反)
     憲法第一四条は、すべて国民は法の下に平等であると規定しており、高令者であることを理由にして差別待遇をしてはならないことは明らかである。しかるに本件において、市教委は高令者であることを理由に強制にわたる退職勧奨をなしており、原告河野に対しては、それに応じないことを理由に市教委勤務という報復配転さえも提示している。また、原告らの属している下商については、県立高校、市立小中学校のいずれもが、教員の宿直を廃止しているのに、原告らが退職勧奨に応じない限り、その廃止はせず、宿直をさせ続けると言明するなど、明白な差別待遇をなしている。これらの行為は、憲法第一四条ならびに地方公務員法第一条、第二七条第一項の趣旨に反する違法な行為である。
  4. 違法な出頭命令と教育権の侵害
    • (1) 退職勧奨は、労働契約締結当事者が対等な立場で労働契約の解約について任意に話し合う機会であつ。従って退職勧奨を行う目的で当事者の一方である被勧奨者を、勤務関係の存在を前提にした指揮権に基づき、職務命令によって強制的に出頭させることは本来できないことである。
       それにもかかわらす、被告松原、同八木は、そのような権限が存在するものとして、懲戒処分を脅しにして、「心境を聞く」などの理由で原告らを出頭させたものであって、このこと自体まさに権利の濫用であり違法な行為である。
    • (2)このような違法な出頭命令によって、原告らは、多くの予期しない時に授業時間を奪われ、教育を受ける権利を有する生徒に対して、教育をすることができなかった。原告らのような教員の場合、労働契約によって賃金請求権を取得するだけでなく、自らの発意と努力によって生徒の知識を広め、また人格を高めるという教育権を有している。
       これは教員のみが有する、そして教員の誇りとする固有の権利である。しかるに、被告松原、同八木は、これを違法な職務命令によって侵害したばかりでなく、前記二の3記載のような発言によって、その実質をも犯したものである。
  5. 名誉毀損と平穏な私生活の侵害
    • (1)原告両名に対しては、前記二の3記載のとおり、原告らの教員としての名誉を傷つける言辞を公然と他人の面前で弄した。
    • (2)原告河野に対しては、前記二の4記載のとおり、何らの権限もないのに、非常識にも深夜電話をして退職の強要をなし、私生活の平穏を侵害した。

 四、帰責事由
  • 以上に述べたとおり、被告松原、同八木は下関市の公務員であり、同市における教育に関する公権力の行使にあたっているものである。そして右被告らは、その職務を行なうに当って前述のように違法に公権力を行使して、原告らに対し後記損害を与えたものであるから、被告下関市は国家賠償法第一条第一項(予備的に民法第七一五条)により、被告松原、同八木は民法第七〇九条、第七一〇条により、ぞれぞれ原告らの受けた損害を賠償する義務がある。
 五、損害
  • 原告らは、前述のごとく被告らにより多くの権利を侵害され、甚大な精神的苦痛を被った。これを慰謝するには、各金五〇万円をもって相当とする。
 六、結び
  • よって原告らは、被告ら各自に対し、それぞれ金五〇万円および右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和四五年八月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

 
第三、被告らの答弁および主張

  一、請求原因第一項(当事者の地位)について
  1. 同項(一)の1の事実は認める。
  2. 同項(一)の2の事実中、原告河野が下商に勤務するようになった日を争い、その余の事実は認める。同原告は昭和二六年四月一日付で下商の教諭となったものである。
  3. 同項(一)の3の事実中、原告両名が「組合」に所属していることは認めるが、その余の事実は不知。
  4. 同項(二)の1ないし3の各事実は、いずれも認める。
 二、同第二項(事件の発生とその経過)について
  1. 同項1の事実は認める。
  2. 同項2の事実中、昭和四三年度においては退職勧奨するも、その成果があがらなかったこと、昭和四五年二月二六日から同月二八日にかけて校長が、原告ら主張の六名に第一回目の退職勧奨をしたこと、市教委が同年三月一二日以降、原告両名および訴外田辺政子に対し退職勧奨をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。
  3. 同項3の事実中、原告坂井に対し、別紙第一表の回数第二ないし第一二および第一六に記載の日時、場所において、その記載の勧奨者(但し、第一六は八木、大谷である)が、その時間(但し、第七は一四時五〇分から一五時四五分まで、第一六は時間不詳である)に、また原告河野に対し、別紙第二表の回数第二ないし第一二、第一六および第二〇に記載の日時、場所において、その記載の勧奨者(但し、第一六は八木、大谷である)が、その時間(但し、第六は一五時から一五時二五分まで、第七は一〇時一〇分から一一時三〇分まで、第一六は時間不詳である)に、それぞれ退職勧奨および講師となるよう勧奨したことは認めるが、その余の事実は否認する(原告河野に対する第二表第一七ないし第一九の電話の件については後記4のとおりである)。なお原告らの代理人を通じての「勧奨」(第一、第二表の各第一三ないし第一五)は直接原告らに対するものではなく、退職勧奨にはあたらない。
  4. 同項4の事実中、被告八木が原告河野に対し、同原告主張の日時ごろ三回にわたって電話をかけ、一回目には研究物の提出を希望し、二回目にはその提出を希望する日時を伝えかけたこと、三回目は右原告の妻が応答にでたことは認めるが、その余の事実は否認する。
 三、同第三項〔被告松原、同八木の行為の不当性)について
  1. 同項1の事実中、退職勧奨が、当該労働者に対し、自発的、任意的意思に基づき退職することを望んで、任命権者が働きかける事実行為であって、法的な強制力を有するものでないことは認めるが、その余の事実は否認する。
  2. 同項3の事実中、原告河野に対し、市教委への配転を提示したことは認めるが、その余切事実は否認する。
  3. 同項2、4およぴ5の各事実はいずれも否認する。
 四、同第四項(帰責事由)について

  被告松原、同八木が下関市の公務員であることは認めるが、その余の事実は争う。

 五、同第五項
(損害)について

  同項の事実は否認する。

 六、被告らの主張
  1. 被告らの原告らに対する本件退職勧奨は、市教委として真にやむを得ない相当なものであって、実質的にも形式的にも退職を強要したものでない。また、退職勧奨はもとより退職を希望しない者に対してなきれるのが常態であって、退職しない旨を回答した者に対してなされたとしてもその勧奨が違法になるわけではない。
  2. 教育委員会は所轄下の教職員に対する退職を含む人事措置全般にわたる権限と責任を有するものであり、人事の円滑な運営をなすために退職勧奨の機会を設けることは右権限内のことであり、退職勧奨を行なうための出頭要請は本来業務命令の性質を有するものである。退職勧奨が対象者に向けられた退職の意思決定への誘因および説得であり、その決定が対象者自身の自発的意思によるものであることを要するからといって、退職勧奨の機会をもつ出頭要請の業務命令が違法視されるものではない。
     しかも本件においては、出頭要請はその大半が原告らの意向および事情をたしかめ、出頭の了解を得てこれをなしており、そうでない場合も、原告らの回答に従ってこれを変更していたものである。また本件出頭要請については、教育信念または心境を聞くことを伝えたこともあったが退職勧奨のための出頭要請として当然であり、これによりその要請が違法化するものではない。
  3. 市教委は勧奨の効果を期待しえないと判断されるに至って、原告らに対する市教委への配転を考慮したが、市教委としては当然これをなしうるところであり、かつ当然の考慮であって、原告らに対し右の意向を打診したからといってこれが違法な強制にあたるいわれはない。

 第四、証 拠

  一、原告ら
  1. 甲第一ないし第五号証、第六号証の一ないし六、第七ないし第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証、第缶一四号証の一、二、第一五号証の一ないし三、第一六ないし第二〇号証、第二一号証の一ないし五、第二三号証の一、二、第二四ないし第二六号証、第二七号証の一ないし六、第二八ないし第三五号証(甲第二二号は次番)を提出。
  2. 証人浅本武、同中野丙三、同奥村幸一郎、同田辺政子、同河野貞世、同金子毅の各証言および原告ら各本人尋問の結果を援用。
  3. 乙第一ないし第五号証、第八ないし第一一号証の成立は不知。その余の乙号各証の成立は認める(乙第一四号証については添付の判定書謄本を含む)。
  二、被告ら
  1. 乙第一ないし第一二号証、第一三号証の一、二、第一四号証(判定書謄本添付)を提出。
  2. 証人古谷明の証言および被告八木、同松原各本人尋問の結果を援用。
  3. 甲第一三号証、第一四号証の一、二、第一五号証の一ないし三、第一六号証、第一九号証、第二〇号証、第二五号証、第二六号証、第三二ないし第三五号証の成立は不知、第七号証、第一二号証の一、二の成立については、官署作成部分のみ認め、その余の部分は不知、その余の甲号各証の成立は認める。

  理  由


  第一、当事者の地位

  一、原告ら
  1. 原告坂井が明治四一年四月一五日生れで、昭和五年三月山口高等商業学校を卒業し、民間会社に勤務した後、昭和二七年五月一日から下宿の講師に採用され、同年一〇月から教諭となり、同校商業科の商業簿記、会計、商業実践を担当していたことは当事者間に争いがなく、さらに、同原告本人尋問の結果によれば、同原告が昭和四六年四月一日、同校を退職したことが認められる。
  2. 原告河野が、明治四二年一一月二九日生れで、昭和六年三月大阪商科大学高等商業部を卒業し、民間会社の勤務、下関束子商業等修学校等各学校の教諭を経た後、昭和二六年四月一日付で下商の教諭となり、同校商業科で計算実務を担当していたことは当事者間に争いがなく(但し、下商の教諭となった日は同原告本人尋問の結果によって認める)、さらに、被告松原品人尋問の結果によれば、原告河野が昭和四八年四月一日同校を退職したことが認められる。
  3. 原告両各が「組合」に所属していたことは当事者間に争いがなく、証人奥村幸一郎、同中野丙三の各証言によれば、同組合の昭和四四年度における執行委員長は川崎滋彦であり、昭和四五年度における執行委員長は中野丙三であったことが認められる。
  二、被告ら
  1. 被告松原が下関市の公務員として豊浦小学校校長、市教委学校教育課長等を経て、昭和三九年一〇月から市教委教育長に就任したものであること、および教育長は教育委貞の中から山口県教育委員会の承認を得て市教委が任命し、市教委の指揮監督の下にその権限に属するすべての事務をつかさどるものであることは当事者間に争いがなく、被告松原本人尋間の結果によれば、同被告は昭和四七年一〇月まで右教育長の職にあったことが認められる。
  2. 被告八木が下関市の公務員として、市教委指導主事、吉母小学校校長等を歴任した後、昭和四三年四月から市教委事務局に入り、学校教育課長を経て、昭和四四年五月から教育次長に就任し、学校教育課長をも兼務するようになったこと、および同被告が市教委事務局において、教育長に次ぐ地位にあり、市教委の権限に属する事務のうち多くの部分を実質的に取扱ってきたものであることは当事者間に争いがなく、被告八木本人尋問の結果によれば、同被告は、昭和四六年四月まで右教育次長兼学校教育課長の職にあったことが認められる。
  3. 市教委が被告下関市の処理する教育に関する事務および地教行法第二三条各号所定の事務を管理し、執行するもので、下関市長が同市議会の同意を得て任給した五名の教育委員によって構成されていることは当事者間に争いがない。
  第二、本件以前における退触勧奨の実情

  一、条例の制定
  • 成立に争いのない甲第二八号証、第三一号証によれば、山口県においては「職員の退職手当に関する条例」(昭和二九年二月一二日山口県条例第五号)の第四条および第五条において、退職勧奨を受けて退職した者に対する退職手当の割増しをなしうるいわゆる優遇措置を規定しており、これを受けて下関市においては、「下関市立学校教員の給与等に関する条例」(同年三月三〇日条例第九号)において、学校教員の退職手当等は、市立高等学校の教員については、県立高等学校教員の例による(同条例第二条)旨定めていたことが認められる

  二、本件以前の退職勧奨
  • 被告松原本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一一号証、証人中野丙三の証言被告松原、同八木各本人尋問の結果によれば、下関市立の高等学校は下商と下関第一高等学校(昭和四五年四月一日県に移管)の二校しかなく、県立高校との交流が少なく、高令化の傾向があったため、市教委は、教員の新陳代謝をはかり、適正な年令構成を維持することを目的として、前記条例の趣旨に従い、県教育委員会が毎年定める退職勧奨基準年令に準じて勧奨対象者を選定し、退職勧奨を実施してきたこと、昭和四〇年度から四四年度の間の高校教員の勧奨年令は男子五七才、女子五五才であり、原告坂井に対しては昭和四〇年度末から、同河野に対しては昭和四一年度末から毎年勧奨をしてきたが、昭和四三年度末まではいずれもこれに応じなかったこと(昭和四三年度においては退職勧奨の成果があがらなかったことは当事者間に争いがない)、またこの期間の勧奨の方法、程度は、校長および市教委がそれぞれ二回ないし三回、学校あるいは市教委で被勧奨者に退職を勧め、優遇条件等を交渉する程度であったこと、および本件以前においては、年度を越えて勧奨が継続されたことはなかったことが認められる。

  三、優遇措置の打切通告
  • 成立に争いのない甲第二七号証の一、二によれば、原告繭名に対し、昭和四二年三月二五日付で市教委から「今後優遇措置を条件とする退職勧奨を一切行なわない。」旨の通知がなされたことが認められる。

 第三、本件退職勧奨
 

  一、勧奨対象者の決定
  • 成立に争いのない乙第一二号証、第一三号証の一、二、および被告松原、同八木各本人尋問の結果によれば、昭和四五年一月八日、市教委の第一回委員会において、昭和四四年度末の市立高等学校教職員の人事異動方針の一つとして、高令者に対する退職勧奨の方針が決定され、この方針に基づき、市教委事務局の学校教育課において、下商の退職勧奨対象者の名簿が作成され、教育長であった被告松原の決裁により、原告坂井(六一才)、同河野(六〇才)、訴外和田勇(五九才)、同田辺政子(五八才)、同逆瀬川康(五七才)、同中林輝男(五七才)の六名の教諭に対し退職を勧奨することが決定され、被告松原から教育次長兼学校教育課長の被告八木に対し、右勧奨の実施方が指示され、これに基づき、昭和四五嘩二月二三日付書面(乙第一三号証の二の作成日付が「昭和四四年二月二三日」とあるのは「昭和四五年二月二三日」の誤記と認める。)をもって、教育長名で下商校長に対し、右六名に対する退職勧奨についての協力要請がなされたことが認められる。
  ニ、本件退職勧奨の経過
  •  前記教育長の要請に基づき、下商校長が同年二月二六日から二八日の間に、前記六名の勧奨対象者に対し第一回目の退職勧奨を行なったこと、その後、同年三月一二日以降、市教委が直接原告両名および訴外田辺政子に対する退職勧奨をはじめたこと、右勧奨は、原告坂井については別紙第一表の回数第二ないし第七、第九、第一一、第一二、第一六に記載の日時、場所において、その記載の勧奨者からなされ、原告河野については別紙第二表の回数第二ないし第七、第九、第一一、第一二、第一六、第二〇に記載の日時、場所において、その記載の勧奨者からなされたことは当事者間に争いがなく(但し、原告坂井に対する第七、第一六の勧奨時間および第一六の勧奨者岡田、同河野に対する第六、第七、第一六の勧奨時間および第一六の勧奨者岡田は除く)、右事実に成立に争いのない甲第六号証の六、証人奥村幸一郎の証言によって真正に成立したものと認められる甲第一六号証、被告八木本人尋問の結果によって真正に成立したものと謎められる乙第一、第八、第一〇号証、証人古谷明の証言によって真正に成立したものと認められる乙第九号証、ならびに証人奥村幸一郎、同古谷明の各証言、原告両名および被告八木各本人尋問の結果を総合すれば、原告両名に対して、大要次のごとき退職勧奨がなされたことが認められる。
    1. 1、 二月二六日
      原告両名は、順次校長室に呼ばれ、伊勢木校長より市教委から退職の意思の打診があった旨伝えられたが、原告らはいずれも退職する意思がない旨を表明し、ニ分ないし五分間で終った。そして、右の結果は被告八木に報告された。
    2. 三月一二日
      原告両名は、校長を通じて、市教委(市役所)に出頭を求められ出頭したが、勧奨前に原告らに随行した「組合」役員と被告八木の間で交渉が行なわれ、「組合」側から、(1)入試、期末テストなど校務多忙の時であり出頭を命ずるのを差し控えること、(2)立会いを認めることなどの要求がなされたが、同被告は(1)に対し、「採点など家に持ち帰ってやれるでしようが、なんで忙しかろうと、何度でも釆でもらいますよ。」と述べ、(2)に対しても、これを拒否した。
       その後、教育長室において(「組合」役員は隣室で待機)、同被告および古谷主査が、原告坂井に対しては三時四五分から一四時三〇分までの間(但し、一二時五分から一三時までは昼食のため中断)、原告河野に対しては一四時一五分から一六時三〇分までの間、それぞれ下商教育の沈滞を防ぎ、教師の年令構成の健全化をはかるなどの理由を述べて原告らに退職を勧奨したが、原告らは、いずれもまだ健康で働く意思があること、やめなければならない法的根拠がないこと、経済的に不安があることなどの理由をあげ、退職の意思がない旨主張した。
       なお、同被告は、原告坂井に対する勧奨中、「組合」役員が昼食時間であると申し入れたのに対し、右原告も同席する場で、「今年はイエスを聞くまでは、時間をいくらでもかける。昼食も夕食も教育委員会で用意してもよい。」旨の発言をした
    3. 三月一三日
       市教委(市役所)において、一六時一五分から一六時四〇分までの間被告八木および藤原総務課長が原告河野に対し退職を勧奨したところ、同原告は、下商出身だから下商で死ぬまで勤めると主張して勧奨を拒否したが、その際右被告は、「あなたは生れるのが少し早すぎた。やめたくなければ、もう少し遅く生れてくればよかった。」旨発言し、右藤原は「下商はえらい。皆がんばっている。下関市役所の人はすぐやめてくれる。」と発言した。
       なお、被告八木は、右勧奨に先立ち、「組合」役員が原告らの代理人として勧奨の場に同席することを認めるよう要求したのに対し、これを拒否し、さらに、右勧奨が終了した後、「組合」役員が連日の呼出しに抗議したのに対し、右原告も近くに居たところで、「組合」役員に対し、「教委の命令をうけているのです。」「いつまででもやりますよ。」「正しいか、正しくないかは裁判所で決定してもらうよりないですよ。私たちは必要だからやります。」「(裁判所に訴えますよと言ったのに対し)いいですよ。白黒をつけてもらおうではないですか。」などと発言した。
    4. 三月一四日
       市教委(市役所)において、一四時三〇分から一六時まで、被告八木古谷主査、河田指導室長および森指導主事が原告坂井に対し退職を勧奨したところ、同原告は前回(三月一二日)と同様の理由で退職しない旨を表明したが、右勧奨の際同被告は、同原告に対し、「私はあなたの家をよく知っている。退職勧奨を受けておられるということを奥さんに話しにくいなら、私の方から奥さんにお話ししてもよいですよ。あなたがやめれば欠員の補充もできるし、学校設備の充実もできる。あなたがやめれば、すべてが円満に解決する。」などと発言した。
    5. 三月一六日
       市敬重(市役所)において、被告八木、河田指導室長および古谷主査(伊勢木校長も同席)が、原告坂井に対して一〇時一〇分から一一時三〇分までの間、右河田および古谷が、原告河野に対して一三時から一四時一五分までの間、それぞれ退職を勧奨したが、原告坂井はその間あまり発言せず、市教委側の説明をメモしていたにすぎなかったが、原告河野は退職の意思のないことを表明したところ、右古谷は同原告に対し、「そろばんがおできだから塾でも開かれてはどうですか。」と述べ、さらに、同原告が外国や他の都市では相当の高令者が勤務している例をあげて、それらの年令が常識と考えている旨述べたのに対し、「ほかのところでは、それが常識かもしれないけれど、だから下関でもそれをあてはめようとするのは非常識です。どちらが常識であるのか、唐戸の電停あたりで一般市民に聞いてもらいましょうか。」などと述べた。
    6. 三月一七日
       市教委(市役所)において、被告八木、河田指導室長、古谷主査および森指導主事が、原告河野に対して一一時三〇分から一二時三〇分までの間、右河田、古谷および森が、原告坂井に対して一五時から一六時までの間、それぞれ退職を勧奨したところ、右河野は退職の意思のないことを表明し、右坂井はあまり口をきかなかった。右勧奨に際し、同被告は原告河野に対し、「あなたは教員室で一人本ばかり読んでいる。立派な本ではあろが手垢でよごれている。」などの発言をした。
       なお同日午後六時ごろ、原告坂井が宿直勤務中、市教委関係者の西村五男から頼まれたといって旧下商職員中川力が訪れ、同原告に退職をすすめた。
    7. 三月一八日
       市教委(市役所)において、古谷主査が、原告河野に対して一五時から一五時二五分までの間、同坂井に対して一五時三五分から一六時一〇分までの間、それぞれ退職を勧奨したが、その際原告河野に対し、「学校をやめてそろばん教室とか、簿記の講習会を開くなどの社会教育に従事してはどうか。」と述べ、右河野は「そのような意思はない。同じ働くなら母校の下商のために働く。」と答えた。
    8. 三月一九白
       市教委(市役所)において、被告八木および岡田課長輔佐が原告河野に対して一〇時一〇分ごろから一一時三〇分ごろまでの間、右岡田および古谷主査が原告坂井に対して一四時五〇分から一五時四五分ごろまでの間、それぞれ退職を勧奨したが、その際同被告は、原告河野に対し、退職金や年金の運用について話し、これを運用すれば、「寝て暮せる」などと述べ、同原告が「若い者に負けない情熱を持っている。」と述べたところ、「その情熱のそそがれた教材研究とか、研究物があったら見せて下さい。」と要求し、同原告が「そんなものはありません。」と答えたところ、「下商の先生には一〇万トン級がだいぶおられるが、誰も週十六、七時間授業をしたら、あとは研究もなにもされないのですか。」と述べ、指導案等の提出を要求した。同原告は、退職金等の運用について、物価があがるので不安であることなどを理由に勧奨を受け入れ難い旨言明し、また原告坂井も退職の意思のない旨を告げ、時間の浪費になるから勧奨を打切るよう要求し、さらに同月二二日から二六日までの間は下商で電算機の講習があり、それに参加したいから、その間呼出しを避けてほしい旨要望した。
       なお、組合役員も右と同様の要望をしたところ、被告八木は、「あの人達に電子計算機などやってもらうつもりはない。講習会なんか関係ないですよ。」などと発言した。
    9. 三月二三日
       原告両名は、市教委(市役所)に出頭を命せられたため、電算機の講習中であったにもかかわらず途中退席して午後二時ごろ出頭したところ被告八木ら勧奨担当者が不在であったためそのまま帰校した。
    10. 三月二四日
       市教委(市役所)において、古谷主査、河田指導室長および森指導主事が、原告河野に対して一四暗から一四時五〇分までの間、同坂井に対して一五時から一五時五〇分までの間、それぞれ退職を勧奨し、場合によっては講師ということも考えられる旨述べたところ、原告両名は、条件付退職も考えられないと答え、講習会があるので同月二六日まで勧奨しないよう要望した。
    11. 三月二六日
       電算機の講習が終了した後、伊勢木校長が原告両名を校長室に呼び、原告坂井に対しては一五時一〇分から一六時までの間、同河野に対しては一六時から一六時三〇分までの間、私見であるとことわったうえ、講師になるよう勧奨したが、原告らはいずれもこれを拒否した。
    12. 四月二日
       市教委(市役所)において、被告八木、古谷主査および河田指導室長が、原告坂井に対して一三時三五分から一四時三〇分までの間、同河野に対して一四時三〇分から一五時三〇分までの間、それぞれ退職を勧奨し、講師となるよう提示したが、原告らはいずれもこれを拒否した。これに対し、右古谷は原告河野に対し、「講師の問題の宿題を出しておきます。明日返事をしてもらいたい。」旨を告げた。右勧奨を受けた際原告口坂井は、「新年度の時間割も決まり、準備にかからねばならないので、これからは代理人に言ってほしい。年度が変ってまで続けられては困る。」 旨要望した。
    13. 四月三日
       市教委(市役所)において、古谷主査および大谷指導主事が、原告坂井に対して一三時三〇分から一四時二〇分までの間、右両名および岡田課長補佐が、原告河野に対して一四時二五分から一五時三〇分までの間、それぞれ勧奨を行ない、右河野は前日の「宿題」である講師の件について、講師は一年任期で身分の保障がないこと、給与が減少すること、健康保険の適用がなくなることなどを理由に拒否した。また右坂井は退職の意思のないことを表明したが、これに対し古谷はやめない理由を教育委員会のみんなの席で説明するよう求めた。
    14. 四月二三日
       被告八木は、電話で原告らの代理人である「組合」の中野委員長に、原告らの退職の意思の確認を依頼し、右中野は翌二四日原告らの意思を確認したうえ、同人らが退職する意思がない旨市教委に通知した。
    15. 五月一三日
       被告八木は、前記と同様右中野に原告らの退職の意思の確認を依頼し、同人は原告らの意思を確認したうえ、翌一四日、退職の意思がない旨市教委に通知した。
    16. 五月二七日
       市教委(図書館)において、被告八木ほか一名が、原告両名に対し、その後心境に変りがないかと尋ね、原告らはいずれも変らない旨述べた。
    17. 六月九日
       市教委(図書館)において、被告八木および大谷指導主事が原告河野に対し、「あれはどお願いしているんですが、お気持に変化はありませんか。」と尋ね、同原告は「変化がない。」旨返答した。そこで同被告は市教委に配置転換して同原告に中学の職業指導と下商の教育課程の抜本的改革案の作成を担当してもらう旨の内示をした。これに対し同原告は、六月一一日、新学期の授業が軌道にのりかけた時期であり、生徒に悪影響があること、現場教師で終りたいことを理由に、右配置転換を拒否した。
    18. 七月一四日
      被告八木は、中原校長代行を通じ、原告河野に出頭を命じたが、同原告は応じなかった。

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